崙馬伝

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「杖足はどのようにして作るのであろ」  兎崙姫が剛顔にそのような問いを投げたのは、春が過ぎて夏が終わり秋に差し掛かったある日の昼下がりであった。 「杖足ですか」  己の左足に生えた細い棒をさすりながら、剛顔は首を傾げた。 「御入り用とあらば、直ちに用意いたしますが」 「私にではない。此奴にだ」  少し離れたところでごろりと横倒しに転がり、土を全身に塗している崙馬を指して兎崙姫は云った。 「馬に、でございますか」  兎崙姫は首肯した。 「馬の杖足は聞いたことがございませぬが、そうですな。人のものと同じに作るのであれば、木を彫れば簡単に誂えられるかと」 「なんだ。それだけか」 「ただし、馬の膂力に耐えられるように作らねばならぬでしょう。ましてや崙馬のこと、雲を踏まえて八千里を走るというのなら、並の材木ではたちまち割れてしまいまする」 「木ではだめか」 「いいえ。石や鉄では生身と杖足の継ぎ目が故障いたします。剛にして柔、叩けば鍛えた鉄となり、曲げては雪に傾ぐ柳となる。そのような木材がよろしいかと」  兎崙姫はしばし目を閉じ、はたと手を打った。 「縞黒檀だな」 「ご賢察のとおり」  縞黒檀は頑丈さもさることながら、見栄えがとりわけ美しい。  ただし南方との交易でしか手に入らないため、非常に高価な木材でもあった。 「手に入るか」 「是非にと仰るのであれば」  そう答えはしたものの、剛顔は渋い顔をした。 「しかしながら、縞黒檀の一点ものを注文とあらば、私の差配できる金子では足りませぬ」  後宮の地位は下から勘定したほうが早い姫の身分からして、彼女の手持ちでも足りるとは思えなかった。  おそれながらと進言した剛顔に、姫は自分の簪を抜いて手渡した。 「これを売っても足りぬか」  紅水晶に金細工をあしらった、豪奢な簪である。  目立たぬように髪を畳んだ内側に差していたのは、他の着古した装束と釣り合って見えないからだろうか。 「国を離れる折、母から手渡されたものだ。由来は父からの贈り物だそうだが」 「しかし、そのようなものを」 「見せびらかす相手もおらぬというに、後生大事に握っておっても仕方なかろ。放っておけば下女に盗まれるのが関の山だ」  兎崙姫は、微笑(にこり)ともせず云った。 「足りるか、足りぬか」 「足りまする」  剛顔は恭しくおしいただいてから、簪を懐紙に包んで袂へしまい込んだ。 「ひとまず職人の選定を。そのうちに此奴の寸法を取って似姿を描くゆえ、それをもとに拵えるよう注文せよ」 「そのように」  崙馬はいつの間にやら土浴びを終え、己が話頭に上っている話ことを知ってか知らずか、例のごとく姫の気を引こうと近寄ってくる。  兎崙姫は汚れを厭わずなすがままにさせた。 「一つお聞きしても」  剛顔が立ち上がりながら尋ねると、姫は無言で続きを促した。 「なにゆえ、このものに杖足をやろうと」  姫はしばしの間、剛顔を見据えた後に云った。 「狭い庭とて駆け回るに不便であろと、そう思うただけだ」
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