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果たしていつの頃だったか。
義務教育を受けていた年頃に、気温が一番高くなるのは昼を少し過ぎた頃だと聞いた覚えがある。
つまり駅前のカフェでランチにデザートまで堪能して店を出た今が一番暖かい時間帯の筈なのだ。
筈なのに、だ。
差し込む太陽光はまるですりガラスを通したかの様に心許なく、当然の様にちっとも気温は上がっていなかった。
隣の横顔も普段より少し近い気がするのは気のせいだろうか。
「ここ、右だね。」
そんな彼は背を少し丸めつつもしっかりと私の右手を引いたまま、目的地まで歩を進めている。
案内の通りにしばらく進めば、昨日画像で見たお店があった。
ころんころんと少し籠もったドアベルの音。
それと共に中へ入れば、ぴしゃりと外界とは遮断されているかのように空気が変わった。首元のマフラーなど早々にお役御免だ。
目についたのはぽってりとした可愛らしいかぎ編み人形に、行儀良く並んだアクセサリー。
BGMはオルゴール調で雰囲気作りに一役買っている。
ほこほこと暖かな店内をマフラーを解きながらゆっくりと巡って…、食器コーナーへ入ってから暫くすると、ずっと私の少し前を歩いていた彼が立ち止まった。
手に取ったのはクリーム色を基調としたマグカップ。
縁にブルーのラインが入っただけのそれは、周りにあった動物モチーフの物や北欧のイラストがプリントされた物たちに比べて随分とシンプルだ。
「いいね、それ。」
彼の普段の好みからすればやや可愛らしくはあるが、私にしてみればそれも彼らしかった。
目力があるせいか第一印象では怖いと思われがちだが、実の所中身はとっても優しくて可愛らしいのだ。
さながらイメージはハスキー犬といったところか。
「じゃあ、あなたはこっちのでいい?」
「え、…うん?」
手渡されたのは縁の部分に赤のラインが入ったマグカップ。つまりは今彼の手の中にあるものの色違いというやつで。
「気に入ったならお揃いで買おうか。」
その言葉に、思わず視線を上げた。
ぶつかった瞳は相変わらず優しくて、小首をかしげたままどうする?と私の意見を伺っている。
お揃い。
それは実を言うとずっと欲しかったもので、けれどねだるのも恥ずかしくてずっと言えなかったものでもある。
まさかのサプライズ…。
お互いいい大人だけど部屋で楽しめるマグカップぐらいなら持ってても変じゃない…よね?
「嬉しい…。大事にするね。」
念願のお揃いだと思えばじわじわと嬉しさが湧き出して、両手でカップを包み込んだ。
このカップは絶対に割らないようにしなければ。
「そんなに喜んで貰えると思わなかったから、俺も嬉しい。」
私の手の上から更に手を添えて、少し屈んだ彼はそう言って破顔した。
その動きに合わせて、ふわりと彼の香りが揺れる。
「待ってて、もう少ししたらまたお揃いを贈るから。」
親指で私の薬指の根元をひと撫でして、彼はそのままカップを取り上げてレジの方へと進んでいく。
「えっ、待って。どういうこと?」
「さぁ?どういうことだろうねー?」
あぁこの顔、絶対教えてくれない時の顔だ…。
私以上に彼はなんだか嬉しそうで、そんな顔を見ていればまぁいいかという気持ちになってくる。
返品不可だから絶対受け取ってね、なんて少し怖いことを言われたけれど、彼は私を喜ばせるのが得意だからきっと大丈夫。
帰ったら早速あのカップで珈琲を入れよう。
それを片手にソファーで引っ付いて、彼が見たがっていた映画を一緒に見ればいい。
一緒に見たいものも、一緒にやりたい事もまだまだいっぱいある。
その一つひとつが思い出に変わる頃には、私達の関係もまた変わっているかもしれない。
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