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アトリは目を丸くしていた。 びっっっっくりしていて言葉が見つからない。 あれだけ探してもなかった檳榔が、目の前にあるのだ。 「・・・・・・・・・・・!」 ぴょんぴょんとはねるたびに、シャンシャンと足の装飾品が音を立てる。 「なんで?昨日はここになかったよね?」 「ああ」 ホークを振り返ると、優しい視線が降ってくる。 口元にはゆるく笑みが浮かべられていて、けっしてアトリを侮るような表情ではなかった。 アトリは不思議だった。 「アトリが見落としてたのかな。アトリ、そういうときがあるから」 はっとして、しゅんとしょげるアトリの頭をホークが撫でる。 「そんなことはない。ここはヤンバルだ、こういうことはたまにある。よかったな」 にっと、ホークはいたずらな笑顔をした。そんなふうに笑いかけられて、アトリはまたぴっと髪の毛が跳ね上がるような気持ちを感じた。 ほっぺたが熱いような気がして、ぺちょっと触る。 「どうした?」 「なんでもないよ」 「そうか?」 「ホーク、ねえ、ホークはアトリのことおバカさんみたいに言わないね。アトリ、うれしいよ」 「アトリはおバカさんなのか?」 「おバカさんじゃないよ!みんなと得意なことが違うだけ!」 アトリのその言葉に、ホークは少しだけ息を飲んだ。 しかしすぐにまた笑ってアトリを撫でた。 「そうか・・・」 「ねえ、ねえ!この檳榔とキンマ、ホークにあげたんだけど、アトリと半分こしない?半分はアトリが檳榔売りにいってきてもいい?だめ?」 檳榔を植えてあげる、といったことを覚えていたアトリはホークに気を使ってそう言った。 海賊連中の無茶苦茶な理屈を普段聞いているホークは、何が誰の所有物なのかきちんと気に掛けるアトリがほほえましくて仕方なかった。 「半分こだな、良いよアトリ。そうしよう、好きに使うといい」 アトリはまた嬉しそうにぴょん、ぴょんとなんどもはねた。 「やったー!アトリ、檳榔売りだよ!」 喜んで早速売りに行くのかと思えば、アトリは使用人からバケツを借りてきた。 「バケツにいれるのか?」 檳榔はいらんかね、と海の上で声を掛けてきたときは、アトリは麻で編んだ袋とブドウハゼの蔓で編んだ籠にこぼれそうなほどに檳榔を入れていた。あの無作法な海賊に襲われたときにあらかたの荷物はなくしてしまったので、そのせいだろうか。 「ちがうよ!檳榔を売る前にいろいろ準備しなきゃだから!貝殻を拾ってくるし、海岸で蔓を切ってくるね!戻ったら石灰の作り方、ホークに教えてあげる!」 こんなにも穏やかな『教えてあげる』をホークは他に知らなかった。 檳榔を再び売れると知って瞳をキラキラさせるアトリに、ホークは久しぶりに自分の力に感謝さえした。 「ああ、楽しみにしている」 *************** アトリは今頃海岸で貝殻拾いだろうか。 ホークはざわめかしい船内の一室でふとそんなことを考えた。 「どういうことだ、ホーク!通行証を変えるだと??」 ヤンバルの港には大きな商船も海賊の船もあちらこちらに泊まっている。海賊がおお過ぎて取り締まることなどできないし、そもそもはヤンバルに家がある海賊も多いので、海賊だからすなわち牢獄というわけでもないのが、ヤンバルの寛容なところだった。 その中の古いが立派な黒い船。 海の中で一番黒い船こそが、ホークの所有する船だった。 しばらく遠出をして留守にしていたが、ヤンバルへ向かう途中の海賊たちの狼藉を考えると、一秒でも早く戻ってこなければならなかった。今日この日まで、ここに集まるよう各地の海の民たちの代表者に呼びかけるのは骨が折れた。 海の民は皆頑固者なのだ。 やれあの人は気難しいから贈り物と一緒に手紙をだとか、あの人とあの人は仲が悪いから二人と仲良くしているあっちの人も呼ばなければとか、ホークはこういうことが本当に苦手だった。 海の民たちの頭領となるべく幼いころから育てられたが、絶対的なリーダーという存在ではなく、みんなのまとめ役という立場に近い。 アトリの天真爛漫さが、そんな泥臭い仕事の合間の癒しでさえあった。 「やれやれ、君たち海賊は話にならないじゃないか。そもそも字が読めるのか」 「なんだと、てめえ!年上に対する口かコラァ!」 白い教会の服を着て首を振るのは、アトリと同じくらいの年の少年だった。 名をストークといった。 「年上とか年下とかは関係ない。そんなものでヤンバルと海の秩序が守れるのか?実際守れてないじゃないか君たちは。最近は見境なく海賊行為に走るものもいると聞く」 「そんなやつはいねえ!」 古株の族長がそう叫ぶが、数名の若い海の民たちは顔をさっと伏せた。ストークは心当たりのある何人かをにらみつけた。 「はん!どうしてそう言い切れる?思い込みで話すんじゃない!」 バンとストークが机をたたく。 ぎゅうぎゅう詰めに室内に入っている海賊たちが顔を真っ赤にする。 ストークは周囲の人間の気持ちを逆なでするという、聖職者にあるまじき特技を持っている。 だがそのおかげで、ホークは誰が通行証を持つ船からは金品を奪わず人身売買をしないという制度を守っているのか、大方把握することができた。 海の民は皆頑固者だが、正直者だ。それゆえに大陸からやってきたストークたち陸の人間に住む場所を奪われる形になったのだが、もうそれはホークの祖父でさえ生まれていない昔の話だ。 このヤンバルは海の民と陸の民が入り混じって暮らす、貿易の街なのだ。 「族長たち。通行証を持つ船を襲う海賊たちを俺も見た。あったことのないやつだったが、部下からは坊ちゃまと大切にされていたところを見るに、どこかの一族だろう。それもとても没落した。ヤンバルにはもはや土地を持たない民だ」 「おうおう!そんな奴らはとっちめようぜ!」 そうだそうだと、血の気の多い海賊はわあわあと拳を振り上げる。 辟易していると、ストークがまさかの裏切りをする。 「その通りだ!このぼくがこんな汚い船で、こんな野蛮な連中と何のためにこんな話し合いを続けてきたと思っているんだそいつは!捕まえろ!」 ストークにもきっと、海の民の血が入っているのかもしれないな。 そう思えるほど、なんども思うことだが、聖職者にあるまじき血の気の多さだった。 「俺の船は汚くない」 「いいや、汚いね!掃除をもっとしろ!」 「いいか、ストーク、族長方!この通行証制度は我々ヤンバルに住むものにとって停戦の証だ。破ることは許されない。しかし、それを破らねばならないほどに困窮している海の民の一族が増えているということなんだ、これは」 「こいつらが俺らの土地をどんどん自分たちのものにしてるからじゃねえか!」 「うるさいな!法律で犯罪行為をしたものの土地は取り上げると決まっているんだ、仕方ないだろう!お前たちだって、海を独占しているじゃないか!陸の人間が船を持つことは不可能なルール作りをしてるくせに!毎年毎年馬鹿みたいに船の賃料を吊り上げよって!」 「海の掟を守る信用がねえんだ、船を持てねえのは当たり前だ!」 「なんだと!それでヤンバルが豊かになるとでも思ってるのか!」 ホークは溜息をついた。 気を抜けばすぐにヒートアップしてしまう。 仕切りなおすためにぐっと立ち上がる。 皆素直なのでぐっと黙った。ストークも黙った。 「通行証を新しくし、これを持つ船の安全は何に変えても必ず守るんだ。それを隅々の海の民に伝えてほしい。そのうえで困窮している一族を見つけたら代表者を俺のところへ。何とか生活の糧を支援しよう。そして族長たちも言っていたように、次に通行証のルールを破れば捕らえざるを得ないことも伝えるんだ。だから通行証にはより彼らにも分かりやすい権威が必要だ。海の民すべての頭領である俺の家紋と、教会の紋章を入れたい」 家紋を通行証へ。 それは前代未聞のことであったので、族長たちも若手の海賊たちもひそひそとざわめきあった。 「なるほど。通行証は昔から教会が発行していたものだ。お前たちとの暗黙の了解が法律のようになっていたな。それを正式に形にするのか」 「そうだ。だが俺は勝手に家紋を使ったりはしたくない。海の民の頭領は、族長たちもほかの家族も置き去りにはしないからだ。今日この場にいる皆に、家紋を使うことを認めてほしい」 いつもならわあわあといろんなことを言う海の民の誰もが、少し困惑しながら近くの者と目を見合わせていた。 「……でもよう、通行証を持っている奴がヤバいもんをヤンバルに持ち込んだらどうなる?それこそ、俺たちはみんな犯罪者ってことになって、ただでさえ少ないヤンバルの土地を全部失うことになるんじゃないか?」 その心配は最もなことだった。 レスターヴァという国が怪しげな商船をうろつかせているという噂もある。 人さらいや密輸や、薬。 そんなものヤンバルが汚染されたら。 「ストーク」 「その点は心配いらない。教会の名前もあるんだ、我々もさすがに自分たちを棚に上げるようなことはしないさ、お前たちじゃあるまいし」 ストークは一言余計だった。 「とにかく、教会が認めた船には一切手をだすんじゃない!それを約束できるなら、ホークの家紋を通行証にのせてやってもいい」 「なんだと、偉そうに!」 わかりやすいストークの煽りにのせられて、族長たちがわあわあと再びわめく。 「偉いんだ、ぼくは!ヤンバルの大司教なんだぞ!偉いから、お前たちにも口出しする権利があるんだ!ヤンバルの治安はぼくが守っているんだ!」 「うるせえ!海の治安はホークに守ってもらってるくせに!」 「なんだと!なんでそれでぼくが力不足みたいな受け止め方をされるんだ!」 「ちび!」 「ばか!」 やっちまうぞ!という海賊の言葉と、上等だよ!表へ出ろよ!というストークの言葉。 きっとアトリを連れてきたら、どっちが海賊なのか区別はつかないだろう。 「では、これで決まりとしよう!新しい通行証が有効になる日には教会は鐘を鳴らしてくれ。皆いいな、その日から新しい通行証を確認するんだぞ」 海賊たちは船のある者は船で、陸に宿のある者は宿へと帰っていく。 皆にお小遣いを持たせたから、きっとヤンバルの酒場は今日は忙しい。 海賊たちがいなくなった部屋からストークが出てくる。ホークの隣に立つと、本当にアトリと同じくらいの背丈だった。 「騒がしい連中だ、まったく」 ストークも騒がしい奴なのだが、本人には自覚がないようだった。 「ストーク、一つ頼みたいことがあるんだが」 「内容によるぞ」 夕日が傾き始めていて、空は赤にもピンクにも染まっている。 潮風が甲板に心地よい乾いた風を運び、船に掲げられている旗を揺らす。 「新しい通行証を発行してほしい」 「お前にか?いらないだろ、お前は」 「いや、俺にじゃないんだ」 ホークの言葉に、ストークは腕組みをして仁王立ちになりながら眉をぴくと上げる。 「……お前、そんな表情ができたんだな」 ホークは自分ではどんな顔をしているかわからなかった。 「檳榔売りのアトリという少年を保護した。見たこともない船を操る。彼に通行証を持たせてやりたい」 「………アトリ、鳥の名前だ」 「?それがどうかしたか?」 ホークは不可解だった。 ストークはわかりやすいやつだし、即断即決する方だ。 だからこの頼みも、わかったという言葉が返ってくるだけだと思っていた。 船の下で教会のお付きの者たちが、ストークさま!と声を上げている。取り巻きのいない場所で話せるのはホークの船の上でだけだった。 腕組みをしたまま、ストークは眉根を寄せてホークを見上げる。 しかし次に発せられた言葉は、ホークには予想もしていなかったことだった。 「お前、檳榔売りの意味をちゃんと知っているのか?」
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