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「途中まで乗せてやる。澄んだ海は浅くて俺の船は進めないから、そこからはこの小舟を貸してやる」 ホークの言葉に、荷積みの手伝いをしながらアーロンは応じる 「ああ、ありがとう。助かる」 「アトリのことは心配するな。責任を持つ。だが聞いておきたいことがある、ちょっとこい」 ホークは黒船の甲板にアーロンを上がらせ、ヤンバルの海がよく見える船首に立つ。 その背中について行きながら、アーロンは不思議な心地さえした。 これほどの大きな船を持ち、ヤンバルの浮かぶこの雄大な海原の秩序を支配しながらも、陸では誰もが冷めた視線をホークへ向けている。 特に教会に出入りするような商人や貴族連中からは、まるで野蛮人のようにさえ表現されていることが、アーロンには不可解だった。教会のストークでさえ、時折そんな口ぶりでホークに喧嘩を売る。 海原の輝きを見つめながら、ホークは広い背中から上着をはためかせている。 アーロンが近づくと、腕組みをしながら振り返った。 「お前はアトリはあくまでかわいがられていたと言ったな」 「ああ。檳榔売りは自分で生活できないから、島の皆で面倒を見る。アトリは島で一番低い身分だけれど、誰かから痛めつけられるようなことはないんだ」 「ではアトリのあの背中はなんだ」 アトリの肌の優しい感触がホークの手のひらによみがえる。中に潜って暖かさを感じながら、快楽を追いかけているうちにたまらずに抱きしめた。 背中に這わせた指に感じた瘢痕はんこん。 相当に深い傷でなければあれほどのものはできない。 「刀傷にしては妙な形だったが、背中から切りつけられたような傷だった。それも二度も」 目の前のアーロンが、アトリのことで嘘をついているようには思えなかった。 だからこそホークは問い詰めたのだが、アーロンの反応は鈍かった。 「アトリにそんな傷はないはずだ」 「なぜそう確信できる」 「なぜって・・・」 アーロンは少し視線を泳がせたが、ぎっとホークを睨んだ。 「自分の妻に、と大切にしてきたんだ。不埒な輩を遠ざけるのにどれだけ苦労したか。水浴びのときには必ず傍にいて焚火をしてやっていたし、覗こうとする馬鹿だって追い払ってきたんだ」 そしてじとっとホークを疑いのまなざしで見る。 「ホーク、まさかあなた、アトリに手を出したのか?」 アーロンはなぜか一人で妄想を走らせる。 「アトリがあなたしか頼れないことを利用したんじゃないだろうな?!」 微妙に後ろめたいので、ホークもなぜかどぎまぎとしてしまう。 「ち、ちがう!」 実はなにも違わない。 手も出した。 ホークしか頼れなかった。 だが、決してホークが仕組んだことではないのだ。 「ちがう!アトリは大事にするが、決してアトリの意にそわないことを強要したりしてない!」 「じゃあなんで背中の話なんかするんだ!」 「ふ、風呂だ、風呂!アトリが風呂に入るときに見えたんだ!」 「風呂~?!」 アーロンは疑う視線を変えなかったが、何か納得できるものがあったらしくしゅるしゅるとボルテージを下げていった。 「ああ、アトリはなかなか服を着ないし、体をふきながらうろうろするからな。道理で」 言われてみれば確かにアトリは体を拭きながらうろうろする。 あのね、あのねと話しながら。 「そう、そうだ!そうなんだ」 「そうか」 「ああ」 「ふうん」 アーロンは急に真摯なまなざしをホークに向ける。 「アトリの背中は治療が必要な状態だったか?体に障りは?あいつ、俺に言いもしなかった」 背中の傷を知らないアーロン。 けがの程度はひどいものではなかったか、と当たり前のように心配をする。ホークは自分が目の当たりにしたあの二本の傷跡が気のせいだとは思わない。ただ当然のようにアトリを気遣うアーロンが、嘘をついているとは思えなかった。 「アトリのことだ。痛かったら痛いというさ」 アーロンはそれでも心配そうなそぶりをかくせなかった。 「・・・・・・あなたに、アトリを任せていいのか。信じてもいいのか」 「約束する。必ずアトリを守る」 ホークがそう言ったときだった。 がやがやとした人込みの中から、女の声が聞こえてくる。 「だれか!アトリを止めて!行かせないで!」 人込みにをかき分けて海ににじり寄ろうとする声。 その内容にホークとアーロンははっと振り返った。 「アトリ!行っちゃだめ!」 そう叫ぶ西施の様子に次第に人垣が割れていく。 海べりで朗々と歌い上げていた檳榔売りの名前がアトリだと、ほとんどの人が知っていたからだ。 ホークの屋敷のそばに小屋を持つ海の民たちなどは、どよどよといぶかし気な様子さえ見せて、金髪を振り乱して走る西施をそろそろとおいかけた。 「アトリって、あの子だろ?」 「どうしたってんだ?」 「おい、あれは西施じゃないか?なにかまずいんじゃないか」 「なんだなんだ」 ヤンバルに住む誰もが実は好奇心旺盛だ。 騒がしいものには寄っていくし、騒いでいる人のそばには寄っていく。 いつも高飛車で我が物顔で街の商人たちを脅かして従えている少女が、もがきながら転びながら、坂を駆け下りるさまを見て、だれもが海に誘われてしまう。 その喧噪を船上から気が付いたホークとアーロン。 ホークはヤンバルの喧噪を振り返り、アーロンは風の向かう沖を振り返る。 「なんだ?」 「ああ、ホーク、あれを見ろ!アトリだ!」 アーロンが指さした先には白い帆船が帆を一面に貼って沖へと進んでいた。 鳥が翼を広げるように帆を伸ばし、アトリの意志の強さのように波をかき分けていく。 「なぜだ・・・アトリ、どうして島に戻るんだ」 呆然とアーロンがつぶやく。 ホークは背後の喧噪を一目見ると、肩に掛けた上着をひるがえして船を降りていく。 「西施だな、アトリに何があった」 「あんたがホークね・・・っ、はあっ、アトリを追いかけてよ!連れ戻して!」 船の上からは海の民の荒くれたちが、ホークの気配にびくびくしながら様子をうかがっている。 駆け寄る西施のもとへ降りていく、その一歩一歩が、機嫌の悪さを船全体に伝えていた。 「アトリが島にもどっちゃう!あんたたちが、あたしから阿片を奪ったせいよ!」 西施の語る自分勝手な経緯に誰もが耳を傾けた。 そしてその話を理解できたものから順に、驚きと怒りと不安にどよめきが波のように沸き起こる。 「・・・お前たちのせいじゃないか」 ポツリと群衆からその言葉はこぼされた。 「お前たちが、西施の荷物を奪うからこんなことになるんじゃないか!どうしてヤンバルがお前たち海賊のやったことに巻き込まれないといけないんだ!」 混乱した人々の中で、その言葉はまるで阿片のように心をとらえてしまった。 ヤンバルという未熟な街に息づく先住者と入植者との軋轢。 外敵が迫っているという危機が、その張り裂けそうな風船に穴をあけてしまったのだ。 「そ、そうよ!アトリを保護したのも、アンタたちがやったことじゃない!あたしたちは関係ないわ!西施!ヤンバルは関係ないのよ!」 息がまだ整わない西施は、不穏な空気が理解できずに怪訝そうな顔をする。 「そうだ!俺たちは関係ない!海賊たちのやったことだ!」 そうだ、そうだ!という声があちこちから上がる。 アトリを連れ戻さなければ、ということよりも、皆澄んだ海の者たちがヤンバルを攻めてくることの方が恐ろしかった。 自分たちは関係ない。 海賊がやったことだ。 だから、ヤンバルは安全であるべきだ。 自分たちは守られるべきだ。 ヤンバルは自分たちの土地なのだから。 海賊、と海の民を呼ぶ一つ一つに込められたその傲慢さ。 それは西施の稚拙な計画を機に、一気に海の民たちの気持ちを逆なでした。 「ここは俺たちの街だったのに」 声を震わせて一人の少年がヤンバルの街の住民に向かい合う。 「あんたたちが住んでる場所は皆、俺たちの家だったのに!勝手にやってきて、勝手にルールを作って!それで俺たちを海に追いやったのはあんたたちじゃないか!」 ぎゅっと少年は自分の服をぐしゃぐしゃにつかむ。 ホークはその服のしわから目が離せなかった。 止めなくては。 少年にその先を言わせてはいけない。 行ってしまえば確実に。 土地を失った海の民の誰もが、少年に共鳴してしまうからだ。 それはもちろん、ホーク自身さえも。 「俺たちは海賊じゃないんだ!ヤンバルの海の民だ!!!!」 パリ、っと空気が割れる音がする。 少年の叫び声に合わせて、青い閃光が少年の体から稲妻のように湧き上がる。 「まずい、アーロン!ストークを呼んで来い!」 ホークの声にはじかれてアーロンは坂を駆け上っていく。 海の民の誰もが少年の言葉に共鳴していた。 ここは自分たちの土地だったのに。 曾祖父ほどの代にやってきた彼らに奪われた土地。 いつしか海賊とまで呼ばれるようになった。 そして。 「教会の許しもなく魔術をつかう、野蛮人め!」 青い閃光は海の民の魔術の証。 教会から与えられた新しい価値観。 海の民にはときおり、魔術と呼ばれる力を持つものが生まれる。 それはホークもそうだった。 けれどそれこそが、教会を篤く信仰するヤンバルの街のものから厭われる最大の理由だった。 「はあっ、はあっ、はあっ、なに、これえっ!」 「離れろ!坊主、こっちだ!」 ホークは人だかりから少年を引き離そうと手を伸ばす。 しかし人に阻まれて届かない。 海の民たちは血相を変えて、近くにいる者の上に覆いかぶさろうとする。 ヤンバルの街の住民たちはまだ瞳をそびやかすものもいれば、きょとんと海賊に腕を引かれてかばわれるものもいる。 海の民は魔力を持っている。 だが。 ホークが教会の魔法学校を退学になった理由。 今も魔法を厭う理由。 海の民は荒ぶるその力を暴走させてしまうのだった。 「伏せろ―ッ」 ホークの声が響くと同時に、少年の体の閃光が船着き場を包み込む。 カッという光とともに、一気に暴風が吹き荒れる。 「うわあああああああああッ!」 「きゃああああ!」 必死で手繰り寄せた少年の体を、ホークはぐっと包み込む。 力の暴走に白目をむいて失神している少年を、爆風が収まるとすぐに海の民たちの輪の中へ渡して守らせる。 爆風の威力はすさまじく、海べりの家の窓や瓦は割れて剥がれ落ち、場所によっては船さえも帆がへし折れていた。 「化け物だ・・・・。お前たちは野蛮な、海の海賊じゃないか!」 教会で修行を積んだ者しか魔法の使えないヤンバルの街の民は、目の当たりにした海の民の力に恐怖心を抱き混乱する。 だが年端のいかない子供の心が、これほどの暴走を起こすほど追い込まれたことに対する、海の民たちの心情も非常に攻撃的になっていた。 「さっきから、なんだってそんなに偉そうなんだアンタたち陸の人は!」 「そうよ、なにが野蛮よ!アンタたちだってねえ、ひいひいおじいさんやおばあさんがあたしたち海の民の人だっているじゃないの!!」 ホークがその一触即発の人々間に割って入ろうとした時だった。 ぐっと腕を引く存在があった。 「西施」 「ホーク、アトリを追いかけて!まともな船はあんたの黒船だけだわ!」 「だが・・・・・こんな状態のヤンバルを放ってはいけない。すぐ追いつく」 「ばか!檳榔売りにほいほい追いつける船なんて、まだこの世にないのよ!」 西施は知っていた。 アトリに乗せてもらったあの船の速さを。 そして目の当たりにした、アトリという風に愛された存在を。 「いますぐおいかけて!アトリを守って!」 ぼろぼろと涙をこぼす西施をホークがまじまじと見つめていると、喧噪にまた割って入る声がする。 「騒がしいぞ!なんの騒ぎだ!ヤンバルの街のみんなよりも、ヤンバルの海のみんなよりも、えらいんだぞ、ぼくは!情緒が安定している自信のあるやつから、申し開きをするんだな!」 どうやらアーロンはとんでもない速さでストークを連れてきてくれたらしい。 ストークを肩車しながら、群衆の中に割って入っている。 腕組みをしながらストークが叫ぶ。 「いけ、ホーク!」 その声にはじかれて、ホークはかぶりをふって黒船に乗り込む。 「碇を挙げろ!アトリを追うぞ!」
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