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ヤンバルでは混乱を極めていた。
ストークの執務室は人でごった返している。
シギたちがせっせと教会中の椅子をかき集めて差し出すが、全然数は足りなかった。
「どうすんだ、これ!おお?ストークさんよ!」
海賊の一人がそう言うと、ほかの者もそうだそうだと同調する。ほとんどは海の民だが、中にはヤンバルの者もいた。もう一方では同じようにわあわあと声が上がる。
「そもそもはお前たち海賊のせいだろう!」
そうだそうだと、今度はヤンバルの街の商人たちから声が上がる。同調するのはほとんどがヤンバルの住民だが、中には海賊のことが嫌いな海の民がそうだそうだと言っている。
「うるさい!うるさい!うるさーい!」
大男たちに囲まれながら、ストークは負けないどころか全員の声をかき消すほどの声を上げた。傍にいたアーロンは耳がつぶれるのかとさえ思ったほどだった。
「そもそもとか、もそもそとかどうっっっだっていい!今はな、とにかくヤンバルを守ることが大事なんだ!」
「だから、どうやって守るんだよ!」
「うるさいな、今考えているんだ!」
「それによ、西施さんよ、てめえ、いったいどれだけの船を浅い海の連中に貸したんだよ」
西施はストークの背中に隠れながら、にゅっと顔を出した。
ぐっとにらみながら商人たちを指さす。
「なによ!こいつらが悪いんじゃない!どうせね、お母さまがきてごらんなさいよ、浅い海も深い海も関係ないわ!どっちも私の国のものにされちゃうんだから!」
さすがにこの高飛車ぶりにはストークも含めて全員が声を荒げた。
「「「「「何言ってるんだお前は!」」」」」
ぎゃんぎゃんと部屋中の誰もが騒ぐ。
「お前のせいだろうが!」
「そうだ!お前が阿片なんか持ち込むせいだろ!」
「うるさいな、おい、僕より騒ぐな!一番怒っていいのは僕なんだからな!」
ぎゅっとまたストークの背中に隠れた西施をアーロンが覗き込むと、はんべそになりながら膝を抱え込んで座り込んでいた。
「だって、だって・・・・私が一番悪いのはわかってるもん」
「とりあえずそれを皆に話すところからなんじゃないか?」
「嫌よ!!嫌ったら、嫌!私はね、謝ったら死ぬの!」
背中で聞いていたストークは、深い溜息をつく。ちら、とアーロンを見上げる。
ああ、彼は。
そのあまりに落ち着き払った様子に、アーロンは舌を巻かずにはいられなかった。アトリと年も変わらないだろうというのに、ストークはこの混乱した会場を納めるつもりなのだ。
もしかしたら、最初からそのつもりだったのかもしれなかった。
何をするべきなのか、少なくとも彼は理解している。
「おい」
「ん?」
「この手はなんだ?」
「・・・・・すまない。つい」
アーロンは自分でもよくわからなかったが、気が付けばストークの頭を撫でていた。周囲は互いに喧嘩をするのに夢中でそんな二人と二人の後ろでべそべそする西施のことなど気にもかけていなかった。
「ストークは、頑張っているなと思って」
「・・・・ふん!当たり前だ、頑張っているんだ、僕は!」
そういうとストークは椅子の上に立った。
「おい!西施は自分が悪いというのはわかっているんだ。この僕がきいた!とにかくだ、そのよくわからん連中どもがやってきたときに、ヤンバルを守ればいいんだ!」
「荷物はどうするんですか!」
商人たちが騒ぐ。
「いちいち騒ぐな!荷物?はっ!返すわけないだろう!ヤンバルのものは僕のものだ!そんなもの、あいつらの目の前で海に投げ捨ててやる。それで帰るだろ」
アーロンは黙っていたが、内心それでは逆なでするだけなのではないかと思った。同じように思ったのは海賊も商人たちも同様で、煽ってどうするんだとみんな一丸となってわめく。
「うるさい!どうするかは僕がきめていいんだからな!すくなくとも、ヤンバルから阿片なんかは手に入らないとわかるだろう。そこにまた別の連中が来るんだ。西施の話では、西施の国のやつらにとっては浅い海も深い海も一緒なんだろう?」
「そうよ」
「だったら、そんな状況で僕たちヤンバルと戦うか?僕ならしない。それで海賊たちと力を合わせたらなんとかなるんじゃないか?」
小さな声で西施がなんともならないわよ、とぼやくがストークは無視した。
「司教さんよ。俺たちは頭の命令がねえと動いちゃいけねえ。そう決めたのはヤンバルのバカみてえな法律だったんんじゃねえのか」
うぐ、と初めてストークが言葉に詰まった。
「い、今はいいだろう、そんなことは!」
商人がそう言うと、さすがに海の民たちは睨み返した。
「おめえらはよ、法律だ税金だなんだって言っては俺たちから土地を奪ってきたじゃねえか。なのによ、自分たちが困ったらそんなこと言うのか」
「そうだ、それはお前たちの言う通りだ・・・」
「ストークさま!」
「うるさい、だまれ!そもそも海の民もだれもかれも、皆僕の民だ!いいだろう、ホークだ!あの馬鹿が戻ってきたらホークが命じるままに動くがいい!それに、土地も約束しよう!」
「・・・・いいのかよ、そんな約束して」
海賊たちはどよめいた。商人たちは焦った様子でストークの名前を呼ぶ。
だがストークは動じなかった。
「いい!今決めた!」
「・・・・あんた、馬鹿だなあ」
もともと海賊たちは自分たちの海であるヤンバルを守るつもりではあったので、ストークの大胆な提案に目を丸くした。
「君たちは知らないかもしれないが、ヤンバルは君たちの友人なんだ」
アーロンは不思議だった。
どうしてこんな少年が、この豊かな都市のすべての重責を担っているんだろうか。
「それは商人たちもだ。いい機会だから皆ちゃんと覚えておけ。天使の天秤には羽が乗っている。その羽はそれぞれの運命をつかさどる。君たちは自分の運命を手に入れるために、天秤に何をのせるつもりだ。己の運命に釣り合うものだ」
不思議とストークの言葉に誰もが耳を傾けた。
それは西施さえもそうだった。
部屋の外から中をうかがっていたシギに、ほかの司祭が遠慮がちに話しかける。
「さすがですね」
シギはうなづく。
「ええ。人生をヤンバルに捧げよと、決められてしまったかわいそうな子ですが、私は誰よりも彼にふさわしいと思っています。必ずお守りしなくては」
「はい」
教会に仕える誰もが、シギたちの会話に深くうなづいた。
ストークの教え諭すような声が続く。
天窓から光が差し込んで、椅子の上に立つストークを照らす。
「僕は母の腹にいるときにその天秤の上にのせられた。ぼくはそれに満足している。だから覚えていろ、お前たちが何を天秤に乗せるつもりかは知らないが、僕は己のすべてをのせられた。そして僕自身もこれからも僕のすべてを天秤にのせていくつもりだ。ぼくの欲しい天使の羽には名前がついている。それは自由だ」
「自由・・・」
それは誰のつぶやきだっただろうか。
誰かのこぼした小さな言葉は、まるで水面の波紋のように全員の胸に届く。
「ヤンバルは自由を求めるすべての者の友人だ」
***************************
「大変だったね、アトリ」
アトリはトートに連れられて島の奥へ来ていた。
「うん。でもね、ヤンバルに行ってよかったなって思ったの。アトリ、なんにも知らなかったから」
「そっか・・・」
ホークから、アトリから、それぞれにヤンバルであったことを話した後、マゲイはホークだけが残るように言った。トートは迷うようなそぶりをしたが、何か思うところがあったらしくこうしてアトリを連れ出してくれていた。
「トートは知ってた?檳榔売りって何なのか」
「うん。知ってたよ。たぶん、アトリだけじゃないかな?」
「え~、なんでアトリだけ知らなかったんだろう!」
アトリは素直に驚いた。
どうして自分だけ。
「アトリがお話ちゃんと聞いてなかったから?」
「たぶん、おばあさまがアトリに教えたくなかったからだよ」
「おばあちゃんが?」
「うん。おばあさまはね、アトリに本当に翼をあげようとしていたんだよ」
「どういうこと?」
アトリの問いに答えるよりも前に、トートはああここだと言って、つないでいたアトリの手を離した。開けた場所のそこは木々が柔らかく湿っていて、光に照らされるしずくなどはまるで真珠のようだった。
草木の間に石でできた墓標がいくつも立っている。
一番大きな石のところにトートは手を置いた。
「アトリはもう知ってもいいと思うんだ。アトリは今までのアトリには戻らないんだろう?」
「・・・うん。アトリ、アトリがなりたいアトリになるの」
「だったら、おいで」
トートは不思議だった。
アトリの兄のような人だったが、いつも静かで、何も語らない。
だから今日はとてもよく話してくれていた。
静かで、たおやかで、これから虫たちが騒ぎ始める少し前のような、そんな朝のような人だった。
「ここだよ、手を当ててごらん」
傍にきたアトリの手を取り、トートは墓石に触れさせる。
彫り込まれた形を指でなぞって、アトリはあ、と目を開く。
「・・・・・おばあちゃん」
その鳥の形は、おばあちゃんと呼んで慕った、彼女の鳥だった。
「どうして?」
トートは静かにアトリのそばに膝をつく。
「いいかい、アトリ。私たちはお墓がないわけじゃない。この島の、この場所に刻まれるんだ。それを皆に隠すのは、ほかの島の人に隠すためだよ。だから私たちには鳥の名前が付くんだ。私たちにだけわかるように。ここがお墓なんだと誰にも言っちゃいけないから、本当は教えちゃダメなんだ」
「・・・・アトリ、言わないけど、でも」
「お前は島を出ていく。だから教えてもいいと思った。覚えていて欲しいんだアトリ。島の皆は決してお前を、私たち檳榔売りをいじめようとしているんじゃないんだ。ほかの島の人たちから守ろうとしてくれているんだよ」
じわじわとアトリの心を満たすものがあった。
アトリはなんだか泣きたかった。
「トート」
「うん?」
「あのね、ちょっとだけ、アトリのことぎゅってしてくれない?」
アトリのその言葉に、トートはふっと顔をほころばせた。
「いいよ、おいで」
「うん」
トートは優しく抱きしめてくれた。
それがとてもやさしくて、アトリはどうしてマゲイが檳榔売りのトートを愛しているのか、その理由がよくわかるような気がした。
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