サンタがジャージでやってきた

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 先ほど食べた卵焼きが、胃の中で鉛に変化する。 「うん……、やっぱり、そうか」  それ以上の言葉が出てこなかった。  分かっていたこととはいえ、最愛の人間を苦しめ、結果として死なせてしまった事実は、想像以上の痛みを伴ってこれからも私を苛むのだろう。  しかし、次に柳太が口にした言葉は私の想像の真逆だった。 「ママが苦しそうで、見てるのが辛かった、って」  涙が溢れるよりも少しだけ早く、え? という声が漏れた。 「僕はほとんど覚えてないけど、あのときのママはいちどもパパの目を見ようとしていなかったんだって。ずっと目を逸らしたまま、苦しそうにパパの悪口を言ってたってパパが教えてくれた。ねえママ、どうしてパパにそんなこと言ったの?」  私は思わず目を閉じる。  私の空虚な言葉など和樹にはお見通しだったのだ。  常勝だった私がコンペで負け、抱えきれないほどのプライドに圧し潰されそうになっていたことも、何もかも。  誰にも苛立ちをぶつけられず、世界でいちばん優しくしてくれる和樹にしか本音を言えなかったことも。  今度こそあふれ出した涙に押され、私は立ち上がって柳太を後ろからきつく抱きしめた。 「ごめん、柳太、ごめんね! みんなママが悪いの! パパが出て行った日、ママは自分がちょこっと傷ついただけで、それ以上にパパを傷つけてしまったの! そうしないと、あのときママがママじゃなくなりそうだったから! ママがすごく弱かったから、誰かに甘えないと、誰かを支えているって実感がないと生きていけなかったから! だから柳太のこともむりやり塾に通わせて、時間で縛るルールを決めて! 本当は私がいちばんわがままなのに!」  柳太の背中に顔をうずめてひとしきり泣いたあと、私は膝から崩れ落ちるようにして床にへたり込んだ。  しばらくの間そうしていると、今度は柳太が椅子から立ち上がるのが分かった。 「これからは、僕がいるよ」  首の後ろから伸びた手は私の胸の前で組まれ、いつか聞いたのと同じセリフが耳を柔らかく包み込んだ。 「……和樹?」  私が目を閉じて手を握り返すと、それは確かに子供の手だった。  しかし背中から伝わる熱とその暖かな雰囲気は、私が行き詰まったとき、いつも優しく後ろから抱きしめてくれた和樹のそれと同じだった。 「違うよ、僕はパパじゃない」  私の耳には、柳太と和樹の声が重なるようにして届いていた。 「ママが好きな卵焼き、これからは僕が作るよ。まだママが知らない隠し味があるんだ。それでね、パパが、これからは僕がママのことを守っていけって。色んなことがあるだろうけど、ママは自分が選んだ最高の人だから、ちゃんと僕がそばにいてあげろって」  気がつけば、柳太の声は涙声になっていた。  何度もしゃくり上げ、涙のせいでうまく言葉が出てこないらしい。 「それが、パパの、最後のメッセージだって。パパはもう死んじゃっていないから、ママに、ずっと愛してた、って伝えて、くれって。最後、消えちゃう前に、笑いながら……そう言ったんだ!」  そこまで言い終わると、柳太はまた声を上げて泣き出した。  そうか、柳太は知っていたのだ。  和樹がもうこの世にいないことも、二度と会えないことも。  きっと、私に和樹からのメッセージを伝えるまでは泣かないと決めていたのだ。  ああ、なんと強い子なのだろう。  きっと和樹から私を守るよう言われたことで少しでも強い男になろうとしたのだろうが、まだ7歳の子供にはまだまだ支えてくれる存在が必要だ。  いや、これからは私と柳太、互いに支え合わないといけない。  それが和樹の望みでもあり、私たちの歩むべき道なのだ。  パパ、パパと泣きじゃくる柳太を抱きしめながら、私の中でいつしか心は固まっていた。  私は柳太の涙をそっと指でぬぐい、顔を近づける。 「柳太は偉いね。泣きたいのをずっと我慢してたんだね。私なんかよりずっとずっと強かったんだね」  柳太は何度もしゃくり上げながら私の目を見ている。 「ママね、決めた。会社辞める。パパとママの生まれた長野に帰る。それでじぃじとばぁばの家で一緒に暮らすの。柳太はどう思う?」  柳太は少し考えるようにして尋ねる。 「塾は? お勉強しないとママ怒るもん」  私はできるだけ優しい笑顔を作る。 「大丈夫。塾なんて行かなくても、勉強なんてどこでもできるんだから。それにパパは、自由に遊んでるときがいちばん勉強になるって言ってたよ」  柳太が泣きながら微笑んだ。 「じゃあ、もう塾の先生にもママにも怒られなくていいの?」 「うん、今までママの都合を押し付けて、叱ってばっかりでごめんね。ママ、すごく間違ってたってパパと柳太に教えられた。これからは、いいママになるね」  柳太の笑顔が目の前にあった。  こんなに屈託なく笑う柳太を見るのはいったいいつ以来だろう。  それもこれも、私の目が、心が曇っていたからだ。  きっと和樹は、私たちを良い方向へ導くために現れてくれたに違いない。 「ありがとうね、和樹」  そう呟いた言葉が彼に届くのかは分からない。  でも、それでいい。  私が、素直に感謝を伝えられる人間になるための、これがその一歩目なのだ。  今はどこにいるかも分からない和樹に、私は心の中で何度も何度も頭を下げた。 「柳太、明日は休みだから今日は遅くまでママとお話しよっか。パパと話したこと、もっと聞かせて?」  うん! と言った柳太は、冷蔵庫からサイダーのペットボトルを取り出してソファーに寝転がると、最高だー! と手足をだらしなく伸ばした。  そこにはもう和樹の姿も面影もなく、ただ愛しくてたまらない自分の子供が私の前で最大限にリラックスしている姿があるだけだった。  その様子にどこか頼もしさを感じた私は冷蔵庫からビールを取り出し、卵焼きの乗った皿を持って柳太の横に座った。  これが、このゆったりとした時間がこれからの私たちの日常になる。  そのためにも、明日、実家に電話をしよう。  一緒に暮らさせて欲しいと頼んでみよう。  想像の中で、私と柳太が野原を駆け回っている。  またあの大自然の中へ戻るのが今から楽しみで仕方がなくなってきた。 「和樹、メリークリスマス!」  高々と掲げたビール缶に、こつりと何かがぶつかったような気がした。  少しだけ驚いたが、まあ、それもありなのだろう。  私は柳太のサイダーとビール缶をぶつけながら、誰もいない天井に向かって小さくウインクをした。  喉を落ちてゆく炭酸の刺激に、私は大事なことを聞くのを忘れていたことに思い当たった。 「ねえ柳太、パパは今日、どんな服着てた?」
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