サンタがジャージでやってきた

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 僕が塾からアパートに戻ってきたとき、通りの向かい側にある公園の時計は5時だった。  いつもは賑やかなのに、すっかり薄暗くなった公園で遊んでいる人は誰もいなかった。  きっとみんな、サンタさんからもらったプレゼントをパパやママに自慢してるんだろうな。  僕だってそうしたいけど、ママは土曜日なのに、しかもクリスマスだっていうのに、いつもどおり夜遅くまでお仕事。  お昼も夕ご飯もちゃんと作ってくれていたけど、ひとりで食べるのはあんまり美味しくない。  みんなで笑って食べるご飯は、すごく美味しい。  そんなとき、アパートの隣にある立派な家から僕が考えたとおりの楽しそうな笑い声が聞こえてきて、僕は思いっきり耳を塞いだ。  ただいま、と言っても誰の返事も返ってこないのは分かっているけど、僕はどうしてもドアを開けるときに、ただいま、と言ってしまう。  だっておととしまではママがお仕事で遅くなっても、パパがお気に入りのソファーに寝っ転がりながら、おかえり、って言ってくれてたから。  でもそんなパパも出て行ってもういない。  僕がまだ幼稚園の年長組の冬、理由はわからないけれどいきなりママと大喧嘩して、小さな荷物を持って飛び出して行ったのはなんとなく覚えてる。  その後のことはよく覚えていないけれど、とにかくそれからパパはいちども帰ってきていない。  ママは、パパとはバイバイしたんだよと言ってるけど、そんなの勝手だよ。  だって僕はバイバイしてないんだから。  だから僕の中では今でもパパはパパのままなんだ。  いつも一緒に遊んでくれて、お風呂に入ってくれて、おもちゃを買ってくれて、ときどき怒って。  あったかくて、大好きなパパ。  僕はそんな大好きなパパがいなくなったことが、今でも信じられない。 「パパ、戻ってきてよ」  僕はなぜか突然、すごくパパに会いたくなった。  それはきっと、さっきの楽しそうな笑い声が羨ましかったからだと思う。  でも、サンタさんは人のことを羨ましがるような子のお願いなんか聞いてくれない。  だからきっと、パパは戻って来ないんだ。    薄暗い通路を進んで部屋の前に着いた僕は、今日もドアを開けながら、リビングのいちばん奥にまで聞こえるように、ただいま、と言った。 「おう、おかえり」  背中から聞こえた声にびっくりして振り向くと、5メートルぐらい離れた通路の真ん中に、ネズミみたいな色をしたジャージを着たパパが驚いたような顔をして立っていた。  それからあたりをキョロキョロして、僕に話しかけてきた。 「柳太、俺のこと、分かるか?」  僕があまりのことに声を出せないまま小さく頷くと、パパは自分の手を見つめてから顔を上げた。 「ただいま」  たったそれだけだったけど、少し照れくさそうに、そして、すごく嬉しそうに言っているのが分かった。  その瞬間、僕は思わず大きな声を上げそうになったけど、ママから周りに迷惑がかかるから大声を出しちゃダメだと言われていたので、頑張って我慢した。  嬉しくなって僕がパパに走って近づこうとすると、パパは両手を広げて腕をピンと張って、近づくなのポーズをとった。  急ブレーキをかけた靴の音が通路に響いた。  なんで久しぶりに会ったのに抱きついちゃダメなのか訳が分からないでいると、パパが、ごめんと言ってから頭をかいた。 「ソーシャルディスタンスってやつだ」  なんだ、そういうことか!  納得がいった僕はカバンからママに持たされている殺菌スプレーを取り出して、自分の手にかけた。  次にパパに近づいて両手にかけてあげたけど、うまくかからなかったのかスプレーが地面を少し濡らしてしまった。 「ごめんな柳太。それをかけてもお前に触ったらダメなんだ。もしそれでお前が具合悪くなったら、ママにどんだけ怒られるか分かんないからな」  パパはうんざりしたような顔でそう言ったけど、僕はその顔がとても面白くて、つい大きな声で笑ってしまってから口を両手で隠した。 「それにしても、柳太は大きくなったなあ。あれから2年だもんな、そりゃそうか」  パパは腕を組んでなにか考えるようにしていたけど、すぐに腕をほどいて僕の前にしゃがんだ。 「柳太、せっかくだから久しぶりに家の中に入れてくれるか?」  僕は思いっきり首を振って、うん! と答えた。  アパートの廊下を進む僕の後ろから、パパは嬉しそうにあとをついてくる。  僕は玄関からリビングへ向かうとき、なんだか嬉しい気持ちと一緒に、ちょっとだけ恥ずかしい気持ちになっていることに気づいた。  理由はすぐに分かった。  僕は、パパの近くにいることが照れくさいんだ。  あんなに会いたかったパパがそばにいるのにあの頃とは違うような、そんな気持ちになっていた。  それはパパが言うようなコロナとかそういうことじゃなく、ずっと会っていなかったからこそ、最初はすこしだけ距離を置かないといけないような感じ。  とにかく嬉しくてはしゃいでしまいそうなくらいドキドキしてるけど、ようやくパパが会いに来てくれたから今日は絶対にいい子でいなくちゃ!
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