崙馬伝

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 後宮の宦官に、剛顔という者がいた。  先帝の御代では太医院の医官を勤めた男だが、その昔、馬車に轢かれて左足を失い、爾来杖足を付けている参具である。  先帝の信頼厚く、また当代の皇帝が赤子の頃に大病から救った功績がありながら、そこは参具嫌いで名高い皇帝、宦官として後宮に押し込めてしまった。  それでも腐らず医に一心を捧げてやまないあたり、非常に真面目な性質の人間であった。  その性格は筆まめさにもあらわれ、太医官として昇殿した日から一日欠かさず日誌をつけていたという。  大半はあの大火で焼けてしまったが、いくばくか残ったうちには、頻繁に兎崙姫の名が出てくる。  最も古いもので、崙馬が献上されてしばらく後の日付、後宮は東華庭園の四阿に人馬揃って午睡を楽しむ景色を目にしたとある。  さながら仙郷に遊ぶ様を描いた画とあるので、ずいぶんと買ったものである。  皇帝に忌まれた宦官の医者と皇帝の寵から漏れた姫が、それからどのような経緯で言葉を交わすようになったかは、残念ながら焼け残りの日誌が虫食いで判然しない。  しかし、親子ほども歳の離れた二人が雪切の交友を結んだことは確かであり、剛顔は毎日のように姫と交わした会話を書記している。  話題の中心となるのは、やはり崙馬であった。  姫とは身を預け合うほどに胸襟を開いた崙馬であったが、剛顔に対してはあまり親密さを見せなかった。  馬と思わず人と思え、とは姫の言で、なるほど礼節をもって接すれば蹴り殺される心配はなさそうだが、元来あまり人好きのする馬ではないのだろう。  剛顔がどうというより、己と姫との間に割って入るものを嫌っているようである。  剛顔が姫と話していると、姫の衣服の裾に角を擦り付け、不満そうに鼻を鳴らしてくる。  姫もよくわかったもので、そうなると会話を中断してでも崙馬の機嫌を取ってやる。 「赤子のようなものだ」と姫は云った。「世界に己と私しかおらぬのだ」 「図体の大きな赤子ですな」  剛顔は実際に崙馬の丈を測ったことがあるが、武官で一番大柄な者の身の丈と同じであった。 「いったい全体、幾つになるのでしょうな。いや、凡馬と同じ齢で数えてよいものかもわかりませぬが」 「五十年から百年の間だな」 「と申されますと」 「一角が伸び整うまで五十年、昇天して雷部と成るまで百年だそうだ。仙寿経にある」  兎崙姫は万書に通暁して博覧強記、とは剛顔の評である。  四方から届く異国の書を、大学や御書が手を付けるより早く、手ずから訳して読み解くこともままあった。 「我らのとても及ばぬ長老ですな」 「なに。天に昇るを冠礼と考えれば、それまでは成人に至らぬ子供であろ」  目を細めて崙馬のたてがみを撫でるその面には、感情を表に出さない姫にして珍しく、はっきりと柔らかな慈愛が浮かんでいた。
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