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見たこともない大きな帆船で、アトリは檳榔とオレンジを交換することができた。 あと貧乏な客からよくわからない丸く薄い小さな金色の鏡を貰った。かわいそうなので檳榔を分けてやった。 「アトリいいことしたな~!」 なんて気分がいいのだろうか、とアトリは自分で自分のことをほめていた。 カモメたちが陸地が近いことを教えてくれる。 陸に上がれば、きっと人がたくさんいる。 アトリに島よりも運命の人はきっと探しやすいだろう。 もうすぐ陸だ。 アトリの運命の人はもうすぐそこだ。 「と、思ってたのになぁ」 はあ、とアトリは溜息をついた。 目の前を剣を握る男たちが通りすぎていく。 縄で手を後ろで縛られ、ぐるぐる巻きに帆船の柱に括りつけられたアトリは、ぼうっと空を見上げた。 そう、アトリは海賊につかまっていた。 帆船で出会った客たちが心配していた通り、それはもうスッとつかまっていた。 アトリは知る由もないことだが、このあたりの海域では海賊がはびこっていて、通行証やら賄賂やらを持っていないと、運悪く出くわしてしまえばなにがおこるかわからないのだった。 何も知らないので、いつものように檳榔はいらんかねと声をかけにいった。通行証か賄賂かを要求されたので、アトリは正直に持ってないと言った。そうすると船を奪われて柱に括られて現在に至る。 急に話をきいてくれなくなった海賊たちに、え、なに、なにするのと縛られながら話しかけるものだから、さぞや間抜けだっただろう。しかしここにはアトリに間抜けだという者もいないし、アトリもまた自分のことは振り返ったりはしないのだった。 「おい、檳榔売りだったな?お前ほんとうにこれっぽっちしか持ってないのか」 海賊のリーダーの男は、アトリの荷物を乱暴に甲板にぶちまけ、つまらなさそうに檳榔を蹴飛ばして海へ落とした。 「あ!なにするの!アトリのだよ、それ!」 「うるせえ、通行証をもってねえ奴の持ち物は没収だ!」 アトリはあんまりないい草に顔をタコのように真っ赤にさせて、じたばたと暴れた。 「アトリはそれ、やだですけど???!!!納得してないですけど??!!!」 檳榔売りらしい朗々とよくのびる声でそう叫ぶ。 海賊たちは一瞬きょとんとアトリを見つめ、堰を切ったようにどっと笑った。 「おかしくないですけど!」 「なんだなんだ、おもしれえ奴だな。こんな赤ん坊みてえな奴みたことねえわ」 ドヤドヤと海賊たちはあきれたように解散して、それぞれの仕事に戻っていった。アトリの荷物を没収した海賊のリーダーはアトリの頭をぐりぐりと撫でた。 「よしよし、なんだかわからんがお前は俺が責任を持って、良い妓楼にでも売ってやるからな」 「だから、アトリそれやだですけど!!」 はいはいと、海賊たちはそれ以上は誰も話を聞いてくれなかった。 アトリはこの扱われ方になんとなく島を思い出していた。 みんな途中から、アトリを小さなこどものようにあしらって、話など聞いてくれないのだ。まるで庇護欲と比例するかのように、アトリの話を聞いてくれない人はアトリにとても親切にしてくれる。その一番がアーロンだった。そういえば元気にしてるかな。 なんだか、みんなアーロンにみえてきたな。 海賊たちの働きぶりをぼんやり眺めながら、アトリはそんなことを思った。 「あと、アトリおしっこしたいですけど…」 **************** 「おうおう、おとなしくしやがれ。客も水夫どもも皆甲板に集まれ。船長は通行証をよこせ」 「ねえ、ほどいてよ!ねえってば!あ、ずるいよ、アトリは縛られてるのに大きい船の人は縛られてないの???!!!聞いてよ!!」 海賊のリーダーのこめかみに青筋が走る。 ひくひくと目じりが動く。 「うるっせええ!!!おい、そいつ黙らせろ!」 「ほどいてってば!」 海賊が乗り込んできて口上を述べ始めたのはいいが、人質として海賊の船の上に捕らえられている少年がそれはもう騒がしかった。海賊に困惑して恐怖する予定だった客たちは、ちょっとの間どういう反応をしていいかわからなかった。 「アトリ、おしっこしたいんだってば―ッ!」 檳榔売りは声が大きい。 根負けしたよぼよぼの海賊がそっと縄をほどいてやって、もそもそと手を縛り変えてアトリに用をたさせた。 「おい爺ちゃん、檳榔売りってみんなあんな感じなのか」 微妙な空気が漂う甲板で、少年は老水夫に声をかける。数時間前にアトリから檳榔を買った老人は、ふーむと眉根を寄せた。 「……まあ、檳榔売りは愛嬌がある者がおおいからのう」 甲板からは海賊たちの船が見える。用を足してすっきりしたアトリは後ろ手に縛られたまま、よいしょと柱のそばに座り込んで、隣のよぼよぼの海賊に檳榔を分けてやり始めていた。 そんな様子を金貨をアトリに渡した客の男は、肩を震わせて笑うのをこらえていた。 仕切り直して再び口上を海賊が述べるが、それを物見遊山のように眺めているアトリの空気に、客の男だけでなくほかにも何人か笑うのを必死で我慢していた。 「通行証はここですぞ」 船長は緊張していた。 ちょっと妙な人質が海賊側にいるようだが、だからといって穏便に事が済む保証はどこにもないのだ。海賊はふむ、とその通行証を受け取る。 「な、なにをする!」 そして片手をあげて通行証を風にもっていかせてしまったのだ。 慌てる船長に、客も水夫たちもはっとした。 この海域は通行証が命を保証してくれていると言ってもいい。 それを。 商船の上に緊張が走り、海賊たちは不適な笑みを浮かべる。ようやく自分たちを恐怖し始めた獲物を見て、海賊は気を良くした。 「俺様は常々思ってんだ。通行証なんて馬鹿げた仕組みがあるから、俺たち海賊が苦労するんだよ。あんな紙きれ一枚でこの海を縛ろうなんておかしな話だ。強いものがルール。それが海の掟。さあ、金目のものを全部積み込んでもらおうか」 「・・・・ッ蛮族めが」 「はっ、なんとでも」 ああ、そうだと海賊は続ける。 「人質も増やそうと思ってたんだ。街では奴隷がいくらでも売れるからな」 ぬめるような光を放つ海賊の剣が引き抜かれる。 切っ先は船長の首元だった。 「見捨てる奴を選べ。お前の仕事だ」 海賊たちは自分たちの船と商船の間に板を渡して乗り込んでくる。 どかどかと商船の中を物色して金目のものや食料、酒を次々と運びだしていく。 見捨てる者を選ぶ。 船長に課せられたその残酷な言葉を、甲板にいる誰もが聞いていた。 縋るような視線でだれもが船長を見る。 無数の瞳に見つめられて、船長は気が変になってしまいそうだった。 貴族の客は絶対に守らなければならない。でなければ、海で生き延びても陸で殺されてしまう。では誰を?何人選べば許される? 「おい、どうした。さっさとやれ」 へっへっへっと海賊は笑う。 船長はふと幼い見習いと年老いた水夫を見た。 二人とも大切な乗り組み員だった。どちらの面倒もそれなりには見るつもりだった。 客たちの視線もまた、少年たちに向けられた。 少年の手から、檳榔がぽとっと落ちた。老人の服をぎゅっとつかむ。 「おい」 連れ立っていた客の男が、その眼付が変わった様子に心配そうに声を掛ける。 少年はうつむいて、泣きそうな声だったが、地を這うように低い声だった。 「いいんだ。どうせそうだ。自分たちよりも先に見捨てられるべきだって、みんなそう思ってる」 「す、すまない。すまねえ!」 船長が選んだのは、その二人だった。 少年は何もいわずに爺さんの手を引いた。 海賊の前におとなしく進み出ようとしていたその時だった。 二人の肩を、客の男がぐっと手を伸ばして引き寄せた。 「ようし、俺も行こう」 「な、あんた馬鹿か!」 「大丈夫だ。海賊たちにとって悪い話じゃない」 男はそうささやいて、少年を落ち着かせた。 震える少年の肩を、老水夫が優しくなでる。 客の男はおびえる船長に声を掛ける。 「俺は貴族ではない。お前の心配は無用だ」 「何をごちゃごちゃと。自分から人質になるなんて馬鹿な野郎だ。おい、さっさとこいつらを縛れ!」 結局、アトリを加えて4人になった人質たちはおとなしく海賊たちの船から、商船での様子を見守るしかなかった。商船の上では貴族から衣装を取り上げようとした海賊たちと船長がもめている。 一体どうなってしまうのだろうか。 おびえる少年の手を、ふと誰かが握った。 「大丈夫!アトリよくわからないんだけど、励ましてあげるからね!海では強いものがルールってあの人いってたから、ルールはあの人じゃないよ!」 「檳榔売り…」 互いに後ろに手を縛られていて、上手く握れない。それでもアトリのその言葉は、場違いなほどに明るかった。少年は少しだけ、檳榔売りって小さい声でも話せるんだな、と思った。関係のないことを考える。それがほんの少し慰めになった。 「ほう、じゃあ海で一番強いものは誰だというんじゃ?」 「そんなの!海の波と空の風だよ!それを知っている者の味方をしてくれるけど、場合によっては話も聞いてくれないし。波も風も、海賊のいいなりにはならないね!」 あっけらかんと断言するアトリに、客の男がはっはっはっと笑い始める。 「あ~、お前は面白いな檳榔売り。確かに、どれだけあの男が金を積んでも脅しても、波も風も耳を傾けまい」 ひとしきり笑った男は、ぬっとアトリに顔を近づけた。 「さて、檳榔売り。お前に頼みたいことがあるんだが」 ****************** 海賊のリーダーは気を良くしていた。 この商船は思っていた以上に金目のものが多い。おまけに人質は静かになったし、いつもは文句を垂れる部下たちも不思議と静かだ。姿がみえないが、商船の中を物色でもしているのだろう。 「まさか、こんなものまであるとはな」 運び出す木箱の中から出てきたのは、香辛料だった。 「そ、それは!それだけは!」 船長が騒ぐが、戯れに客に切りつける。脅かすだけなので、女の服をざっくりと裂いてやった。 恐怖と羞恥の悲鳴が上がる。 「口答えするなら、それなりの対応をしてやるだけだぜ」 「・・・・・ッ」 弱者をいたぶることは、海賊たちの気分を高揚させる。 商船の人々に対する嘲笑が漏れる。 「腰抜けが」 「さあ、どちらが腰抜けだろうな」 背後からかかった声にはっと振り返ると、風を切る音が聞こえた。 剣の音 そう思って飛びのいた。視界の端には切っ先が見えた。 小賢しい真似を、と思った瞬間だった。 男はそのまま剣を手放し、まっすぐに拳が飛んできた。 「ぐッ…!」 ごん、と鈍い音をたてて海賊の鼻がひしゃげる。 空を仰ぎながら、思わず膝をつく。 まず、い。 薄れゆきそうな意識の中で、海賊はなぜこんなことがと思った。 顔を覗き込んでくる男は、先ほど商船から人質になった男だった。 「相手が剣だけで向かってくるとは限らんぞ、愚か者め」 ぼんやりした視界で、怒りに飲まれながら海賊はふと、その顔に見覚えがあるような気がした。 「・・・・ッ!おまえ!おまえ、は…」 海賊の意識があったのはそこまでだった。 ばたん、と甲板に伸びたリーダーを見て、海賊たちは一瞬何が起きたのかわからなかった。が、男がリーダーの髪を掴み上げるのが視界に入ると、皆が一気に気色ばむ。 「おっと。お前たち少しでも変な真似をしてみろ。こいつの首をはねてやるぞ」 そう言って男は海賊の首を少しばかり傷つけた。 「通行証を持つ船から人質と積み荷を奪うなど言語同断だ」 これはある意味賭けだった。海賊によっては仲間割れを起こして、リーダーを簡単に見捨てることもあるからだ。しかしアトリの様子を見ていると、この海賊たちは仲がいい。きっとこのリーダーがきちんと部下に目を配っているからだ。 部下たちが、自分たちの命運を守っているのはこのリーダーだと理解してさえいれば。絶対に交渉に応じるはずだ。男はそう踏んでいた。 「……坊ちゃんを離せ」 「人質と積み荷が先だ」 海賊たちから口々に彼を解放するように、と声が上がる。 そして男が一切の要望を聞かず、ぐっと剣を意識のない海賊に近づけると、長い間があった後一人が折れた。あとは次々と全員が折れ、積み荷のいくらかは甲板に返された。そして人質も。 「…一人いない!」 「ああ、お前たちが隙だらけだから、さっき逃げていったぞ」 「なんだと?!」 海賊たちは気色ばんだが、それよりも大切なのはリーダーの安全だった。おとなしく引き下がるよう言い含めると、そのままおとなしく碇をあげて商船から離れていった。 「お、おい。お前なんてことをしてくれたんだ!あいつらを怒らせた!もう通行証もないんだぞ、次海賊に襲われたら終わりだ!」 うろたえる船長を男は黙って見下ろした。 人質から解放された少年と老人は、自分たちが助かったことが歓迎されていないことを知って、複雑そうに船長を見つめていた。 その時だった、下から明るい声が聞こえてくる。 「通行証、あるよ!」 「え?」 その子供のような少し高い声に、船長ははっとする。 はしごをよいしょと登って姿を見せたのは、檳榔売りだった。 「驚いた、さすがだな。風にも追いついたか」 「まあね!」 男がアトリに頼んだこと。 それは、風にさらわれていった通行証を見つけてくることだった。 どこから取り出したのか、短剣で縄を切り、アトリの船をこっそり海賊船から切り離した。 数人に見つかりはしたが、すかさず男が首を締めあげて意識を落としていった。 あまりにも鮮やかな手つきに、海賊船のほとんどの船員は悲鳴を上げる間もなく伸び切ってしまっていたのだ。 アトリから通行証を受け取ると、男はぶつぶつと何事かを唱えながら濡れた紙を空中で振る。 すると紙がすぐさま元の乾いた状態を取り戻していった。 「・・・それは、魔術!」 「うるさいな、大したことじゃないだろう。助けてやったんだ、ごちゃごちゃいうな」 通行証を物珍しそうにアトリは見つめていて、魔術とかなんとかの下りはよくわからなかった。さらさらと男が羊皮紙に書き込む様子をみて初めて、あれ、紙は濡れてないのかなと思った。 「助けただと?もっと面倒なことになったらどうする!」 「ならん。次に海賊に会ったら、この通行証をまた見せるがいい。おい、檳榔売り、対価は払うからお前の船に乗せてくれ。一刻も早くヤンバルに行かなけらばならなくなった」 「いいよ!」 呆然とする船長を置いてアトリはするすると船を降りていく。そのあとに続こうとした男は少年と老人の肩をたたく。 「危ない目に合わせてすまなかったな」 「あ・・・」 少年が何か言葉を見つける前に、男はアトリの船に降りて行ってしまった。ただの商船の客のはずの男が、手慣れた手つきで縄を切る。帆を勢いよく張ったアトリの船が、みるみると小さくなっていく。 船長はあっけにとられながら、通行証のサインにふと目を落とす。 「あ、あいつ!なんてことだ!」 「ど、どうしたんすか」 少年は船長のそばに駆け寄る。自分を見捨てたことは腹が立つが、船長がよくしてくれる良い人だというのは少年にはわかる。 通行証に書き込まれたサインを見て、少年は目もまた目を丸くする。 「これって…!」 ******************* 「そういえば自己紹介もまだだったな」 男の言葉に、帆の様子や風の様子を見ていたアトリはストンと男の前に腰を下ろした。 「こんにちは、ぼくアトリ。檳榔売りのアトリだよ」 檳榔売りのアトリ、と男は口の中で転がした。 「俺はホーク」 「ホークは何をしている人?」 純粋無垢にそう尋ねるアトリに、ホークは一瞬告げるかどうか迷った。 だがアトリに頼み事をした立場で、嘘をつくのもはばかられた。 「そうだな、仕事という仕事はしていないが。ヤンバルの街ではこう呼ばれているな」 その時、強い風が吹いた。 アトリの船がぐんと進む。 まるで止まっていた時計の針が進むように、船の勢いが増す。 「海の蛮族と」 海の蛮族・ホーク ヤンバル周辺の海に散らばる海賊たちを深く支配する、海の民の若き頭領 それが、檳榔売りのアトリとの出会いだった。
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