【転がる境界線】

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【転がる境界線】

 背筋へ氷を落されたような感覚が、僕を支配していた。(おそ)る恐る、問いかけようとし── 「かわいいっ!」  逢沢が喜びの声をあげる。 「こりゃ、ずるいぞ! 最初の会話は儂に譲らんか!」  気づけば僕は、恐怖から渦巻いた嫉妬とも呼べる感情を、赤子のように(わめ)き散らしていた。 「ランカ!」 「ふふぉっ!」  懐かれた嬉しさと、賢さを称える尊敬が、言葉にならない言語として口を昇る。もはや研究対象としてではなく、愛着を覚えていた。  僕はインコゥーを愛でるように撫でながら、ただひたすらに言葉を待つ。どうしても、喋りかけられたくなったのだ。 「ナマムギナマゴメナマタマ!」  ? 「なまむぎなまご……?」 「ナマムギナマゴメナマタマ!」  ついに言葉の意味はわからなかったが、僕は(ほほ)を緩めながら繰り返そうと試みる。 「なまむぎなまごまなまたゃな! なかなか難しいな」  逢沢が羨ましそうに僕を眺めていることに気づき、両手をそっと差し出す。 「落すなよ?」 「安心してください。所長の滑舌より落ちる手は存在しません」 「言いおったな? インコゥー、とびきりのやつをお見舞いしてやれ!」  笑いながらインコゥーを受け取った逢沢へ、またテープが擦れるような奇声が響いた。 「タンジョウビオメデトウッ!」  簡単な難易度へと、逢沢が胸を撫でおろすような声音で繰り返す。そして悲しげに、僕へとインコゥーを返した。 「誕生日……。確かかつての人類の多くは、限りある生を謳歌する為に、毎年お祝いを行ったそうです」    耳へ指をいれずに喋る逢沢を見て、僕は真面目な態度で問い返す。 「毎年?」 「ふふ。1年ごとって意味ですよ。誕生した日を喜ぶんです」 「そうか」  インコゥーの言葉よりも理解できた逢沢の言葉に、僕は人とその他生命の境を感じてしまう。そしてその冷たい感慨が、両手の中で徐々に冷たくなっていく温度を感じることを、(にぶ)らせた。
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