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来てくれた!! 声が届いた! ホークは来てくれた! 鳴り響く雷鳴がまるでホークの怒気のようだった。 アトリはそんな状況にも構わず、喜びで体をはねさせる。手を伸ばそうと、腕を縛られたままもがく。 「ホーク!ホーク!あのね、アトリね、ここだよ!」 「てめえ、すっこんでろ!」 ばん、と強い音が鳴る。 甲板の床の板が頬にくっつき、じんじんを痛む頭。 張り飛ばされたのだと気が付いたのは、そのあとだった。 「・・・貴様っ」 ホークは体の中で何かが沸騰していくのを感じずにはいられなかった。 港で力を暴走させた、海の民の少年。 自分も彼と同じだった。 海の民は魔力を持っていても、ストークたち教会の者とは違ってコントロールできない。 ホークでさえ、自分の怒りと魔力が深く結びついていることは、嫌というほど感じている。魔力を使うことに慣れてしまうと、感情に力が乗りやすくなる。 そうなると、日常生活で暴走してしまう可能性が高くなってしまう。 だから。 だからホーク自身は、あまり魔法を使ってこなかった。 周囲にも魔法を使う姿を見せないようにした。 いつか暴走に巻き込まれるのではないかと、余計な不安をヤンバルの住民に抱かせることは、海の民への偏見を助長させかねないからだ。 脳裏には、あの少年は今頃どうなっただろうかという思いがよぎる。 あれほど気を付けていたのに。結局はあんな風に差別されるのか。 これがお前の答えなのか、ヤンバルよ。 故郷への失望と、アトリを取り巻く環境への怒りが、体を流れる何かを熱くする。 それが血液ではないと経験が物語っていた。 「アトリが何をしたというんだ!」 雷鳴が轟く。 これが自分の怒りのせいだと、ホークはどこかでちゃんと理解してた。 だが止められなかった。 心のままに。 求めるもののために。 いつか出会う運命を求めて、己の心を見つめるアトリ。 「うるせえ!こいつは檳榔売りだ!どうしようと俺たちの勝手だ!西施の荷物を返せ!海賊!」 「返す義理などない!アトリを置いて島へ帰れ!」 ホークの部下たちが梯子を持ち出して相手の船にかけ始める。 抜刀して近づく彼らは、あっという間に向こう側へ乗り込み、切り合いが始まる。 大型ではなく、中型小型の船を操る漁民はやはり、一筋縄ではいかない腕力と立ち回りで力は互角といってよかった。 「頭、アトリを!」 「わかっている!」 ホークも船から船へ飛び移ろうとして、はっと後ろを振り返る。 「万一の時は俺を捨てていい。黒船に皆を戻せ。どんな嵐でもヤンバルに連れ帰ってくれるはずだ」 「そんなことより、この嵐をなんとかしてくれねえと!困りやすぜ!」 ガハハハッと海の民の男は笑う。 それが落ち着かせようとしているのだと、ホークは知っていた。 「ありがとう」 「天秤のご加護を」 「お前にも」 そういうとホークは黒船の甲板から飛び移った。 殴られて気絶したアトリの髪を掴んで、浅い海の族長は剣をホークへ向ける。 痛いだろう、などと一切思われていないアトリへの扱いが、ホークの怒りを加速させる。 「その子を離せ!!!」 「しつこいぞ!こいつは俺のもんだ!」 剣と剣が高い音を立てて交わる。 ホークが剣を走らせると、雨が切っ先にまとわりついているかのような錯覚さえ、見ているものに感じさせる。 「アトリはアトリのものだ!!!!!俺のものでも、お前のものでも、誰のものでもない、なぜそんなことがわからない!!!」 雷雨が一層激しくなる。 高波に2艘の船が船体を大きく上下させる。 「か、頭!はは・・・ッ、かんべんしてくだせえよ」 「いやいや、頭、ちょっとやりすぎですよ」 海賊たちはそれぞれに戦いながら、ホークへの苦言を口にする。 海の民といえど、これほどに海を揺らす魔力を海賊たちは知らない。 誰もが簡単にこんなことができるわけではない。 だからこそ、海賊たちはホークの尋常ではない力に舌を巻く。 対話と協定で海賊たちをまとめようとしてきたホークだが、その気になれば気に入らない海賊などひねりつぶせるのではないだろうか。 その気になりさえすれば、いつでも。 その恐れは、ヤンバルの丘の住民が海の民たちに抱く不安と同じだった。それほどまでに常軌を逸した力なのだ。 「西施の荷を返せ!ヤンバルがなんだってんだ、怖くなんかねえぞ!俺たち以外にも、阿片の甘い蜜を吸いたい奴らがヤンバルに向かってる!全部西施から借りた最新の船だ!浅い島の人間をなめるなよ!」 「貴様!」 「お前たちの子供を捕まえて檳榔売りにしてやる!それで俺たちは西施たちの阿片を捌くんだ!」 ホークの瞳が嵐の暗闇に光る。 自失するほどの怒りを覚えたのは、これが始めてだった。 どこで間違えた。 浅い海の連中にこんな暴挙を許すなど、いままでではありえなかったはず。 ヤンバルが。 だからお前は俺たちを見放したのか、ヤンバルよ! その気迫に浅い海の族長は敗北を悟らずにはいられなかった。今一太刀でも浴びてしまえば、剣ごと叩ききられる予感があった。 「おい、やばいぞ」 「引け!!引くんだ!」 海賊たちが声を掛け合って黒船へと戻っていく。 高波が船を襲い、ホークを残して梯子が落ちてしまう。 「頭!」 海賊が呼びかけるが、もはやホークの耳には届いていなかった。 これほどまでに挑発を受け、己の縄張りを危険にさらされ、それでもなんとか暴走を食い止めていたのは、かすかな理性でアトリを思っていたからだ。 今ここで限界を迎えてしまえば、アトリが。 その気持ちが海の民としてのなにかを呼び起こしていた。 アトリ。 アトリ。 見返りを求めないアトリ。 心のままに生きたいと願うお前が。 ヤンバルのためにそれさえも捨てようとしたのは。 アトリ 震えるほどのアトリの優しさが そうしたいの 心のままに 心からそうしたいことが ヤンバルを救うことだったのか ヤンバルを 俺を 小さな渡り鳥のお前が 「そんなに言うなら、こいつは返してやるぜ!!へへ、いらねえよ、こんな檳榔売り、さっさと死んじまえばよかったんだ!」 「う・・うう」 太い腕がアトリを掴む。 一瞬意識を取り戻したアトリが、混濁した瞳にホークを映す。 だがその瞬間だった。 「お前の大事な檳榔売りを返してやる!!こいつの両親と同じようにな!」 黒く波打つ海の間に、アトリの体は放り投げられた。 「アトリ―――ッ!」 「頭!」 ホークの体は自然とアトリを追っていた。 自らが起こした嵐の渦の中へ、躊躇することなく身を躍らせる。 その瞬間ホークをつなぎとめていた理性がぶちっと音を立てて失われるさまが、海賊たちにははっきりとその音さえ聞こえるようだった。 「つ、掴まれ!!!!でかいのが来るぞ!!!!!」 そんな声を遠くに聞きながら、ホークはうねる波の間に飲まれる間際に、アトリの体を捕まえた。 両腕で体全体を抱きすくめるようにして黒いうねりの中へ落ちていく。 着水した瞬間に、青い閃光が海の谷間から天に向かって走る。 カッとあたり一面が光に包まれる。 呆然としている海賊と浅い海の連中の船は、文字通り天地がひっくりかえるほどの荒波に飲み込まれていった。 **************************** 「はあっ」 アトリは誰かに呼ばれた気がして目が覚めた。 体を起こすとそこはどこかの島の浜辺だった。 珊瑚の美しい砂浜ではないから、アトリの隣の島ではないことだけはわかった。 「・・・・どうなったんだっけ」 アトリは思い出そうとした。 とにかくアトリは怒っていたことはよく覚えている。 「あ、ホークが来てくれたんだった!」 そしてとにかくホークも怒っていた。 「アトリなんでここにいるんだろう」 よたよたと立ち上がるが、ぺたんと座り込んでしまう。 足ががくがくと震えていた。 「あれ・・・え?」 よく見ると指先もぶるぶると震えている。 「アトリ、どうしたんだろう」 声まで震えていた。 その時、日差しが急に遮られる。 アトリは知っていた。 太陽を背に受けて影を落とす、鷹のような男を。 「目が覚めたのか、アトリ」 「・・・っホーク!」 ばっと顔を上げると、もうだめだった。 アトリはひしっとホークにしがみつく。 ホークもアトリ同様にボロボロの姿だった。 破れた服はまだ濡れている。 「うわああああああああああああん!もうやだあああああああああああああ!全部やだですけどおおおおおおおおおおおおお!」 アトリはビー玉ほどの大きさではないかというくらいの大粒の涙を、次から次へとあふれさせた。 「おばあちゃん、心のままにっていいたのにいいいいいいいいいいいい!嘘つきいいいいいいいいい!こんなに嫌なことばっかりって、いってなかったああああああああああ!もうやだああああああああああああああああああああああ!」 「アトリ、お前・・・・」 「運命って、生まれる前に決まってたりするんじゃないのお!見つけるのって、こんなに頑張らなくても見つかるんじゃないのおおおおおお!やだもん!も、や!!!やあ!」 ひっくひっくとアトリは泣きじゃくる。 まるでホークの分までアトリは声を上げる。 「運命の方がアトリを見つけてくれてもいいじゃん!アトリ待ってたらだめなの、わけわかんないよううう!ホークも、なんでみんなからいじめられないといけないのお!なんでホークも、いじめないでっていわないのお!」 「・・・そうだな」 ホークはぎゅっとアトリを抱きすくめる。 小さな小鳥の心臓が、とくとくとなっている。 そして元気にホークの腕の中で鳴いている。 「皆なんでホークに荷物を返せっていうの!!!!馬鹿なんじゃないの!??阿片って、売っちゃいけないんだよう、知らないの!???ばかあああああ!!!!!!みんなのばかあああああ!」 「うん」 「もうアトリ関係ないし!アトリが逃げたとか逃げてないとか、もうどうだってよくなってるし!アーロンかわいそう!馬鹿みたいじゃん!アトリのこと探しに来てくれたのに!!!!アーロンのばか!」 アトリはぼかぼかとホークをたたき始める。 ホークは甘んじてそれを受けるしかなかった。 黒船に乗ってさえすれば、部下たちはおそらく無事だろうが、ヤンバルは大丈夫だろうか。 こんな状態にしてしまったのは、アトリの言うとおり、全員が馬鹿なのだ。 「ホークのバカ!」 「ああ、俺はばかだ」 「マゲイちゃんのばか!」 「・・・幼馴染か?」 「ストークのばか!西施のばかああああ!」 「・・・あの二人については俺も異論はないな」 あらかたホークをぼこすかとし終わったアトリは、最後に引き絞られるような声をだして、ふぐうっとホークの胸元へ縋りついた。 「それで、それでね、あのね、アトリが一番おばかさんなの。助けたかったの、ホークのこと。アトリが助けてあげられると思ったの。ヤンバルを危ない目に合わせないと思ってたの。でもね、でもね、だめだったの」 「アトリ・・・・・」 アトリは震えていた。 情けなくて、みっともなくて。 「アトリね、何にもできなかったの。できること、何にもなかったの。何かしたいのに、何にもできないから、何にもしないで見てるしかなかったの。ばちんって殴られて、痛いって気絶しちゃって、それで、それで、なんにもできなくて、弱くって・・・・・!」 アトリの涙は止まらなかった。 「ホークが、ヤンバルの人が・・・・・!困ってる人がいるのに、アトリには何にもしてあげられないのが、こんなに自分のこと嫌いになるって、しらなかったの、おばかさんだよ・・・・・ッ」 ホークはアトリの背中をさする。 べしょべしょになっているアトリの顔を、武骨な指の腹でぬぐう。 「アトリ、アトリがおばかさんなの、わかってなかった!もっといろんなこと知って、いろんなことができるようになって、誰かのこと助けてあげられるアトリになりたかった!!!アトリ、アトリそんなことも分かってなかった!なんで教えてくれないのって、ぷんぷんしてるだけのおばかさんだったの!!!!!」 ホークがアトリの涙を唇でぬぐう。 アトリはひんひんと顔を上げて泣き続ける。 「アトリ、アトリのこと嫌い!こんなアトリのこと好きじゃない!」 大海原をハヤブサのように飛んで、危機の前に立ちふさがってくれた小さな小鳥。 役に立たなかったと悔しがるその心が、ホークには震えるほど美しかった。 これほど素直な、勇敢さを知らない。 こんなにむき出しの尊いものが、俺の腕の中にある。 その愛しさを止めることはできなかった。 ホークはもう一度きつくきつくアトリを抱きしめた。 「アトリ。それでも俺はお前を好きだ。俺の渡り鳥のアトリ」 ぎゅうっと、強い力はアトリを少しだけ落ち着かせる。 「ありがとう、アトリ」 「・・・・ごめんねえ、ほーくうっ」 ぎゅっとアトリも大鷹を抱きしめる。 二人は離れたくないとさえ思っていた。 皮膚よりも深く、まるで互いの魂を抱きしめあうかのようだった。 「ちょっと、あたしをばかにしたのは誰の声なわけ?」 木々の間からそんな声が飛び出してきたのは、すぐのことだった。
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