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数日後、南方は教授として勤める帝慶大学の大教室で学生達を前に心理学の講義をしていた。
南方は黒板にチョークで『インターネット掲示板での殺人予告』と書くと学生達へ振り向いた。
「最近、こういった事件が頻繁に起こっていますね……」
頷く学生達。
「現代人にとって、ネットの掲示板とは普段の社会生活を営む上で着けている仮面を脱ぎ捨て、感情や欲望を解放するストレス発散の場ではないかと思います。そこでキーワードとなるのが……」
『匿名性』と南方は黒板に書いて丸で囲んだ。
「これです……インターネットの中では誰もが姿も素性も分からない透明人間になれます。人は自らの言動に責任が伴わないとき、欲望や悪意を剥き出しにすることがあります……それが憎しみや暴力性に火を点け、殺人予告にまでエスカレートするのです……」
不意に学生の一人、柴崎理香が手を挙げた。
「はい。柴崎さん、質問ですか?」
南方に声をかけられると理香が立ち上がって質問した。
「そのような言葉の暴力から私達はどのように身を守ったらいいのですか?」
南方は微笑みながら応えた。
「そのために、私達は今、こうして心理学を学んでいるのです。人の心の働きと仕組みを理解することで、私達は言葉による暴力に冷静に対処することができます……」
「教授は本当にそうお考えなのですか?」
「そうですが……何か?」
「いえ……ありがとうございました」
理香は着席すると、何かを訴えかけるように南方の顔をじっと見た。
刹那、講義の終了を告げるチャイムが教室内に響いた。
南方は理香から視線を外すと学生達に言った。
「今日の講義はこれで終わります」
教室を去っていく南方の後ろ姿を理香は見つめ続けていた。
その夜、南方が自宅の書斎でパソコンの前に座り、論文の執筆に没頭していると『メール着信1件』のメッセージが画面の隅に現れた。
メールソフトを起動させると、新着の件名には『南方教授へ』と表示されている。
南方は少し訝りながらもメールを開いた。画面には『殺害予告。明日、あなたの命を頂きます』という文面が現れた。
「な、なんだ……これは……?」
不意に電話のベルが鳴り響いた。
南方はびくりと体を震わせた。一度深呼吸をしてからパソコンの脇に置いていたスマートフォンを手に取る。
「もしもし……」
「先日はお世話になりました。警視庁捜査一課の三島です」
南方は思わず安堵のため息を漏らしつつ「刑事さんですか……」と掠れた声で言った。
「夜分すみません。早急にお礼を申し上げたくて。矢神の家を捜索したところ、押収したUSBメモリの中から被害者女性を隠し撮りした写真が大量に出てきましてね。教授の推理通りで。本当に助かりました」
「いえ……でもよかった。これで一件落着ですね」
「それが……移送中に逃げられてしまいまして……矢神の奴、まだ捕まっておらんのです」
「えっ!」
一瞬、南方の脳裏に不気味に微笑む矢神の顔がフラッシュバックした。スマートフォンを持つ手が小刻みに震える。南方の目はパソコンの画面に表示された『殺害予告』に釘付けだった。
「あれ? 教授? もしもーし!」
電話の向こうから聞こえてくる三島の声に応える余裕すらなく、南方はスマートフォンを手にモニターを見つめるばかりだった。
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