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ピンク色のテキストボックスに詰め込まれた文字列が私を笑っているようだった。
お前のセンスなんてそんなもんだったのさ、もういい加減に気づいたらどうだ。
15インチの画面に並べられたオブジェクトたちもこの2年もの長きに渡って続いている私の不調を揶揄するかのように乱雑に散らばり、そのまとまりのなさはまるで今の私の心を如実に投影しているようだった。
12月25日、クリスマス、休日出勤。
まもなく5時になろうとしている土曜日のオフィスには私の他に誰もいない。
聞こえるのは空調から漏れるわずかなモーター音と、ときおり巡回してくる警備員の足音だけだ。
午前中には火急の仕事を抱えた何人かが不承不承といった様子で作業をしていたが、彼らも昼を過ぎたころからひとり、またひとりと減っていき、陽が西に傾く頃には私だけがモニターと睨めっこに興じていた。
こんな日に好んでプライベートを切り売りするような人間など、よほど仕事が好きなバカか、私のように崖っぷちに立たされている人間しかいない。
まあ、会社にしてみればまともに結果も残せない私もバカという言葉で一括りにされる側なのだろうが。
私は背筋を伸ばすついでに見通しのいいオフィスをぐるりと見回してから、また目の前の現実と向き合うことにした。
とは言えかれこれ30分ほど私はこの画面から離れられないまま何度も文字を入力しては消し、年齢と味覚の相関と書かれた表を画面上のあちこちに彷徨わせていた。
来週末に迫った新商品開発のプレゼン資料は、焦れば焦るほど私の努力を跳ね返してしまう。
これじゃあまるでダイラタンシーみたいだ。
その言葉が頭に浮かんだとき、今回のプレゼンで紹介する菓子の原料が小麦であることに思い当たった私は思わず吹き出した。
慌てて周りに目を走らせても、滅多に笑わない私の貴重な姿を目撃する人間などどこにもいない。
乾いた笑いが漏れた。
私の口から溶け出した、あーあ、というやる気の欠片も伺えない音は、四方に散らばってオフィスのあちこちへ滲んでゆく。
緊張の糸が緩んだのか、目の前の画面への興が削がれてしまった私はふとコーヒーを欲している自分に気づいた。
迷うことなくリフレッシュという名の逃避を選択した私は、オフィスを出ていつもの半分程度に灯りの落ちた廊下を休憩室へと向かった。
自販機の脇にあるキャビネットから取引業者が置いていった冊子をひとつ手に取り、そのままの流れで缶コーヒーを買う。
やはり人の気配の全くしない休憩室の整列された机の間を迷うことなく窓に向かって進んだ私は、普段であれば取り合いになる窓際の一等席をゆうゆうと確保した。
ため息混じりにプルタブを開けてから冊子をめくると、美しい瑠璃色の器をふたりで寄り添いながら持つ陶芸家の夫婦がこちらに笑顔を向けていた。
器の美しさに目を惹かれてなんの気なしに記事を読み進めると、この奥方は旦那さんと付き合っていた頃に難しい病に犯されて死を覚悟し、当時まだ恋人だった旦那さんの前から姿を消しているとのことだった。
しかし数年後、奇跡的に病を克服した奥方が旦那さんの元を訪ねると、旦那さんは新しい恋人を作ることもなく、病からの回復を信じ、戻ってくるとも分からない奥方を待ち続けていたらしい。
記事を読み終えた私は、思わず長い息を漏らした。
なんとも美しい話だった。
生きているかすら分からない相手を信じ、待ち続けるという道を選んだこの陶芸家の心には、迷いのない一本の真っ直ぐな柱が立っているのだと思う。
私にもそんな強い気持ちがあったのなら、プライドを捨てて自分の姿を受け止められる寛容さがあったのなら、和樹は今でも私たちのそばで笑ってくれていたはずなのに。
同じ街で生まれ、私の夫となった和樹は2年前、私たちの前からいなくなった。
その決定的な原因を作ったのは、他でもなく私だ。
商品開発部に異動してからというもの、新商品開発のプレゼンで三年ものあいだ負けなしという記録を打ち立てた私が初めてコテンパンに負けたあの日。
ボロボロに打ちのめされた私がアパートに帰ると、グレーのジャージを着た和樹はお気に入りのソファーに寝転びながら息子とじゃれあって遊んでいた。
残業もなく、休日出勤などもってのほかという縛りの緩い会社に就職した和樹は、残業や休日出勤が当たり前という私の代わりに息子の面倒も見てくれたし、家事も積極的に手伝ってくれていた。
しかしその日の私はどす黒く染まった感情のフィルターを透かして物事を見てしまっていた。
部屋の奥、ソファーに寝転がるそれは和樹ではなく、努力することもなくただ漫然と定時に帰ってくるだけの、人の形をした肉塊にしか思えなかった。
そこからは思っていることもいないことも含めて、ありとあらゆる人格否定と罵詈雑言を羅刹の如く和樹にぶちまけた。
普段から私の理不尽なわがままですら笑って済ませ、私好みの少し変わった味付けにしたオムレツを焼き、買い物の時には必ず荷物を持ってくれ、他の何よりも私たちのことを優先して考えてくれていた和樹に、一方的で理不尽な言葉を延々と、延々と。
息子が泣き喚こうが、和樹が今まで見たこともないような表情で私を見ていようが、そんなことはお構いなしに私はただ敗北した自分から目を背けるため、気持ちの向くまま言葉の暴力をふるい続けた。
いったいどれだけの時間、私が和樹を罵倒していたのかは覚えていない。
最後はうなだれて動かなくなった和樹に向かって、私は猛毒を浴びせ続けた。
もう限界だ。
ソファーからゆっくりと立ち上がったかと思うと、いくつかの荷物をカバンに詰め、玄関先でたったひとことそう言い残してアパートを出て行ったきり、和樹はそれから二度と部屋に戻ってはこなかった。
それからすぐに始まった私たちを他人に戻すための法的な手続きは笑ってしまうほど無機質なまま進み、当然のように子供の親権は私に転がり込んできた。
あれから2年。
もう、2年。
私はあの日の敗北を引きずり続け、あれからいちどもプレゼンで勝てないまま32歳になった。
息子にはパパと私はバイバイしたのだ、と曖昧に事実を伝えている。
いずれ私があの日に和樹に犯してしまった過ちも含めて、息子には本当のことを話さなければいけないタイミングが来るのは分かっている。
しかし私はどうしてもそれができずにいた。
凝り固まったプライド、子供に嫌われたくないという恐怖心、そして、最愛の人を最低の形で失ったという事実。
それら全てがないまぜとなって胸の奥で渦巻き、起きてしまったことを受け入れられずにいるのだ。
窓の外にはわずかに残った西日に照らされたビル群が、まとまりのない棒グラフのように不均等に並んでいる。
私はぬるくなりかけたコーヒーを口に含み、舌の上で弄んでから嚥下する。
喉を下る感覚に、和樹の作ってくれた料理の味を思い出していた。
その視線の先で、ひとつ、またひとつとマンションの窓に明かりが灯ってゆく。
きっとあの窓明かりの向こうでは、たくさんのサンタクロースが子供たちに笑顔を与えたのだろう。
我が家のサンタクロースはまだ息子が寝ているうちにこのオフィスに向かってアパートを出てしまっているため、果たしてソファーの上に置いてきたラジコンカーが彼を笑顔にしてくれたかは知る由もない。
普段から何も文句を言わずに私の言うことをちゃんと守ってくれるいい子なのだから、きっと喜んでくれているはずだ。
そう思うしか、なかった。
なぜサンタクロースは、子供にだけ願いを叶えにやって来るのだろう。
私にだって心から叶えて欲しいことがあるのに、どれだけ望んでもあの髭のおじいさんは私の前には現れてくれないのだ。
そろそろ柳太は塾から帰った頃だろうか。
私が帰る前に塾の宿題を済ませ、冷蔵庫にしまってある肉団子を食べ、ラジコンを走らせ、風呂に入り、そして。
誰とも口を聞かぬまま、笑うこともなく、眠る。
昔はそこに親子の会話と笑顔があったはずなのに。
その欠けたピースはもう埋まることはないのだ。
そう考えた瞬間だった。
唐突に、本当に唐突に声が漏れた。
「戻ってきてよ、和樹」
会いたかった。
和樹に会いたかった。
会って、あのときのことを心から謝りたかった。
許してくれなくてもいい。
あの日の後悔をずっと引きずったまま年を重ねることに比べたら、私が浴びせたより何倍も醜い言葉で罵られた方がマシだ。
強がりを脱ぎ捨てて、ごめんなさいと言えたらどれだけ幸せだろう。
いちどだけ、たったいちどだけでいいから、私に、柳太に会いにきて欲しい。
窓ガラスに反射した私の顔は、驚くほど素直に感情を表に出していた。
私は流れる涙を気にもせず、薄闇に飲まれてゆく東京を眺めながら声を殺して泣いた。
目の前のマンションにまたひとつ明かりが灯った。
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