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愛を与えて
好きと性欲の境は曖昧で区別するのが難しい。
唇を合わせた時だけ、相手の本心が分かる。
言い聞かせるだけわけではなく、ただ感じたままの湧き上がったままの感情そのもの。
だが、それを持ってしても本当に相手が好きなのかは分からない。
それでもそれを知りたくて、今日も唇を合わせる。
貪るように舌を絡めて、相手が今覚えている感情の全てを食らう。
舌を絡め合わせれば、どんな相手でも性欲と興奮をはらみ続ける
発情とはよく言ったものだ。
ただの身体の興奮とは違う、相手を求め食らい付くしてしまいたいという感情の発露。
肌を重ねるのは好きだ。
重ねれば重ねるほど、感情が濃く強く激しくなっていく。
食らって、自分のものにする。
相手の事なんてなんとも思っていない筈なのに、感情を食らって暫くは目の前の相手がとても魅力的に見える。
肌を会わせるのが気持ちいい、触れられる事すら快感だ。
相手が抱いている感情と自分が抱いている感情が重なる瞬間、恋ってのはきっとこんな感じなのかと思いを馳せる。
触れれば触れる程、満たされる幸福感。
キスをしなくても、こんなに強い思いを抱ける連中が羨ましい。
この時だけは、俺も相手を好きなのだと強く実感する。
だが、長くキスはしていられない。
キスが長引けば長引くだけ、相手の感情の移ろいを感じてしまう。
感情が冷めきった相手のゴミを見るかのような目も嫌いじゃない。
寧ろ好きかもしれない。
だが、何かが足りないとも思う。
出来るだけ、長くキスをしていたい。
その一心でキスだけはやたらと上手くなった。
感情を全部食らい付くしても、発情だけは扨せ続けられる程度には。
相手を貪る事しか考えられないように出来るようには。
次第に、快感と幸福感の違いは分かるようになってきた。
満たされると、満ち足りるは違う。
俺と口づけを交わして満ち足りる幸福感を味わう相手は、俺の事が好きなのだろう。
そういう相手は感情を奪った後でもまた俺に同じ感情を向ける。
だがそれも、何度も重ねるうちに喪失感を埋めるための執着か、快楽への依存か、よく分からなくなってくる。
好きという感情は難しい。
ただ一つ分かるのは、肌を重ねた幸福感が芽生えなくなった相手は俺を道具としてしか見ていないということだ。
恋愛が分からない俺には、それを好きじゃないと言い切ることは難しい。
例え道具であっても、扱いが粗雑でも、思いが俺に向いているのならそれは俺を好きだと言うことに他ならないのじゃないかと。
好きという感情は難しい。
けれど一つだけ分かるのは、どんな感情も身体的な兆候を自分の思いたいように解釈した錯覚なのだろうと。
だから、俺は錯覚し続ける。
相手が俺を好きだと言う限り、全てを受け入れる。
少なくとも、俺はそれで幸福だ。
相手が幸福感を獲れば得るほど、俺も気持ちよくなっていくのだから。
わかり始めた筈の幸福感と快感の違いも、より強い快感で次第に輪郭を失っていく。
気持ち良ければ、それでいいだろ?
なのに、俺は今日も恋をしたいと思う。
振り回されて、悩んで悔やんで、すがって満たされて。
俺も人並みの恋がしたい。
ときめきを、切なさを感じたい。
快感や快楽の前では霞んで消えてしまう、儚い物だからこそ魅力的で堪らない。
誰かに俺に恋をさせてくれ。
それが出来ないのならせめて、これが愛なのだと錯覚させて欲しい。
今日も俺は唇に手を伸ばす。
自分に無いものを渇望するように。
より濃い感情を食らうために、逆なでし、揺さぶって、甘やかす。
偽りの幸福感を手にするために。
どうか、俺に愛させてくれ。
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