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「うわっ」
ホークは思わず声を上げた。
教会の鐘の音を聞きつけた海賊たちが集まっているのはいいが、もうすでに喧嘩を始めていたからだ。
予想はしていたが、海の民たちはまとまりがなくて、気が短くてものぐさで、輪をかけて怒りっぽい。ひとところに集めるとこういうことになるのかと、辟易した。
「お前も苦労するな、こんな連中どうまとめるんだ」
船を操っていたアーロンがしみじみと言う。
「ああ、まあ、いろいろあるんだ」
ヤンバル周辺はみたこともないほどの海賊の旗であふれかえっていて、商船たちが身を縮めるようにしている。
「遅いですぜ、頭!」
「悪い。皆集まったか」
「見ての通りですぜ」
見ての通り皆集まっていたが、今から何が起ころうとしているのかは誰もよくわかっていない。ホークは黒船に乗り込むと鐘を打ち鳴らす。
「喧嘩はやめろ!いいか!今ここに向かって、大量の船がやってきている!」
ホークの声に気が付いたストークが、商船から身を乗り出す。
「おい!すべての船にあいつの声をつなげろ!」
ストークの命令で教会の者たちが協力して魔術で声を運ぶ。
「戻ってくるのがおそいんだ、あいつは!」
ホークの声は響く。
「やってくる船はもう、どいつがどいつの敵なのかわからん!難しいことは言わん!」
「あいつ・・・・馬鹿だな」
「およしなさい、ストーク。ホークはホークの仕事をしているのですよ」
シギにたしなめられてストークはうぐ、と口を紡ぐ。
「・・・・本当にお逃げにならないのですか?」
シギはストークを抱きしめた。生まれたその日からずっと抱きしめてきた。つらい運命をたどるとしても、決して離さないと決めていたから。
「大司教だぞ、僕は。逃げるわけないだろう。街の女や子供は逃げたか?」
「ええ」
「海の民もだぞ?」
「ええ。大丈夫です」
ホークの声がひときわ大きくなる。
「ヤンバルは俺たちの友だ!お前たちは友を見捨てたりはしない!」
おう、という海賊たちのこえが呼応する。
「頭、それはいいんですが、一体どうやってやっつけるやつと、やっつけないやつにわけるんです」
ホークは部下のぼやきににやっと笑った。
「俺たちはヤンバルの海賊だ!海の民だ!小難しいことはいらん!」
ごう、と風が吹く。
ホークは皆を鼓舞するものの、正直恐ろしかった。
どんな敵なのかもよくわからない。
浅い海の連中は蹴散らせるが、自分たちよりも強かったら。
だがそんな不安を見せるわけにはいかなかった。
アトリの姿が目に浮かぶ。
殺されるかもしれないとわかっていて、たった一人で飛び出していったアトリ
その勇気に比べたら。
空が曇る。
海賊たちは目を見張って、そして自分たちの血を思い出す。
何者なのか。
何処から来たのか。
「通行証を持ってない奴を捕らえろ!それがヤンバルのルールだ!!!!」
おおおおおお
地鳴りのような声が上がる。
いくつかの船では、興奮した誰もが無自覚に魔力の力をまとう。
ごうごうごうという追い風とともに海賊たちは海を進んでいく。
途中ヤンバルに向かっていた浅い海の連中を見つけて絡むことを忘れなかった。
「なんだお前ら!」
「通行証を見せろ!ここはヤンバルの海だぞ!」
ヤンバルを襲いに来ていると知った時は、町の者は皆が恐怖にいがみ合ったが、海賊たちが束になってかかるとなると全く話は別だった。
奇跡的に通行証を持っている者は襲わず、海賊たちはちゃんと結束して通行証のない船をもてあそんだ。
「こ、殺さないでくれ!」
浅い海は檳榔売り制度に見られるように、比較的話し合いで物事を解決してきた。だからあまりにも荒々しい海賊たちに圧倒されてしまうほかなかった。
「ああ?殺すワケねえだろ、海が汚れる」
そして深い海の者たちは、皆天使を信仰する民だった。
海の民はひとたびまとまるとあらゆるものを飲み込んでしまうが、無益な殺生を好むものは一人としていなかった。
好き勝手に船を荒らしてとりあえず気が済むと、黒船を追いかけてみな航路を先に進める。浅い海の者は空を見上げずにはいられなかった。
どどう、という音ともに真っ黒な雲が海賊たちの上にある。
「なんだあ、ありゃあ」
魔術の失われた浅い海の者たちはその光景に目を見張り、呆然とするほかなかった。
「なんなのよ、あれは」
娘が現れたと思ったら、こんどは一体なんだというのか。
女王は目の前に現れた見たこともない船たちに目を見張った。
どの船も一様に黒い旗を掲げていて、高い船体は女王の船を見下ろすほどだった。
「それほどの造船技術があるのね」
近づけば一息に飛び乗ってくるだろう。だがこの距離では銃が届かない。船と船の間を飛び越えるような巨大な銃でもあれば別だったが、そんなものはまだこの世になかった。
一方でホークも目を見張っていた。
「なんだ、あの量は」
船団がくると西施が言っていたが、ホークたち海賊が想像する数をはるかに超えていた。
海賊たちをかき集めてやってきたホークたちの倍はあろうかという船の数。
「っアトリは?西施とアトリはどこだ?」
船団に阻まれてアトリの小舟は見えなかった。
たどり着いたに違いない。
そしてそのあとどうなったのだ。
「お前たちは何者か!」
ホークは問いかける。
船の船首に華奢な妙齢の女が仁王立ちになった。
「我々の航路をなぜ阻む!何の権限があってのことか!」
「頭、あいつら銃をもってやがる」
「こっちの船の方がでかい。数さえなければ、奴らは不利だ」
女王の言葉にホークは答える。
「ここは我々の海だ!許可なく銃や火薬や薬を持ち込むことは認められない!」
女王はふっと笑った。
その見下した笑みに、海賊のだれもが気持ちをさかなでられる。
「海に境界線でも引いてあるものか!」
「通行証を見せてもらおう!通行証がないのであれば、おとなしくここから去れ!」
女王は部下に尋ねる。
「通行証?あいつらは何のことを言っているの?」
「さあ」
西施の言葉が少しだけ彼女の胸によぎる。
何も知らないくせに!
そうにらみつけたことは、娘ながらに感心だった。
確かにしらなかった。
これほどの造船技術を持ち、どうやら銃の存在も知っているようだし、通行証などというものを使って海を統治している。
それは西施が言うように、取るに足らない島々の行いではなかった。
彼らは紛れもなく国としてまとまっている者たちと同じ行動を取っていたのだ。何年もかけて西施は、自分がいる海の豊かさをひた隠しにしていたという事実に、女王はむしろ胸が躍った。
隠されるとその先が見たくなるというのは、人として当然の反応だった。
「蹂躙するのはたやすいと思っていたけれど、そう簡単でもないみたいね」
女王は部下たちに合図をする。
「撃て!」
無数の銃声が響く。
海賊たちは高い船体を利用して皆船の影に隠れてしまう。
人に当たらないので肉を裂くことはできないが、その代わり銃弾は船を襲う。厚い甲板や貯水壁を貫通するその威力はすさまじかった。
予告もなしにこんな戦力でヤンバルに向かっていたのかと思うと、ホークは怒りで目の前が赤く染まりそうだった。
「奴らいきなり撃ってくるなんて!」
部下たちは騒ぐ。
「答えは決まったな。奴らは通行証を見せるのを拒否した!」
決して負けるわけにはいかなかった。
ヤンバルを守らなければならなかった。
アトリに自由を教えてくれた街。
海に生きる者の友人であり続けてくれるあの街を。
あの街での未来を。
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「もうだめよ・・・もう無理なんだわ」
「西施」
アトリは伏して泣く西施の背中をさすった。
「どうしてお母さまはわかってくれないの?!どうして!どうして!」
風が湿り気を帯びていた。
「追いかけなきゃ」
「無理よ、もう船は走れないじゃない」
「それでも、いかなきゃ!」
アトリははっと天秤に目をやった。
自分のすべてをかけて、天秤で何を量るのか。
行かなきゃ。
アトリは知っていた。
この風。
この不穏な音。
ホークだ。
ホークが怒ってる。
行かなきゃ。
海の民が力を抑えられないことを、アトリも目の当たりにしていたからこそ、そう強く思った。
確信のようなものがなぜかあった。浅い海の島で服を乾かそうとするホークに触れたとき。
あの時、急にホークは力を正しい方向に使うことができた。アトリには難しいことはよくわからなかったし、その感覚を言葉にしていい表すこともできなかった。
けれど直感のようなものがあった。
それもとても強い。
行ってあげなきゃ。
張り詰める海の空気がアトリにそう強く願わせる。
行きたい。
行きたい。
海を。
この海を生きたい。
「ホーク」
俺の渡り鳥よ、と語り掛けてくれたホーク。
本当に自分が鳥だったら。
翼があったら。
「ホーク!!」
泣いていた西施がふとアトリの天秤が青い光を帯びていることに気が付く。
不思議な風がアトリに吹いていた。
「…あ、アトリ」
「西施、行かなきゃ!ぼくたち、追いかけなきゃ!」
羽が欲しい。
この海を越えていける羽が。
どこにでも飛んでいける羽が。
檳榔売りの羽が。
「アトリ、アトリ、羽が欲しいよ!!!!」
願いはいつも本音でなければならない。
願いはいつも口に出さなければいけない。
諦めず
追いかけて
もがくようにして手を伸ばす
心からの思いなのだと証明するなにかが、古い檳榔売りの封印に触れた。
背中に痛みが走る。
それは激痛だった。
あああ、と声を上げることもできない痛みが一瞬。
身を丸くしたアトリの背中。
青い光がアトリを包む。
アトリに魔術は使えない。
それなのになぜ、と西施が目をみはる。
目の前の光景が信じられなかった。
天秤と羽
そんなおとぎ話が脳裏に浮かぶ。
ただおとぎ話ではないのだとしたら。
何かの伝承なのだとしたら。
かつて別れていった海の民たちの記憶が、アトリを包んでいた。
深い海の上に波のように白く広がる。
「アトリ、あなた・・・っ」
アトリの船の数倍はあろうかというそれは、花鶏などという小さな小鳥のそれではなかった。
「わあ!なにこれ!天使さまみたい!」
驚くアトリは、はっとせずにはいられなかった。
成し遂げたいことがあって、自分にそれができる。
それこそが運命なのだと、知っていたからだった。
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