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「檳榔売りの意味だと?」 ホークが怪訝そうに顔を顰めると、ストークもまた困ったように眉根を寄せた。 「彼らが最後にヤンバル周辺にやってきた記録が残っているのは、もうずいぶん昔のことだ。たしか・・・・何だったかな。何か意味のあることなんだ、檳榔売りとは」 「なんだ、お前も知らないんじゃないか」 「うるさいな」 夕日に包まれるヤンバル。 うつくしい街並みを見ながら、ストークはふんとふんぞり返る。 船の下からはお付きの者たちが、ストークさま!とずっと声を上げている。 「会ってみたい。教会に連れてきたら通行証をやる。じゃあな!」 結局檳榔売りの意味はよく分からないままになってしまった。 ストークたちが歩いてヤンバルの美しい街並みに消えていくのを見届けると、ホークの視界にちょろちょろと動く何かが飛び込んできた。 体にグルグル巻きに蔦を絡ませて、大きな袋とバケツ一杯に貝殻を入れて引いている。 ほとんど蔦のまりものようになっている謎の物体を避けるように街の人々は道を開けており、蔦のお化けのようなそれの後ろを、子供たちがくすくす笑いながらついて行っている。 お化けは街の人に元気に話しかけると、びくっとおびえていた人も次第に笑顔になり、船の上を指さした。 ホークにはもう、それが誰なのかはっきりわかっていた。 「おばさん、ありがとう!」 「いいのよ。じゃあね」 「うん!おーい!ホーク!」 たぶん蔦のお化けは手を振っているが、蔦に覆われすぎて見えなかった。 「アトリ!」 船の上から声を掛けると、蔦のお化けもといアトリはもごもごと動いた後、ぽんと顔だけをなんとか蔦から出した。 「見てみて!あけびの蔓も見つけたの!すごいでしょ!」 アトリの声と一緒に、がやがやとしたヤンバルの港の声がホークのもとにも届く。 「帰ろ~!」 夕日の中で屈託なく笑うアトリ。 何気なくアトリから放たれた言葉が、ホークの胸の奥に触れる。 海の民はヤンバルから次第に追い出されているが、それでも。 「ヤンバルは俺たちの帰る場所だ…」 独り言のようにホークがつぶやいた言葉を、聞いている者はいなかった。 「待っていろ!すぐに降りる!」 ホークの屋敷に帰ると、アトリは夕食もそこそこに庭に焚火を始めた。 何をするつもりなのかと見ていると、屋敷の者からいらない鍋を貰ってきて、その中に貝殻をがらがらと入れる。 「何をしているんだ?」 「石灰を作るんだよ!貝殻をこうやってね、お鍋で炒めるとね、もろくなって粉々になるから、それをよーくすりつぶすの!これぐらいあったらしばらくは大丈夫かな!カンタンでしょ?ホークもできるよ!」 アトリは律儀に檳榔の作り方をホークに教えていた。 ホークは笑いながら傍に座り、少しばかり酒を飲む。 座ってどうぞ、とアトリが島から持ってきた敷布を広げる。焚火を見守りながら、アトリは今度はあけびの蔓をしごいて籠を編み始める。 「器用なもんだ」 「これはね、ちょっと練習がいるからね、すぐにはできないの」 試しにホークも挑戦してみるが、あまりにアトリのここをこうして、こっちはあっちにとおして、という説明が雑すぎて、結局はできなかった。 空に昇る月を見上げる、酒をあおる。 庭は少し崖のようになっていて、海がすぐそばに見える。 遠くにはいくつもの海賊船が明かりをともしている様子が見える。 「檳榔はいくらで売るんだ?」 「えっとぉ、今考えてるの。ヤンバルでは貝殻でお買い物もできないんでしょ?街の中のいろんなお店みてたら、オレンジは銅貨4枚で5つなんだって。だから、檳榔もそれぐらいにしようかなって!」 「なるほどな。売れるといいな」 「うん!」 ぱちぱちと木のはぜる音。 夜も眠らないヤンバルの喧噪。 程よく回ってきた酒に、隣に座るアトリ。 アトリのおでこが月の光と焚火に照らされていた。ホークはせっせと指を動かすアトリを見下ろしながら、ふとその額の美しさを感じた。 「なに?どうしたの?」 じっと見つめられていたことにようやくアトリが気付く。 ホークはいいや違うな、と心の中で思った。 額が美しいのではなく、一番美しいのはその瞳だった。 まるでアトリの心のありようのように、星屑のようなキラキラとした光が瞳の中で輝いているかのようだった。 「なんでもないさ」 「そうなの?」 「そうさ」 「そっか!」 そんな会話をしてアトリは再びあけびを編み始める。 傍に肘をついて横になっても、アトリは視線を少しだけ投げかけただけで、あとはずっと手元を見てあけびをせっせと編む。 夜風がホークの体を撫でる。眠気に誘われてあくびをしながら夜空を見上げる。 瞬く星のきらめきが浮かぶ黒い空に、アトリの瞳を思い出しながらホークはうとうとと眠りについた。 ひどく穏やかな夜だった。 次の日アトリは教会にいた。 行っておいでとホークに送り出されてきたのだった。あけびで編んだ籠に檳榔をたくさん入れて、体よりも大きな荷物になるそれを頭に抱えながら坂を上ってきたのだ。 あーつかれた、と思っていると中に通され、たくさんの椅子のならぶ高い高い天井の部屋についた。 真っ白な衣装を着た聖職者の大人たちが、恭しく祭壇のそばに立つ人物に声を掛けた。 「お連れいたしました」 「ご苦労。下がっていい」 それは少年の声だった。 二人だけになったのを確認すると、少年はアトリに声を掛けた。 「ストーク、と呼んでくれたまえ。君がホークの保護している檳榔売りだな」 「…ぼく、檳榔売りのアトリだよ」 「アトリか。鳥の名前だな」 「うん。ぼくたち、必ず鳥の名前を付けてもらうの」 「それは興味深いことだ。なぜ?」 「えっとぉ・・・・」 あれ、とアトリは思った。なんでだったんだっけ。 アトリの記憶の中では、面倒を見てくれた年寄の檳榔売りたちの顔が何か言っていたことだけ確かだった。だがその内容についてはよくわからない。 「まあ、どこか適当に座るといいよ。たくさんあるから」 「ふーん、じゃあ座るね」 真ん中の通路にほど近く、祭壇の後ろの絵がよく見えるところにアトリは腰を下ろした。 よいしょと、籠いっぱいの檳榔も下ろす。 「ストークは座らないの?」 「そこは祝福を乞う者が座る席だ。ぼくは祝福を授ける側なので、座る場所はどこにもないんだ。特にこの聖堂では」 「じゃあとっても疲れるんじゃない?」 アトリと同じ年のころの少年に見えるストークは、ふんと鼻を鳴らすように腰に手を当てた。 「救いを求める者たちの前では、どんな弱音も言うべきではないからね。疲れたなど、口にもしないよ」 「なんか、よくわからないけど、ストークは頑張り屋さんなんだね!ぼくの友達もそんなかんじだよ!」 頑張り屋さん、と表現されたことに居心地を悪くしたストークは、すこしだけまごつく。 「な、何を言っているんだ。そうそう、君の通行証をホークに頼まれたんだが、君の素性をしらないまま発行できない。いくつか質問に答えてもらうからね」 「通行証?」 「なんだ、聞いてないのか?通行証もないのに海を渡るなど、到底できないぞ。荷物を奪われても文句は言えないし、教会は保護しない」 「そうなの?」 アトリは海賊につかまった時のことを思い出した。通行証を持っているのかどうかを、彼らはひどく気にしている様子だった。 「そうなんだ・・・・」 アトリにとって海には波と風と星しかない。 それ以外のなにもかもは、現実ではないようなきがしていた。 まるで人の家に勝手にやってきて、勝手にルールを決められているような、そんな気持ちだった。不思議だな、という思いがアトリの全身をゆるく包む。 ホークも、海賊も、教会のストークも。 皆何を言っているのだろうか。 波と風と星だけだというのに。 「名前はアトリだな」 「うん」 「家族は?」 「いないよ。アトリ檳榔売りだから、ずっと一人だよ」 「ふーん、ぼくと一緒だな」 何気なくストークはそういったが、アトリは驚いてぱっと立ちあがった。 「な、なんだ」 「そうなの?」 「そうだよ!ぼくはここの大司教となる、と生まれたときから決まっているんだ。肉親と呼べる人はいない決まりなんだ」 「一人ぼっちなのに、どうして檳榔売りじゃないの?ホークが、ヤンバルに檳榔売りはいないっていってたから、ヤンバルには一人ぼっちがいないんだと思ってた!」 「なんだ、それは。そうか、お前の島ではそうなんだな」 「うん、アトリのお父さんとお母さん、遠くに行ってるんだって。いつか檳榔売りを続けてたら、会えるかもしれないんだ~!だからヤンバルに来てオレンジ屋さんになってみようかなって思ったけど、やっぱりアトリは檳榔売りを続けようかなって」 ホークであれば丁寧にアトリの説明を紐解いて、島での暮らしを聞き取るだろうが、ストークはそれほど興味はなかった。高慢なところを隠そうともせず、彼はただアトリが危険な人物かどうかそれだけに関心を寄せていた。 「あっそう。じゃあ、お前の仕事は行商人なんだな。身元引受人はホークと」 木の板に張り付けた紙にサラサラと書き込んでいく。 「あと、このヤンバルに来た目的は?」 「アトリ、運命の人を探しにきたんだよ!」 「運命の人?」 ストークが急に顔を顰めて、胡散臭そうにアトリを見る。 「おいおい、変な宗教を持ち込まないでくれよ」 「なんの話?アトリは、だから、運命の人を探すためにね、自分の心のままに生きることにしたんだよ」 「そんなんで見つかるのかよ、運命の人ってのは」 ストークは馬鹿にした様子を隠さなかった。 「見つかるもん!」 「へえ~?じゃあ、運命の人ってのはどんな人なんだ?」 そう言われてアトリはふと、あれ、と思った。 運命って素敵な名前だと思っていたけれど、じゃあそれはどんな人なのかと聞かれると、そんなことだれも教えてはくれなかったような気がした。 「何か……きっと、すっごく素敵なの!」 「だから、お前にとって何が素敵なんだよ」 「それは…………ッ」 アトリは一生懸命頭の中を探してみたが、どんな人が素敵な人なのかと聞かれるとよくわからなくなった。 アーロンは島の誰からも素敵な人だとちやほやされている。でも、アトリはアーロンを運命だとは感じない。たくましい体つきも、精悍な顔立ちも、面倒見がいいところも、なにもかもアーロンは完璧だけれども、少しもアトリの運命の人ではないのだ。 「・・・・・・わかんない!」 アトリはとても正直な人だったので、わからないことは深く考えなかった。 だってわからないのだし、時間を掛けたところでわからない。 ストークはいじめてやろうと思ってアトリにけしかけたものの、素直にすぐわからないと割り切ってしまった様子に少しあっけにとられてしまった。 「なんだお前。じゃあ、どんな人なのかわからない人を探しにきたのか」 「そうみたい」 ちょっと他人事みたいな言い方をするのが少しおかしかった。 ストークは思わず吹き出してしまった。 「どうしたの?」 「なんでもないさ、ふふ。ホークも毒気を抜かれるわけだ。ははは。わかったわかった。アトリ、運命の人探し頑張れよ」 よくわからないけれど、アトリは励ましてもらったのでうれしかった。 「ありがとう!アトリ、頑張るよ!」 ストークは笑って書類に何かを書き込むと、たたんできれいな封筒に入れてアトリに差し出した。 「なあに?」 「話聞いてなかったのかお前。通行証だよ、これがあれば海賊はお前をいじめたりしないよ」 「へえ~」 珍しいものをしげしげと眺めまわすアトリを見ながら、ストークは今度は猫なで声でアトリに話しかけてくる。 「なあ、アトリ。お前檳榔はいくらで売っているんだ?」 「一袋で銅貨4枚だよ!」 「そうかそうか。じゃあ、お願いをきいてくれないかな。聞いてくれたら全部荷物を買ってやるんだが」 突然の申し出に、アトリはばっとストークを見た。 ストークは悪い笑みを浮かべていたし、およそ聖職者にはふさわしくないほどの下卑た微笑みだったが、アトリにはなんにも感じられなかったので、ただただ喜びでうなづいた。 「うん!いいよ!」 「そうか、いい子だな、アトリ」 アトリは困っていた。 真っ白な教会の服を着た大人たち5.6人が自分のことを取り囲んでいるからだ。 「あなたは誰ですか」 「ストークだよ・・・」 「嘘おっしゃい」 ぴしゃりと言われてしまい、アトリはそうだけど、と小さく小さく体が縮むような心地がした。 お客さんは選ばないといけない、という島の檳榔売りたちの教えは本当だったなと、しみじみ実感してしまっていた。ストークのお願いを、たくさん買ってくれたお礼にかなえてあげるくらい、なんでもないことだと思っていた。 けれど、こんなにも怒られるなんて聞いていなかった。 ちょっとだけ服を交換して、自分が戻ってくるまでの間、ストークのふりをしていてくれないか そういうお願いだったのだ。 「誰です、本当のことを言いなさい」 大人たちは一歩アトリに踏み出す。もう無理だった。 「あ、アトリだよ。檳榔売りのアトリ」 「ストークさまはどこです」 昔、燃えたまま海に出たら火って消えるのかな、という軽い気持ちで船に火をつけたことがあったが、そのときかそれ以上にいま怒られているのはよくわかった。 顔が皆怖いのだ。 「アトリも知らないよ・・・・・!ストークのいじわる!ばかぁ!帰ってきてよ~!」
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