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「陛下、危のうございます」 「・・・こんなに遠くまで来たことはなかったけれど」 朝もやの立つ海の上で女王は船首に立つ。 銃を構えた部下たちが周囲を囲む。 彼らはかすんだ視界から、化け物がとびだしてくるのではないかと危惧していた。 「悪くないわね」 「どこがですか・・・」 一番年かさの部下がそう溜息をつく。 女王の考えていることはわからない、と首を振る。 いつどこから怪物が出てきてもおかしくはないが、奇妙なくらいに海は平和だった。 夜明けの霧がかった景色が晴れていく。 閃光のような朝日が船団を射抜く。 風が波を撫でる音がする。 その音はまるで女王の故郷の草原のようだった。 「なんだ、あれは」 誰かが何かを見つけたようだった。 「なあに?」 水平線の向こうへ目を凝らす。地平線を見慣れた女王は、なぜだろうか水平線にもどこか好ましい印象を持っていた。 小さな船影のようだった。 帆をたたんでいる。 光でかすんでよく見えないが、それが白い船だということが、目利きの女王には誰よりも早く見て取れた。漁民にはみえない。旅人でもない。人妖でもない。 「ヒトだ」 船にむくりと立ち上がる人影。 しなやかな腕が横いっぱいに広げられる。 人影は髪からかんざしを引き抜いた。 朝日の光とともに、人影へ追い風が吹く。 風になびく色は黄金 その瞳は晴天のごとく青かった。 「誰だ? あの姿はわが国の者か?」 部下たちのいぶかしがる声を遮るように、突然女王が船首の柵の上に上って立ち上がった。 その唇は弧を描いていた。 「娘だわ」 「え?王女さまがたは今営巣地に・・・」 「馬鹿者。あれは西施よ。妾の子とはいえあれも王女のはしくれだわ」 失言をした部下の表情がさっと曇る。謝罪のことばを口にしてすごすごと下がるが、女王はそんなことは気にもならなかった。 思ったよりも早く西施の船は女王の船団へ近づいてくる。 瞬き一つせず、両手を広げたまま船の上に立ちすくむ娘。 「話があるようね。船を止めよ!」 あっという間に船団は帆をたたんで碇を下ろす。浮き木のついた白い小舟が波形を描きながらゆっくりと船団に囲まれていく。 近くで見ると、西施は奇妙な服を着た奴隷を一人連れているだけだった。 わが娘ながら、貧弱なことだと女王は内心では溜息をついていた。 どうしよう。 一方で西施の心は緊張で波打っていた。 思ったよりも速く母はヤンバルに近づいていた。 あと一息であの美しい島々を視界に入れてしまう。 ここで何とか足止めして、ホークが海賊と商船たちを引き連れてやってきてくれるのを待つしかなかった。ただ、懸念はまだまだある。 「西施・・・こんなにたくさんの船、アトリあんまりみたことないな」 読み違えていた。 海賊たちをすべてまとめても、この半分にも満たないのではないか。 「私もよ」 久しぶりに見る母は、変わらずに不敵な笑みを浮かべていた。 美しい衣装に装飾品を惜しげもなく身に着けているが、腰には剣を携えて、背中に銃を背負っている。私だと母はわかっている。そんな確信があった。 「陛下!陛下の4女であります、西施でございます」 ありったけの声を張り上げる。 母ではなく、周囲の船団の者たちに聞かせるためだ。 もしも戦闘になどなりそうなときは、すこしでも戸惑ってほしい。 自分の王女としての価値を人質に、どこまでヤンバルを守れるんだろうか。 西施はあのヤンバルの、ストークの執務室を思った。 商人も、海賊も、聖職者も、よそ者も。 いがみ合いながらも皆してこの街を守るために、ああでもない、こうでもないと意見を出し合うことが許されていた。悪かったことを認めれば、さんざん怒られたが、見下されてみじめな扱いなどされなかった。 ヤンバルは自由を求めるすべての者の友だ。 そうストークが言っていた。 自由。 そう、自由が欲しい。 人からなにも奪わない自由。 何も奪われない自由。 祖国の血で血を洗う戦争を繰り返す日常に比べたら、西施にとっては阿片などおもちゃの様だった。命のやり取りをしないという自由を、手に入れたくてたまらなかった。 たとえ一生祖国のことでさげすまれても、そんな日常を手に入れられるなら構わなかった。 天秤の先にはお前の欲しいものが載っている。 そこに釣り合うものを、お前は何をのせるんだ。 宗教心など西施にはわからない。 だが、自分のやらなくてはいけないことが、あの時わかった。 「西施、頑張って・・・っ!アトリ、この船を抜けて、いつでも逃げられるからね!」 ひそ、とアトリがささやく。 涙が出そうだった。 「うん」 母はじっと見降ろすだけで、何も言葉をかけてくれない。母の夫であり部下の一人が声を上げる。 「何用か、西施殿」 「お詫びに参りました!」 詫び、という言葉に母は眉一つ動かさない。母の部下たちは怪訝そうな顔をする。 「この度のご出陣、私の部下が誤った手紙を奏上したことが原因と聞いております。平にお詫び申し上げます」 微動だにしない女王とは違い、ほかの船ではざわざわと人々がざわめく。 「ここ以降の海は大変に貧しい海です。私の部下もこの海以外知らぬゆえ、浅慮を起こしてあまつさえ陛下に書状を送るなどという無礼を働きました。私の教育が行き届かず、誠に申し訳もありません」 身を低くしているように、と事前に西施から言われていたアトリは、ぺったりと船底に張り付きながら西施の難しい言葉を聞いていた。アトリ自身は母という者を知らないが、これがとても普通の親子の会話ではないことだけは、よくわかった。 「西施」 やっと女王が口を開いた。 「何が言いたいの」 女王の言葉は短かった。 ただ十分に西施を追い込んだ。 「・・・・・・・・・・・祖国へお戻りください!」 覚悟を決めて大声で嘆願する。 広げた両腕が痛かった。 西施の言葉にどこの船でもひときわざわざわと騒がしくなる。 「この海は危険です!人民は狂暴で資源は貧しく、海賊が跋扈し無教養な者が支配しております!今陛下が手に収められても一切の利益はありません!」 するとははは、と母は笑い声をあげた。 「私の目的はお前が巻き込まれた小競り合いの仲裁よ。建前を忘れてしまうなんて、馬鹿な子」 すると女王の部下たちは笑い声をあげた。 確かに、西施の言い分はどうみても女王が侵略に来たのだと、そう言いたげであった。 「陛下が私の身をご案じくださるなど、身に余る光栄です」 しかし西施は表情を変えなかった。内心では、確かに母の言う通りだと思ったが、自分の祖国はヤンバルとは違うのだということを腹の底から呼び覚ました。 過ちを認めるなど、敗者のすることなのだ。 「私も陛下の血を分けていただいた身として、このような未開の海を己の力で納めてご覧に入れたかったのです」 ぴくり、と女王の柳眉が動いた。 「・・・お前にも野心があると?」 「もちろんでございます!」 西施は堂々とふるまおうと必死だった。 アトリには、西施の足が震えているのが見えた。 「西施・・・・」 成し遂げたいことがあって あの言葉を思い出す。この船団を止める方法が、アトリにはわからない。自分にはできないとさえ思う。 だからこそ 自分にできると確信できるものに出会うこと。 それが己の成し遂げたいことであること。 それこそが運命なのだと 「陛下の手を煩わせるものではもちろんございません!ここから先の危険は、負うべくもありません!」 短気でものぐさなものが多い祖国の人々は、これほどに訴えかけられて戦意などほとんど持ち合わせない。ただあとは女王だけが、帰ると言いさえしてくれれば。 女王にだけは、あのヤンバルという存在を気付かせたくなかった。 「そうやって隠し事をするのね、西施」 その言葉に一気に血の気が引く。 「嫌だと言ったらどうするつもりなの?もちろん、私に逆らうつもりはないのよね。そういうことなのだと、今自分で言ったのよ」 やはり、帰るとは言ってくれないようだ。 ぎり、と奥歯を噛みしめる。 視界の端で、アトリがいつでも帆を張れるように縄に手をかけていた。 もう限界だった。 「馬鹿じゃないの!?」 西施の声がひびく。 「なんでそうやって、略奪することしか考えてないの!?アンタたち馬鹿なんじゃないの!まともな商売もしないで、相手が自分より弱かったら、根こそぎ全部持って行ってしまうから、だから私たちはこの世界中のどこでも嫌われるのよ!」 「なんという無礼な!陛下に向かって何を!」 「私はアンタたち全員に言ってるのよ!どうしてこんな遠い海に、こんな大勢できたのよ?わからないとでも思っているの?略奪するためでしょう?言ってみなさいよ!女王から略奪を禁じられている船があるなら、今ここで私にいいなさいよ!」 わあわあと周囲の船から怒号が飛び交う。 「そんなもん、女王が禁じるわけねえだろうが!」 「略奪できねえんなら、こんなとこ来るか!」 正直な男たちは目的を隠そうともしなかった。 「ほら!みなさいよ!馬鹿みたい!何が私を助けるよ、そんなこと少しも思ってないくせに!」 西施は怒りと失望で涙があふれだした。 両手を翼のように広げ続ける。 それは祖国の風習だった。両手を広げている者だけは撃ってはならないのだ。 「この海の何を知っているの!?檳榔売りも、浅い海も深い海も、何も知らないんでしょう!?この海の潮の流れは?宗教は?歴史は?海に何が住んでいるのか、陸地がどれだけあるのか、何も知らないくせに!何も知らないのに、今から奪おうとしているのよ!」 女王は不快そうに眉をひそめていた。 「アンタたち!戦闘になったら誰一人として死なないと思っているの?必ず誰かが友と家族を失うのよ!仕方のないことだと思い込まされているわ!少しでも他者を知るつもりがあれば!歩み寄るつもりがあれば!誰も命までは失わないのよ!私たちはそんなことをしなくても生きていける!血が流れるのは、いつも女王のせいよ!」 怒号は止まなかった。 女王への批判さえし始めた西施に、女王の夫の一人が顔を真っ赤に赤らめて震えていた。 「妾の子の分際で、無礼にもほどがあるぞ!死んで詫びろ!」 銃口が向けられたと同時に、西施はアトリの上に覆いかぶさった。その瞬間、長筒から荒い火薬の音ともに鉄の石弓が放たれる。それはアトリの船の帆の支柱に命中し、ばきっという音を立てて海面に落ちてしまう。 「ああ!アトリの船が!!!」 「ごめん、アトリ!!ごめん、ごめんなさい!」 ぎゅうっと西施はアトリを抱いた。自分の体で覆い隠すように。絶対にアトリを傷つけさせない。 そんなことさせない、そう強く思っていた。 次に銃声を覚悟したが、それはなかった。はっと見上げると、母がその夫を切りつけていた。 「貴様、私が産んだ子に何を!」 「・・・・お母さま・・・」 西施は呆然とつぶやいた。 母があれほどに髪を振り乱して怒っている姿を見たことがなかった。 「へ、陛下!しかし!」 言い訳をする夫は取り押さえられていた。顔を切りつけられていて、鮮血が女王の剣についてた。 「我が国の者同士での殺し合いなど、私は認めない!!!!」 「落ち着いてください、陛下。これではあ奴が死にます!!」 「離せ!娘に銃を向けた!両手をずっと広げていたのに!娘に何の落ち度があったのよ!お前こそ死んで詫びろ!!」 興奮する女王を周囲の者たちが必死でなだめていた。 呆然としていると、数隻の船が碇を上げ始める。 「待って!行かないで!」 西施は呼びかけるが、他に後れを取るまいと次々に皆碇を挙げて帆を張り始める。アトリの船の帆は折れた。追いかけられない。 「西施さま、俺たちは生き方を変えられません」 一隻の船の上から、どこかの一族の族長が声を掛ける。 「悪く思わないでください。ひとところにとどまると妖魔がくる。これ以上は待てない」 船をまとめ、国をまとめるのは女王の仕事だが、それぞれの船そのものを支配するのは族長たちだ。女王を置いて自分たちだけで略奪を始めることなど、よくあることだった。 「俺たちの生き方を変えられるのは、あの方だけですよ」 「あ・・・・・・・」 指さす先は女王その人だった。 玉座などいらない。 そう思っていた。 そう思っていたのに。 「それに、あちらも来たようだ」 つぎつぎと船が進んでいく。 やがて女王の船も碇を挙げて、ゆっくりと西施とアトリの小舟のわきを通り抜けていく。 「西施、怪我はないのね!」 母が船首から甲板の上を走って、横を通り過ぎながら覗き込んでくる。 「ない・・・いえ、ありません」 「そう、よかったわ!」 母は笑顔だった。どの船ももう船尾しか見えなかった。 「そこにいなさい!終わったら一緒に帰りましょう!お前の父も喜ぶわ」 終わったら。 母には何一つ伝わらなかったのだ。 「まって、待ってよ!」 「我儘はこの辺にしておいてね!私たちは大きな国になって、いつかあなたの思う未来をかなえましょう」 「違うよ!!待って!行かないで!」 女王は手を振っていた。 マントをひるがえして、船首に戻っていく。 ヤンバルが。 蹂躙されてしまう。 「行かないで!!!!!!」 喉が千切れるほどの西施の叫びに、立ち止まる船はいなかった。
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