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「でたまえ」 アーロンが牢屋で一晩を明かすと、朝早くにストークの声で起こされた。 見るとストークは眉間に皺を寄せて不機嫌そうにして、腕組みをして立っていた。 「君には恩がある。ほかの囚人たちから、君がぼくの姿を見てすぐ裏切ったという証言も出ているし、ここにいる必要はない」 「君に決定権があるのか?君のような…」 アーロンは言葉を選ぼうとしたが、ストークの高飛車な答えの方が速かった。 「ぼくのような若造にか?そうとも、ぼくが決めていいんだ。ぼくがこの街の治安を守っているんだから。君の島がどんなかは知らないがね」 「・・・あのホークという男は、よっぽどアトリのやつを気に入っているようだった。彼は俺や商船の連中を捕らえる力がある。ということは、彼の意見は無視しにくいんじゃないのか?いいのか?」 「・・・・・・いいんだ」 そう言いながらも、それがストークを悩ませる問題なのは明らかだった。 眉間のしわが目にみえて深くなる。 「ホークは納得しないだろうが。・・・ホークの客人を殴ったというだけで、仲間じゃないとまで証言の出ている君を長く拘留するのもよくはない。所詮は海賊だ。海賊が優先されるなんてことは、ないほうがいい」 「なるほど」 納得ができたアーロンはおとなしく牢屋から出た。 ストークを見下ろすと、アトリとほとんど同じ背格好をしているのがよくわかった。きっと同じ年のころだと言うのに、どうしてこんなにも人というのは違う性質を持つものなのだろうか。 アーロンは勝気な目をじっと見つめた。 「君は施政者だな。苦労するだろう」 「ぼくの話がよく理解できるということは、君もそのへんの漁師なんかじゃないのだね」 「・・・俺たちの海は浅く透明で美しい。色とりどりの魚がいるが、腹を満たすのには向かない」 「そうか・・・」 「豚や鶏を育てている者が多い。俺はそこで世話役のようなことをしている。兵士のようなことも」 「そんな君がなぜアトリを?」 その質問に、アーロンは口を閉ざした。 ストークのため息が牢屋番に聞こえるほど大きく漏れた。 「まあ、いい。じゃ、しばらくぼくの周りにいてもらうぞ。示しがつかないからな。解放じゃない。それを忘れずに」 「わかった」 教会の者に服を渡されて着替えると、数名の従者たちとともにストークのそばで雑用をしなければならないと教えられた。解放の許しが出るまでは、少しの自由と少しの監視、少しの奉仕が必要だった。 アーロンは早くアトリを連れ帰らなくてはいけないという目標があったので、特に異論はなかった。ただここにきてやっと、どこかほっとしてヤンバルを見渡すことができていた。 アトリに会えば、無理にでも連れ帰ろうとしてしまう自覚があった。 カッとなって殴ってしまう気もした。 悪いことだとは思わない。 だがストークのところにいる間は、まだ解放されていないからという言い訳で、アトリにかかわらないことを自分に許せる。それが少しだけ、アーロンに冷静さを取り戻させていた。 けれどアトリの、あのおびえた瞳。 叩いた手が熱くなるような気がして、じっと手のひらを見つめた。 アトリを守ると、マゲイと約束した。 必ず妻にすると。 檳榔売りが第一夫人になどなれない。だから、そのためにマゲイは自分と結婚したのだ。周囲もマゲイと結婚しろとうるさかったので、それは問題なかった。 「アトリ・・・・」 今頃泣きはらした目をしているだろう。 どうして叩かれたのか、わかってもいないだろう。 お前が悪いんだ、というこちらの言葉を疑いもせず、自分を責めてすらいるだろう。 「知ったことか」 アーロンはそう自分に言い聞かせた。 「なにか言いましたか、アーロン」 「いえ、何も」 シギという従者は優しい物腰の中年で、教え諭すような口調でアーロンに話しかける。 「ここは教会です。心に嘘をつく必要はありません」 「・・・・・ああ、そうですか」 アーロンのそっけない態度にも、シギは別に怒らなかった。シギという人は、見返りを求めない人なので、優しくした分相手に優しくされなくても、少しも腹のたたない性分だった。その相手の態度に何の気持ちも持てない性格は、海賊のホークには、お前は人間の気持ちが少しもわからないんだ、と指摘されるほどでもある。 だからシギとしてはアーロンの態度をなんとも思わなかったが、行儀のいいアーロンは少しだけ自分のとった態度が気まずく、居心地が悪かった。シギにはそれすらも不思議だった。 「ストークさまとお客さまにお茶をお出ししてくださいね」 「はい」 ストークのところにはさまざまな客が来ていた。 ヤンバルの商人から、異国の商人。 商船の船長たちに、生活が苦しいという農民。ヤンバルに住みたいという地方の流れ者たち。 様々な訴えをストークはほとんど一人ですべて聞いている。 その仕事の多さと、奇妙なヤンバルの構造にアーロンは唖然とした。 アーロンの島でも、占い師や祭司の地位は高い。けれど島長たちのほうが身分は上だった。 「だから、そんなのは直接海賊たちにいいたまえ!」 「言えたら言っていますよ、ストークさま!奴らは海賊ですよ?無教養で字も書けない!乱暴で粗野で不潔で!まともに人の話など聞くわけないじゃないですか」 「そうです!海べりの貧民街をご存じでしょう。あそこは海賊くずれの者たちばかりだ。もともとはヤンバルの住民だったかしりませんが、犯罪に手を染めて市街地の土地を失ってあそこにいるんです。それを住む権利を認めろなどと!」 「ホークにしたってそうです!あいつは貧民街の中の大きな屋敷に住んでいますが、あれだってどんな経緯であいつの手にわたったかもわからない。きっと非道な手段にちがいありません。海の民などと言っているが、只の海賊たちですよ」 ヤンバルの住民たちの訴えはだいたいが海賊に対する苦情だった。 「ほんとうだわ。海賊に私もこまってるの」 商人たちの中にまぎれて、西施がいた。 金髪碧眼のひときわ目立つ外見をしていて、男ばかりの商工会の連中をぐるっと視線だけで黙らせると、すこしだけ困った顔をした。 「嫌ねえ、あなたたち。男の人なのに、しゃしゃり出るのはヤンバルの文化なの?慣れないわ」 西施の国では男女の権力が、ヤンバルとほぼ逆転していることなど知らない全員が、言っている意味が解らなかった。ただ西施のどこか迫力のある一挙手一投足に気圧されて何も言えなかった。 「私ね、ホークに荷物を奪われたの。どうしてくれるの?」 「それは・・・」 ストークはちら、とアーロンを見た。 その視線が厳しいものだったので、あの船にいたことを黙っていろと言われているのだと察し、軽くうなずく。 「知らん。通行証を持っていなかったのか?」 「持っていたわ。ほら」 西施が取り出したのは確かに通行証だった。 しかし、最新のものではなかった。 「最近かわったんだ。新しいものを持っていたら、ホークも荷物を奪わなかっただろう」 「へえ・・・」 西施は明らかに不機嫌になったが、顔はにっこりと笑っていた。 「じゃあ新しい通行証を頂戴」 「順番だ。おとなしく書類をそろえてヤンバルのルールに従っているんだな」 「そう」 くるっと商工会の連中の方を向いた西施は、にこにことして言い放つ。 「私が先よ。あなたたちのくだらない請願より、私が先なのよ。じゃなきゃ船を返してもらうから。わかった?書類をそろえて」 「そ、そんな無茶苦茶な」 「あなた、男の人なのに口答えしたわね。私そういうの、はしたないと思うの。もっとわきまえたらどうなの。私のほうがあなたよりも大きな商売をしているんだから、当然私が優先されるべきよ」 「は、はあ」 「次に口答えしたら、船壊しちゃうから」 西施から船を借りている商工会の全員がぐっと押し黙った。 「書類をそろえてったら!早く!」 彼らが西施とともに立ち去ると、ストークは風にあたろうと言って教会の塔の上にアーロンを連れてきた。高い塔の上からは、ヤンバルの美しい街並みがよく見えた。 「全く、通行証を変えておいてよかった。おかげで西施の荷物を止められた」 「阿片か」 海からの風が二人の髪を撫でていく。 街並みからは人が暮らしを営む声が聞こえる。 「そうだ。ホークがこんなに早くヤンバルに戻ってきてくれたからできたんだ。それはアトリのおかげなんだぞ。今回の西施の阿片からこの街の人を守ったのは、アトリだ」 「アトリの?」 「ほら、アトリはなんだか妙な船をあやつるそうじゃないか。それが大きな帆船よりもうんと早かったらしい。ホークはアトリに乗せてもらってヤンバルにうんと早く着いたんだ」 「妙?」 「よく知らないけど、船から何かとびだしてるんだろ?」 「ああ。浮き木か。たしかにヤンバルでは見かけない」 「もしかして君の島では当たり前のことなのか?だったら、皆もアトリのように速いのか?」 アーロンの脳裏には、まるで風が見えているかのような生き生きとしたアトリの表情が浮かぶ。笑顔で手を振りながら、運命の人を見つけるまで帰らないと宣言したあの日の姿。 「いいや。アトリは船の名手だ。海に出たアトリには、誰も追いつけない」 街の向こうの海を見つめながらそう話すアーロンは、いとおし気に微笑んでいた。その表情を横目で見上げたストークは、またぐっと顔を顰めた。 「どうした」 「君、アトリのことが嫌いなわけじゃないんだな」 「・・・嫌いになったことなどない」 そういいながら、アーロンは自分がアトリを強く叩いたことを思い出していた。 「じゃあなんであんなにもアトリのことを悪く言ったんだ?アトリ、泣いてたし、謝る必要のないことで謝っていた」 「謝る必要のないこと?」 「花を売ったり、靴を履いたり、お金を受け取ったり。そんなのはだれからも責められることじゃないぞ」 「それはヤンバルの話だ」 ストークはまたため息をついた。 「なんだ」 「君は、頭が固くて頑固者だ。気の強い人とはうまくいかないだろうな」 なぜかアーロンの脳裏にマゲイが思い浮かんだ。 「いいか?ここは君の島じゃない。ヤンバルだ」 ストークの指がアーロンの胸にトン、と充てられる。 「アトリが望むなら、ヤンバルはアトリを守る」 「まってくれ、それはだめだ」 ストークの言葉にアーロンは焦る。そんなことになっては、アトリを連れ戻せない。 連れ戻せなければアトリは。 アトリは。 焦る表情をみて、ストークはまたため息をつきたかった。 アーロンがアトリを害しようと思っていないことなど、ストークには最初からわかっていた。自分のことをアトリだと思って助け起こした彼の表情は、本当にこころからの不安と心配が現れていたからだ。そんな人間が、アトリの頬を腫れあがるほど強く打った。 この青年が何か事情を抱えているに違いなかった。 それに口走った檳榔売りのくせに、という言葉がひっかかる。 たしか檳榔売りというのは意味のある言葉だったはず。 「言え。君がアトリを連れ帰らないといけない事情はなんだ。ちゃんと話せ。でないとヤンバルは絶対にアトリを渡さないし、ぼくだってアトリと君をもう会わせることだってしない」 ストークの言葉にアーロンはぐっと体を緊張させた。 拳にちからがこもる。 アトリ。 言葉にできなかった。 いつでも笑顔で、無鉄砲で、世間知らずで、朗らかな幼馴染。 マゲイと、自分と、アトリと。 まるで兄弟のように仲が良かった。 でも今は。 「このままここにいたら、アトリは」 その声は震えていた。 アーロンは首から下げていた天秤が描かれたお守りを、ぐっと胸の前で握りしめた。 運命の人なんかどうだっていい。 アトリに嫌われたって、それがどうしたというんだ。 何もわかっていないのに。 だれも教えようとしないのに。 アトリだけが。 アトリだけがいつも。 「アトリは殺されてしまうんだ」
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