わたしはねこである【1】

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わたしはねこである【1】

 わたしは猫である。名前、という概念は理解の範囲外だ。野良を経験した猫は簡単に呼称が変わる。主人はわたしのことを「ねこちゃん」という呼んでいるが、これを名前とするならばわたしは「ねこ」または「ねこちゃん」であると推測される。しかし「ちゃん」というのは敬称であり、そうでなければわたしに「ちゃん」を付けた場合、「ねこちゃんちゃん」という回りくどく冗長な呼び方をしなければならなくなる。もし任意の人間が個を認識するための文字列を名前として捉えるのであれば、わたしの名前は「ねこ」であると考えて良い。 「ちゅーる、食べる?」  現在の主人、彼女には柚月(ゆずき)という名前が付いている。柚月はバッグから棒状の包みを取りだすと、それをわたしの目の前で左右に振った。わたしはそのなかに半液状の飯が入っていると知っている。彼女が開封した包みの先を舌ですくい取っていると、わたしはいつの間にか彼女の左腕に持ち上げられていた。人間に持ち上げられたときの妙な浮遊感は好きではない。  人間はこの半固形状の飯を「味が薄い」などと言うが、こいつの本質は魚や肉の旨味、それから風味にある。本来のものに付加価値を与え、原型を見失ってしまうのは人間の悪い癖だ。  そして此処(ここ)にも一人、余計な価値を見いだそうと考え続けた結果、本来の価値を見失ってしまった哀れな人間がいた。「行こうか」柚月が車のエンジンを起動させると、わたしの周りは耳を塞ぐような騒音にぼうっと包まれてしまった。  彼女が生きていることの意味を見失ってしまったらしいことは、仕事終わりの彼女の口から溢れ出る言葉たちによって充分すぎるほど理解させられていた。わたしたちを乗せた車は、彼女が自殺するため、樹海へ向けて走り出した。この点に於いて、わたしたち猫と人間は似ていると言える。猫も死期を悟ったとき、知人の前から姿を消すことがあるのだ。
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