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30
相手が銃を放つ前に切りつける。
船の重要部分を破壊する。
海賊たちの戦法は西施たちの国の者とほどんど互角だった。
「水だ!水を浴びせろ!」
火薬は水に弱い。
銃さえ何とか防ぐことができたら。
「海賊にひるむな!数はこちらが上だ!」
西施の母親は銃砲をこちらに向ける。
「頭、あぶない!!」
届くはずがないと思っていた距離を、弾丸が貫く。女王の銃は特別によく飛ぶなど、海賊たちが知る由もない。
「っぐ」
「おい、大丈夫か!」
自分をかばった部下を助け起こす。傷口はひどく切り刻まれたような形をしていて、弾は貫通どころか、体の中でより小さな金属片として散らばっているようだった。
「なんだこれは・・・っ!」
人を殺すことだけに特化した銃。
そのおぞましさに反吐が出る。
「か、頭・・・」
「もういい、話すな!必ず助ける、それまで気をしっかり持て!」
「へ・・・っ、たのん、ます」
ホークは立ち上がる。
けが人は船室へ運ばせ、船首に立つ。
怒りが彼を包んでいた。
あんなものを向けられれば、だれでもひとたまりもない。
何の罪もないヤンバルの住民たち。
おびただしい数の銃を用意している相手に、ホークの何かがぶちっと切れる。
成し遂げたいことがあって。
魔女の言葉が蘇る。
何を成し遂げたいのか、何ができるのか。
今までのすべてが教えてくれるはずだと。
それに出会ったとき、それこそが運命。
水だった。
嵐が吹けば。
どん、と天空から雨雲が一気に落ちてくる。青い閃光をまとうそれは、空気を一変させる。だがホークは躊躇してしまう。抑えられない。
俺にはできない。
このままでは黒船以外の全員吹き飛ばしてしまう。
戦闘に荒れ狂うほかの海の民たちの力がホークに呼応していた。かつてないほどに雨雲が自分たちに呼応していることに、ホークは焦りさえ覚えた。
できない。
ヤンバルで街の広場を吹き飛ばした少年を思い出す。
蔑まれて、傷つけて。
蛮族だと罵られて。
止められない。
海の民をまもれない。
ヤンバルを守れても、海の民を失ったのでは何の意味もない。
できない
怒りと焦り、不安と絶望
まるで雨雲のように去来したそれに飲み込まれてしまいそうだった。そんなホークに呼応するように、ばりばり、という轟音をたてて太い雷が海面に落ちる。
「・・・急に、なんなのよ、これは!」
女王はひるむ。
もともと雲一つない草原に生きる彼らにとって、それは不吉な光景だった。
「陛下、あれを!」
「今度は何よ!」
女王とホークの部下たちが、太陽の方角を指さしたのはほとんど同時だった。
日の光を背に受けて何かが飛んでくる。
鳥。
「いや・・・あれは」
そう口にしたのは誰だったか。
白い羽を広げて風を掴む。
首から下げた天秤に、信仰を思い出さない海の民はいなかった。
「ホーク!!!!!」
「アトリ・・・・」
空から羽を羽ばたかせてやってきたのは、檳榔売りのアトリだった。
一体なぜ、何がどうなっているんだ。
そんな思いがホークにあったが、アトリは気にも留めていないようだった。空を飛ぶ人の出現に、どちら側の船の者も争いの手を緩めてしまう。銃弾も届かないほどの高さから、アトリはふわっと音もたてずに鳥のようにホークのもとへ降りてくる。
近くで目の当たりにすると、その純白のはねが本物だということがわかる。
アトリの小さな手が、肩に、腕に触れる。
「ホーク、大丈夫」
「アトリ、お前」
「えっと、アトリもよくわかんないんだけど、なんか生えてきたよ!」
あまりにもアトリらしい説明にふっと毒気が抜かれる。
「大丈夫だよ。アトリがいるからね」
「・・・・・・ありがとう」
ぎゅっとアトリはホークの頭を後ろから抱きしめる。羽が安定しないのか、ふわふわと飛ばされてしまいそうだった。
「雨だけを降らせたいんだ」
「できるよ、ホークなら」
「ああ」
ごうごうごうごうごうと、まるで海から水が巻き上がるかのように異常な風が吹く。
海で一番強い者はなにか。
それは人ではない。
どこかの檳榔売りが風と波と星だけが、海の強者だと言ったがその通りだった。
不思議だった。
アトリが体に触れた瞬間、やはりホークには魔力の手綱が生まれる。
あれほどできないと思っていたことが、今はできるという確信がある。
驚愕の瞳でこちらを見ている女王に告げる。
「ここは俺たちの海だ!!!立ち去れ!!!!!」
カッと閃光が走る。
誰もが一瞬視界を奪われる。
どどどどどどど、という轟音とともに何本もの光の柱が海面を撃つ。
そしてまるで礫のような雨がどうっと降り始めた。
これで銃は使えない。
そのことに気が付いた海賊たちが歓声を上げる。
「陛下」
女王は黙ってそらを見上げていた。
その表情は怒りというよりも、恐怖がにじんでいる。
不思議なことに、空を飛ぶアトリが現れて以降、女王たちの表情は皆一様に曇っていた。
それは見たこともないものを見たからでも、雨が降ったからでもない。
翼の生えた人。
それは彼らにとって恐怖の対象なのだ。
「あんな妖魔がいるなんて、聞いてないわ・・・・っ!妖魔を飼いならしているの・・・っ!?」
天使、などという言葉さえ持たない彼女たちは、アトリの姿が恐ろしかった。
そしてなにより、妖魔がいるということは、他の妖魔も近くにいるという、自分たちの常識に照らし合わせると、雨の中これ以上進むなど自殺行為だった。
「引くわよ!あなたたちを失うわけにはいかないわ!」
退却。
その鐘が鳴らされると、同じく翼の生えた人の姿をしたものに恐怖心を抱いていただれもが、一斉に引き始める。
わああああ、と悲鳴さえあげて引き上げていく彼らをみて、海賊たちはぽかんとしていて、不思議なことに誰一人後を追うことはしなかった。
「わあ!みんな雨きらいなんだね!」
「・・・・・そう、なのか?」
ホークが呼び起こした雲の隙間から朝日が差し込む。
輝く海の美しさとともに、ヤンバルには勝利がもたらされた。
わっ、と海の民たちの歓声が上がる。
それは勝利の雄たけびでもあるし、安堵の叫びでもあった。
「勝った!・・・勝ったぞ!!!!」
「皆におしえてあげなくちゃ!」
ふわふわと羽を揺らしながら、アトリはうれしそうにホークの頭上を飛ぶ。
「・・・檳榔売りは天使だったのか」
海の民のだれかがつぶやいた言葉は、まるでおとぎ話のように人々の心の中に広がっていった。
******************
海の上に取り残された西施に、船の影が落ちる。
振り向くとそこにはよく知った顔があった。
「まあ、ご主人様、ご無事ですか?」
「まあ、どうなさったの、お泣きになって」
「まあ、かわいそうなご主人さま。もう大丈夫ですからね」
「あなたたち・・・っ!」
船の上から手を差し出すのは、西施が商人から人質として預かった娘たちだった。
なぜここにいるのか。
思い当たる節は一つだけだった。
「お父様ね?」
くすくすくす、と3人娘は笑う。
西施よりも年上の娘たちは、まるであどけない子供の様に笑って見せた。
「今すぐ、ヤンバルへ向かうのよ!」
3人娘が乗ってきた船は小さな帆船だった。
自分たちで動かしてなんとかここまで来たらしい。
アトリがあれほどの速さで風を捕まえられたことは、やはり舌を巻くべきことだった。
一体どうなったのだろうか。
やきもきしながら西施がたどり着いたさきに見た光景は、海賊たちをはるかに迂回して逃げていく母の船の姿だった。
「すごい・・・・。お母さまが退くなんて」
「まあ、ご主人様、あれは妖魔では?」
「まあ、本当」
「まあ、危ないわ」
西施に3人とも抱き着きながら指さす先には、羽を羽ばたかせて船首に降り立つアトリだった。
「おおーい!西施ーー!!」
ぶんぶんと笑顔で手をふるアトリ。
「まあ、人の言葉を話す妖魔」
「まあ」
「まあ」
ぎゅっと3人が西施を抱く力を強くする。
緊張をほぐすように、西施はトントンと腕をたたいた。
「違うわ。あれは、檳榔売りよ」
不思議そうな顔を3人娘は西施に向ける。
「私の友達」
空は晴天をとりもどしていた。
さわやかな風がどこからか吹いている。
風の向かう先はわかっていた。
「ヤンバルに帰ろう!!」
風が呼応するようにアトリをさらう。
「うわーっ飛ばされる!」
「手を、手を掴めアトリ!」
西施はあははと声を出して笑った。3人娘たちは顔を見合わせた。借金の形かたにこの少女の物となったが、娼館に売られるでもなく、あらゆる教師を呼び寄せて勉強を教えられ、学を与えられた。時には魔女さえ呼びつけて魔術を覚えろと言われたものだった。
だから3人娘にとって、西施の言葉がすべてだった。
「けが人は!?手当させるわ!」
彼女たちの主人が振り返る。
黄金の髪に晴天の瞳
どこかの国の女王にふさわしい色をしていた。
「あなたたち、できるわね」
「「「はい、ご主人様」」」
西施の船をさげすむ者はなかった。
「お、お前たち」
「まあ、お父様だわ」
「西施さま、これは!娘たちは!」
魔術を使って傷ついた者を治療する3人娘を見て、商船から彼女たちの父親が飛び出してくる。
「む、娘は娼館へ売られたのではなかったのですか」
「なにを言っているの?」
西施は不思議そうな顔をする。
「どこに出しても恥ずかしくない娘たちだって言ったじゃないの?」
「・・・あ、はあ」
***********************
「アトリ、おいで。俺の手をしっかり握っておいてくれ」
風に飛ばされてしまいそうなアトリに手を握らせる。
まったく状況はわからなかったが、守りたいものが守れた。
ふわふわと頭の上を羽ばたく小鳥を引き寄せる。
「ホーク、あのね、アトリね」
「うん」
まるで天使が目も前にいるかのような光景だった。
「アトリ、ヤンバルが好きになったな」
きっと、アトリはヤンバルを好きになる。
初めてであったとき、なぜかそう思った。
その時のことが蘇ってくる。
因果のようなアトリの言葉に、ホークは何だ、と一人思う。
やはり運命の人は俺じゃないか。
「アトリ」
「うん?」
ぱたぱた
ふわふわ
潮風に揺られながら、アトリはホークの手を握り締めて飛ばされまいとする。
ぐっと引き寄せると、見上げた先にアトリの顔がある。
吸い込まれそうな瞳
柔らかな肌
アトリの手ごとほっぺたを挟み込む。
少しだけアトリの体がホークに引き寄せられる。
唇同士が触れ合うと、途方もなく幸せな気分だった。
檳榔売りの天秤が淡く光っていた。
背中のあの傷あと。
あれは。
あれはまるで。
傷跡ではないのだとしたら。
ヤンバルでのすべてが、アトリの中に眠る羽を呼び覚ましていたのだとしたら。
羽化する直前のような背中だったのだとしたら。
「愛している、檳榔売りのアトリ」
アトリは顔を真っ赤にしたが、ふふっと恥ずかしそうに笑う。
ぱたぱたと羽を羽ばたかせて、ホークの唇にちゅっとふれる。
「アトリも」
二人は互いに見つめ合って、もう一度キスをした。
完
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