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「殺される…?」 ストークは冗談だろうという表情をしたが、アーロンが真剣であることは十分に理解できた。 「なんだってそんな物騒な話になるのだ」 アーロンはぐっと奥歯を噛みしめて、革細工のお守りを握り締める。 皮に模様を描いて刻まれている柄は天秤。 皮肉にもストークたちの教会が紋章として掲げているものと同じものだった。 「・・・教会の中で、天秤の紋章を見た。俺たちの島も、天秤を大切にしている。与えられたものと同じものを与えなければならない。そして、奪われたなら同じものを奪わなければいけない」 「・・・・・・・・・・過激な教えだな」 「そうだ。だから、檳榔売りがいるんだ。事故で子供を死なせてしまったら、同じものを差し出すのが筋だ。でもできるか?罪のない子供をそのために殺すなど」 「できないだろうな。だが」 「そうだ。でも子供を失った親は納得はしない。だから、だから、罪を犯した者の子は檳榔売りにならなければいけないんだ。一生檳榔売りとして、島に仕えて暮らすんだ。財産もなにも持たせずに」 「アトリは罪人の子なのか」 アーロンは黙って頷いた。 「そうなのか・・・」 「昔は命は命で償っていた。でもあまりにもかわいそうだから、檳榔売りができたんだ。昔だったらアトリも、生まれた時に死ななければいけなかった。ただ愛する人を失った相手は納得しない。だから掟ができた。檳榔売りは一生島から遠くへ出てはいけない。もしそんなことがあったら」 「・・・・・・殺されてしまうのか」 「ああ」 鬼気迫る様子でアーロンがアトリを怒鳴りつけていた理由が、ストークには納得できた。 「まだ守れる。アトリを妻にすれば、アトリは檳榔売りではなくなる」 「アトリはそのことを知っているのか?」 はっとアーロンは顔を上げた。 それが彼の一番幼い表情に見えた。 「アトリは・・・・・・・!」 涙さえこぼれそうだった。 「何も知らない。教えられない。何も知らないように育てたんだ・・・・。皆して、アトリに嘘をついて・・・・・。かわいいやつと、甘やかして・・・・っ、お前は馬鹿なんだからと教え込んで・・・・っ」 「アーロン」 「腹が立って殴ったのかもしれないな。俺はあいつのあの無邪気なところが大嫌いだよ・・・っ。あんな・・・・・っ、あんな・・・・っ」 「アーロン」 アーロンは声を震わせて、やがて立っていられなくなり、その場に膝をついた。 自分の胸ほどの高さになったアーロンの頭を、ストークは思わず抱え込んだ。 大きな体格の青年が肩を震わせて、嗚咽のような涙を流していた。 「あんな・・・・っ、何も悪くないのに・・・・っ、一生、檳榔売りでッ、自分だけあばら家で、履物も許されずにッ、貝殻なんかで買い物をさせられて、墓も立てられない・・・・ッ」 履物を履いて、お金をもらい、オレンジや花を売っていたアトリ。 それを見てアーロンは激怒していた。 「檳榔売りだからッ」 「そうか・・・・」 この青年は。 同じことをアトリに激怒して、頬を張り倒した時。 その時の整理のつかない感情はどれほどのものだっただろうか。 大丈夫か、アトリ! そう言ってストークを助け起こしたあの、今にも心配で死んでしまいそうな顔。 港では何も知らないアトリが、島の掟をほとんどすべて破って無邪気に出迎えていた。檳榔売りという制度をこれほどまでに不条理だと思いながら、アトリに訪れるかもしれない運命を思うと、アーロンにできる精一杯が、頬を打つという暴力だった。 お前が俺にこんなことをさせるんだ! 恐怖と後悔がごちゃ混ぜになったアーロンの叫びに、本当に寄り添える人間はだれもいなかった。アーロンはただ無情な人間として扱われたのだ。 それにあがこうともせず、アーロンは自身の行いに対する罰を受け入れていた。 「そうか、君は。君は自分が間違っていると、わかっているんだな…」 ああ、それでも。 それでもアーロンはアトリを連れ戻さずにはいられないのだ。 ストークはぎゅっとアーロンを抱きしめた。 ヤンバルはその日も美しかった。 どんな悪も善も、その美しさの前では関係がなかった。 誰のことも救いはしない。 ならばどうしてこの青年とアトリは、こんな運命になってしまったのだろうか。 ストークは羽の生えた女性が持つ、あの天秤を思った。 その天秤は、運命を量ると言われていた。 ********************* 「檳榔はいらんかね~」 ヤンバルの夕日の中で、アトリののんびりとした声が響く。 「やあ、アトリ。檳榔おくれ」 「おじいちゃん!」 道に椅子を出して日没までの時間を過ごしていた老人が呼びかけると、アトリはうれしそうに駆け寄る。ぺたぺたと裸足で駆け寄る様子を見て、おやと眉を上げる。 「サンダルはどうしたんだい?」 「うん・・・・・。あのね、おじいちゃん貝殻持ってない?」 「貝殻?持っとらんぞ」 「あのね、アトリね、これからやっぱり、貝殻で檳榔売ろうかなって、思ったの」 しゅんとしょげかえっているアトリを見て、話がよく分からなかったが、とにかく何かにアトリが悩んでいることだけはわかった。 「アトリ、お前は商売人じゃないか。ちゃんと対価を受け取っておくれ」 「・・・・・それだとね、駄目なんだって」 「ふむ・・・・」 老人は少しアトリを見た後、やおら立ち上がった。 「ちょっと待っておれ」 そう言って家の中へ入っていったあと、紙にくるまれた何かを持ってまたすぐに出てきた。 「アトリ、そんなに言うならこれと交換しよう。ホットサンドだ、ベーコンも入ってる。ホークのくそがきとお食べ」 「いいの?」 「いいとも。さあ、元気を出して」 アトリはぎゅうっと老人に抱き着いた。 ちいさな体から強い力が込められているのを感じて、老人は優しくアトリを撫でた。 「ありがとう!」 「昔は檳榔売りも多かったんじゃがな。皆どこに行ったんじゃろうな」 「・・・・・うん」 ホットサンドを貰って帰る道すがら、アトリはおばあちゃんのことを思い出していた。 運命の人を探すように教えてくれた彼女。 彼女は。 考え事をしていると、ふと道の先に誰かが立っているのが見えた。 「アトリ」 「ホーク!」 駆け寄るとホークは眉をひそめたが、手を大きく広げてくれた。 アトリはうれしかった。 ぴょんと身を任せると、おおきなホークの腕が当たり前のように抱え上げてくれた。 「うまそうなものを持ってるな」 あ、とホークが口を開けると、合点がいったアトリがホットサンドを口に入れてやる。 うまいうまいともぐもぐ食べる様子をみて、アトリどうしてだかほっぺがじんと甘く痛いような気がしてにこにこした。 「貰ったんだよ!おじいちゃんが檳榔と交換してくれた」 「・・・・・お金を取らなかったのか?今日一日?」 ホークにはわかっていた。 アトリがアーロンに言われたことを悩みながらも受け止めていることを。 ソファの下にしまい込まれたサンダルと銅貨。 どれだけアーロンの言葉に従わなくてもいいんだと諭しても、アーロンだけは嘘ついたりしない、とアトリはそればかり繰り返していた。 二人で夕日の中を歩いていく。 アトリの頭が、こてんと肩口におちる。 「アトリ、アーロンにごめんなさいした方がいいと思う?」 「思わない」 「でも、アーロンこんなに遠いのに、アトリのために来てくれたし」 「アトリ、それとお前とはなんの関係もないことだぞ」 「そうなの?」 ホークは少し立ち止まった。 「心のままに、なんだろう?アーロンが求めるからと言って、なんでもアーロンの言う通りにする必要もない。アーロンが嘘をつかなかったとしても、だ。お前の心はお前のものだ。一番大切にしてやれるのは、お前だけだ」 「・・・・・じゃあ、アーロンのことは誰が大事にしてくれるの?」 「それは・・・・」 ホークは何か言いたかったが、やめた。 アトリが泣きそうなくらいに目をうるうるとさせていたからだ。 「言っただろう?アーロンの味方はアーロンだ。お前はお前の味方をすれば・・・・・・」 アトリはきゅっとまたホークに抱き着いた。 ホークはぽんぽんと背中を撫でながら、ゆっくりとまた歩き始めた。 「私はお前の味方だ」 「うん」 「ストークに頼んで、アーロンの味方になってもらおう」 「うん」 「4人でアーロンと話をしよう。いつか帰るにしても、今じゃないとお前は思っている。それに、私もアトリにここにいてほしい」 アトリはこぼれ出た涙をホークのシャツにこすりつけた。 そっと顔を上げると、ホークは困ったような顔でアトリを見ていた。 「ずっといてもいい?」 「ずっといたいのか?」 夕日がホークを照らしていた。 アトリは初めてヤンバルに来た日のことを思い出していた。 「うん。そうだったらいいなって、今日ずっと思ってたの」 ホークはアトリを抱え上げながら、もう片方の手で頬を撫でた。 指の腹で涙を拭くと、アトリがホークの手をとって自分のほっぺに押し付ける。 「アトリね、ヤンバルが好きになったな」 「ほう。ヤンバルだけか?」 いたずらのようにホークが問いかけると、アトリはふふっと笑った。 ホークの手に甘えるように頬を当てながら、アトリの瞳が見つめる。 「すき」 言った後、アトリは照れ隠しのようにまたホークにぎゅっと抱き着いた。 ああ。 ホークは思わずにはいられなかった。 どこにも帰したくない。 脳裏に浮かぶのはアーロンの言葉と、アトリの言動だった。 檳榔売りの正体について、ホークはもう察しがついていた。 なぜアトリがそんな身分にいるのかはしらないが。 アトリは。 檳榔売りとは。 奴隷なのだ。そう呼ばないだけの。 帰したくない。 帰さない。 お前にはきっと翼がある。 ヤンバルに吹く風がきっと、お前にこの空をくれるはずだ。 帰すということは、のびのびと広がったその翼をへし折ることなのだ。 だからアトリ。 渡り鳥よ。 ホークはアトリを抱きしめながら、心のままに生きろと教えたという、老女のことを思った。 感謝しなくては。 なんと賢い女性だ。 アトリの性格を知っていてなお、そう教えたのだ。 島からアトリを逃がすために。 「いつまでもいていいんだぞ」 「うん、あのね、ホーク」 「うん?」 「ありがとう」
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