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翌日、南方は大学に出勤すべくいつもの時刻に自宅を出ると駅へと向かった。
昨夜はメールの『殺害予告』と逃走中の殺人犯、矢神の青白い顔が頭から離れず、一睡もできなかった。
彼にとって通い慣れた通勤路は今やどこに死の危険が隠れているとも知れない恐怖の空間へと姿を変えていた。
特に通勤客で混み合ったホームの端を歩く際には足が竦んでしまった。
ホームへと電車が迫ってきて、不意に南方の後ろにコートを着た男が立った時、彼はぎょっとして思わず脇へと飛び退いた。
電車が停車しドアを開くと、怪訝そうに南方を見るコートの男が新聞を手に車内へと乗り込んでいった。
南方はホーム上のベンチに崩れるように座り込み、額に噴き出たあぶら汗を手で拭った。
危険を感じる度に電車を降り、背後に足音が聞こえると路地に逃げ込む。尾行者を撒こうとひどく遠回りまでしてどうにかこうにか講義開始ぎりぎりに大学へとたどり着くと、南方は教室へと駆け入った。
大教室では既に学生達が静かに着席して、南方を待っていた。
動揺を隠して教壇に上がる南方の姿を学生達が目で追っていた。
静まり返った教室に不審がりながらも南方はマイクのスイッチを入れ、できるだけ明るい声を出そうと努めた。
「それでは、講義を始めます……」
「教授……」
柴崎理香が立ち上がり、ピストルを取り出すと南方へと構えた。
それが合図であったかのように教室中の学生達が次々と立ち上がり、南方に向けてピストルを構える。
「せーの!」
理香の掛け声とともに学生達が南方めがけて一斉に手にしていたピストルの引き金を引いた。凄まじい火薬の破裂音と硝煙が室内に溢れた。
南方は腰を抜かし、這うようにして教卓の裏に転がり込んだ。
そのころ、とある路上には赤色灯を回転させている覆面パトカーが停車していた。その車内へと吉崎と石渡によって押し込まれる手錠をはめた矢神の姿があった。二人の刑事に左右を固められ、観念したようにうなだれる矢神を乗せた車が走り去っていく。
破裂音が止むと、南方は恐る恐る教卓の陰から教室内を覗いた。室内は火薬の香りと煙が充満し、色とりどりの紙吹雪が舞っている。
学生達の持つピストルの銃口からはカラフルな色紙の帯が飛び出していた。
火の点いた蝋燭の立ったケーキを手に理香が南方の下へと歩いてきた。そしてニコッと笑うと背後の学生達に向かって「せーの!」と元気に掛け声をかけた。
「お誕生日おめでとうございます!」
学生達の斉唱に南方は放心したようにぽかんと口を開けて突っ立っていた。
「皆で実験してみたんです。心理学を学べば殺人予告にも冷静に対処できると教授が仰ったことが本当かどうか……大丈夫ですか? 教授?」
くすくすと笑う理香と学生達。
「はあ……やられた……」
苦笑いを浮かべながらふらふらと立ち上がると、南方は蝋燭の火を吹き消した。
学生達による温かな拍手と笑いが教室中を包む。
その中心で南方は情けないやら嬉しいやらでひたすら顔を赤らめ、照れていた。
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