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「まったく、アトリは驚くべき世間知らずだ。簡単に洋服を取り替えてくれて、身代わりになってくれた」 ホークはいら立ちを隠せなかった。 腕組みをしながらいらいらと甲板を足で打ち鳴らす。 「お前、ストーク、よくもこんなことができるな!」 アトリの衣装を着たストークの胸倉をつかみ上げる。 「私の船に忍び込むなど、何のつもりだ貴様!」 ホークの船の海賊たちが心配そうに二人を遠巻きに見ているが、ホークの怒りは周囲にも飛び火する。 「何を見ている!さっさと仕事にかかれ!手を休めるな!」 そうどやされるものだから、皆恐る恐る様子をうかがうだけだった。触らぬ神にたたりなしというが、今がまさにそうだった。 ホークの館から久々に一緒に船に乗り込んだ者たちなどは、アトリに対する穏やかな様子を知っている分、そうそうホークはこういうやつだったよな、と思い返していた。彼とて海の民。海賊を生業にしていることには変わりはないのだ。 ホークたち海の民は総じて体格がいい。 海の日差しに焼けた小麦色の肌に、潮にいたんだごわごわとした黒い髪。 背丈も十分にあるホークに詰め寄られても、ストークは眉一つ動かさなかった。 「なんのつもりといわれても、お前の仕事ぶりを見に来たのだ。久しぶりにホークの黒船が沖に出るようだ、とヤンバルの民が噂していたのでな」 「なんだと。見てどうするんだ。危険だとわかっているのか」 「どうするかは見て決める。離したまえ。今更ぼくだけ下ろすなんてできないだろう」 ストークの高飛車なものの言い方にホークはより一層腹が立った。 「なぜアトリにお前の身代わりなどさせたんだ!」 「ちょうどよかったんだ。ぼくと同じ背丈で、ぼくが誰なのか知らない。世間知らずでお人よし。一応、ヤンバルで一番安全なところに預けてきたつもりだが」 確かにストークの言うように、ヤンバルで教会以上に安全なところはないだろう。 そういう問題ではない、とホークはさらに怒ったが、ストークに何を言っても響くことはないのはわかっていたので、しぶしぶ手を離した。 「まったく、お前も海の民のはしくれ、やはり野蛮なことをする」 「海に突き落とされたいのかお前は」 「ふん、そんなことできもしないのに、吠えるものではないぞ」 甲板での言い争いをいつまでも続けるわけにはいかない。 ストークの高飛車は死んでも治らないと思いなおして、ホークはほっておくことにした。 「もういい。甲板は危険だ、荷物部屋にでもこもっていろ」 「あ、おい、ホーク!ぼくの相手をしないか」 「うるさい。さっさと引っ込め。本当に危ないんだぞ」 「ホーク!」 アトリの服を着たストークが後ろからついてくる。アトリには手をつないでやりたくなるが、ストークには手をひねあげてやりたくなるのはなぜなのか。海賊たちを汚い者のように扱い、近づいてくると身をよじって逃げているストークに対して、とても気分のいいものではなかった。 「頭領」 双眼鏡を除いていた部下がホークを呼ぶ。どこの船も、自分たちの船の主を船長と呼ぶ。しかしこのホークの船だけは違う。それはホークが海の民という失われつつある民族の、紛れもない頭領だからだ。 代々の頭領たちが乗ってきたこの黒船は、海の民たちにとって特別な意味を持つ。 そしてそれは、このヤンバルの海を荒らすほかの者たちにとってもだった。 黒船が来る。 ヤンバルでは、それは運命を左右するようなことだった。 「いたか」 「へい。あれです」 双眼鏡を受け取って覗き込むと、少し先に真新しい帆船が見える。 ホークはその形を捕らえると、双眼鏡を外してその方向に目を凝らす。 肉眼でも確認できる場所にその船はいた。 「どうしやす」 「・・・・もちろん、行くぞ。ヤンバルを荒らすものは、誰であろうと容赦はしない!」 ホークは操舵を握りながら全員に声を掛ける。 「目標を見つけた!用意はいいか!」 作業をしていた者たちは、頭領からの激に思わず手を止めた。 海の蛮族 そう呼ばれる曰くを知っているこの船の全員は、黒船の一員であることに誇りを持っていた。 その最たる行いが今から始まる。 ぐらぐらと湧き出るような闘志を感じながら、誰もが腹に力を入れて答えた。 「おおおおおおおお!」 船の頭上に雲が現れる。 まるでその声に呼応するかのように、どす黒い雲が閃光を光らせて黒船の背後に迫ってきていた。 雷を運ぶかのように追い風が吹く。 到底帆船とは信じられないスピードで黒船が速度を上げ始める。 ストークは驚きながら船のマストにしがみつき、ホークを見上げた。 まるでホークが舵を持ったことに呼応するように、船も天候もその様子を一遍させる。 「これが・・・・・海の民・・・」 ストークはその底知れない何かを感じずにはいられなかった。 あっという間に2艘の船は接近し、海は怒号に包まれる。 通行証を見せろ、という黒船の求めに抵抗した船に海賊たちが流れ込み、次々に甲板に荷物を運び出していた。剣を持って抵抗する者には剣を持って応じる、打ち合いが始まる。 「ありましたぜ、荷物に薬が!」 ホークの部下が木箱を蹴り上げると、お茶や香辛料に紛れるようにして入れてあった袋が破け、甲板に白い粉が散らばる。 「貴様、それに障るな!いくらすると思っているんだ!」 船長が声を荒げるが、今度はホークが怒鳴る。 「ヤンバルにアヘンを持ち込もうとしていたな、貴様!」 船は怒号に包まれる。 甲高い金属音が響く中、ストークは足に力が入らなかった。 頭ではわかっていた。 しかし目の前で剣を握って肉を切り合う様子を見ると、足がすくんでしまった。 船室に隠れるよう言われたのを無視して甲板の物陰に身を潜めていた。 初めて目の当たりにする争いの激しさに、体が言うことを聞かない。 息を殺すようにぎゅっと身を小さくしていると、生臭い息を感じてはっと顔を上げると、相手の船の者が荷物の隙間からのぞき込んでいた。 「お前、檳榔売りか!」 とても商船に乗せる柄ではない者たちだった。 ホークが狙いを定めただけあって、ただの商船ではないのだろう。 「へへ、良いもん見つけたぜ。こい!」 「あっ」 ストークの細い腕を男が引っ張る。 強い力にまろぶように物陰から引き出され、甲板に倒れ込む。 首を狙って切りかかってきた男たちに応戦していたホークは、はっとして振り返った。 「…ックソ。だからあれほど…ッ」 剣をもつ腕に閃光が走る。 薙ぎ払うように剣を振ると、先ほどまでとは比べ物にならない力の強さで、何もかもがはじかれる。 一気に身軽になった体をひるがえし、ストークへ声を掛けようとした瞬間だった。 「アトリ!」 商船から黒船まで甲板には梯子が掛けられている。それをものの数歩で飛び越えて、抜き身の剣を振りかざして近づいてくる人影が見えた。 「な、なんだおめえ!」 急に味方が襲い掛かってきて、ストークを掴み上げた男は一瞬ひるんだ。 その隙を逃さなかった男は剣を打ち込みながら体を押しのけるように突進する。 「うわああああああ!」 あっという間に男の体は船の外に投げ出され、ぼちゃんと海面にたたきつけられた。 「うう・・・」 「アトリ、大丈夫か。なぜこんなところにいるんだ!」 ストークを抱き起した男はその顔を見つめてはっとする。 「・・・・・君は」 アーロンの声は困惑に震えていた。 「君は・・・・誰だ?」 ******************** 「ぼく、檳榔売りのアトリだよ!」 アトリはさんざん教会で怒られた。 ストークの言葉を真面目に信じてはいけないとも教えられた。 改めて自己紹介をすると、教会の人たちは顔を見合わせてあきれたように溜息をついた。 「まったく・・・・・。ストークさまは大変に気高いお方ですが、どうも聖職者にしておくには大胆不敵でいけません。アトリ、これからもストークさまに頼み事をされたら、まずホークか我々に相談なさい。今回はご自分でお戻りになるでしょうが、帰っておいでになったらとっくりとお説教をしなくては」 そう言って彼らは食堂でお茶を淹れてくれた。 「これおいしい!」 「そうですか、いつでも飲みに来ていいのですよ」 「ほんとう?!」 「ここは教会ですから。求める者には与えられるのですよ」 アトリは教会の教義はよくわからなかった。 足をぶらぶらとさせながら、ストークの側近の一人だというシギを見上げた。 「それってどういう意味?」 「ああ、これは失礼。そうですね、『心に正直に生きた者には、本当に欲しいものがあたえられるべき』という、そうですね、まあ、頑張った人は報われるべきだという教えですね」 「本当に欲しいもの・・・・」 「ええ」 「正直に生きたら、なの?」 「そうですよ」 アトリはそのかみ砕いた説明を聞いて、あっと顔を輝かせた。 「『運命の人』だ!」 「はい?」 嬉しくなったアトリは、思わず机に手をついて椅子の上に立ち上がる。 おやおや、とシギは笑う。 「あのね、島のおばあちゃんがね、『運命の人』を探しなさいって。心のままに生きていれば、きっと見つかるからって!それってそういうことなのかな?!あ、どんな人が運命の人なのかはよくわからないんだけど!ストークにそんなの変っていわれちゃったんだけど!」 ぴょんぴょんとアトリは椅子の上ではねる。 「おばあちゃん、すごい!こんなに遠いところの人も、おばあちゃんと同じこと言ってる!」 「アトリのおばあさまですか」 「うん!あのね、アトリには家族がいなくて、おばあちゃんにもいないんだけど、同じ檳榔売りだからたくさん優しくしてくれたの!アトリが困ったとき、いつも助けてくれたの!」 そうですか、そうですかとシギは笑ってお茶菓子を出してくれた。椅子に立ち上がってはいけないのですよ、と優しくたしなめられてアトリは素直に座りなおし、お菓子を口いっぱいにほおばった。 「アトリ、それを食べたらついておいでなさい」 「うん!」 そう言って連れてこられたのは、ストークと出会った聖堂の中だった。 祭壇の後ろに飾られている大きな像を前に、シギはアトリのそばに膝をついて視線を合わせた。 「アトリ、あれを」 視線の先には大理石でできた大きな女性の像があった。 女性の背中からは鳥のような羽が生えている。 右手に天秤を持ち、左手はアトリ達のいる地面のほうへ差し出されている。 「羽が生えてる」 「天使さまです。この教会の始まりだと言われている方です。さきほどの言葉は、この天使さまの教えなのですよ。ですから、アトリのおばあさまは天使さまと同じ言葉を教えたのですから、おばあさまは教会の我々にとっても天使さまです」 「・・・・・おばあちゃん、天使さまなの?」 「はい」 アトリは天使の像を見上げた。 どことなく檳榔売りのみんなに似ているような気がした。 みんな優しくて、みんなあたたかい。 そしていちばんさみしい。 檳榔売りというのは、そういうものだった。 さみしい、とはっきり思ったことはなかった。 島にいたころは。 けれどヤンバルに来てからどうしてか、アトリの胸がときどきじくじくと傷むような気がしていた。 ホークと過ごした時間が楽しかったからだろうか。 温かかったからだろうか。 温かいベッドと温かい食事。 たくさんの人の笑顔に囲まれてにぎやかに暮らすこと。 檳榔売り以外のなんでもできると教えてくれたこと。 お金使って物をやりとりすること。 お前と話すのが好きだと言ってくれたこと。 アトリにとって不思議だったことがあったとき、ばかにせずに、ここはヤンバルだからそういうこともあると言ってくれたこと。 アトリのことをおバカさんと呼ばないこと。 じくじくと傷むのは、おばあちゃんはこんなにも温かく誰かに扱われてはいなかった、とそのたびに思ってしまったからだろうか。そう思うと、とてもさみしい。檳榔売りはみんな、さみしい。 アトリはおばあちゃんが経験したことがないことを、やってるんだ。 そう思うたびに、おばあちゃんにもこの喜びを知ってほしかったな、とアトリの胸がじくじくする。 「天使さま」 もしかしたら、もしかしたら。 もしかして、おばあちゃんは一番さみしいのかもしれない。 そんな気持ちがアトリの中にくすぶっていた。 けれど、彼女はこの天使さまと同じなのだというシギの言葉を聞いて、アトリは胸に火がともるような心地だった。 「おばあちゃんは、天使さまだったんだ!」 おばあちゃんはさみしいのかも。 でも、天使さまなのかも。 天使さまだったら、きっとおばあちゃんは幸せだったかもしれない。 「おばあちゃん、すごい!」 こんなにも大切にされている人と同じなんて、おばあちゃんはすごい。 アトリの胸に沸き上がったものは、安堵だった。 きらきらとしたまなざしで天使の像を見つめているアトリに、シギはおやまあと驚いていた。こんなにも素直に話を受け入れるアトリに、ある種の不穏な予感さえしていた。 よほど、おばあさまのことが気がかりだったのですね。 そうこうしているうちに、教会に呼びつけられたホークの屋敷の者がアトリの服を持って訪ねてきた。自分の服に着替えると、持ってきた檳榔を頭に抱えてアトリは世話になったストークの側用人たちにお礼を言った。 「ごちそうさまでした!ありがとう!」 「またいつでも、お茶を飲みにいらっしゃい」 「本当!?じゃあ毎日くるよ!」 「よろしいですよ」 シギ以外の者たちも穏やかにそう言ってアトリを見送ってくれようとしたが、一人がおやと気が付いて、シギに耳打ちをした。シギもそれにうなづいて、教会の中から小さな箱を取ってこさせた。 「アトリ、お待ちなさい」 「なあに」 今にも教会の門を出ていこうとしていたアトリは、あどけない顔をして振り返る。 「裸足ではありませんか。ヤンバルの道にはガラスの破片だって時々落ちているものです。これを履いてゆきなさい」 そう言って渡されたのは、皮でできたサンダルだった。 「・・・・・・・いいの?」 「もちろんです。あなたに必要なものです」 アトリはこわごわとその古いサンダルに足を通した。 物珍しそうにくるくると回って、なんども目を輝かせながら足を見つめた。 こんなぼろの履物をそんなに喜ぶとは。 シギの不安はやはり少し大きくなった。 「さようなら!素敵なものをありがとう!」 そう言って笑顔で去っていくアトリ。 道を歩きながら明るい声で、檳榔はいらんかね、と小鳥のように歌い上げる。 檳榔を売ったお金でオレンジを買ったり、お花を買ったりして、それも時々売っていた。 欲しい人がきっといるから、とアトリは素敵だと思ったものを買い込んでは檳榔と一緒に売り歩く。 それは新しい檳榔売りの形だった。 アトリはこのヤンバルで、新たな檳榔売りとして歩き始めていた。 ********************* バシン、と大きな音が鳴り響く。 アトリは今なにが起こったのかわからなかった。 目の前のアーロンはとても怒った顔をしていて、振り下ろした右手とアトリの顔を怖い顔で見つめていた。 「・・・・・・・お前は檳榔売りなんだ」 アトリは何も言えなかった。 頬をたたかれた拍子に地面に落ちたアケビの籠から、オレンジや花や檳榔やお菓子が散らばる。 「なんという、はしたないことを・・・・・ッ!」 アーロンは怒っていた。 アトリは泣きたくなかった。 泣いたら、弱いと思われるからだ。 泣いたほうが弱いと、なぜ決まっているのだろうか。 泣きたくないのに、アトリの瞳には涙が込み上げてきた。 「靴を履いて、物を売って銅貨を受け取っているなど!」 「アーロン」 小さく呼んだが、いつだってアーロンにアトリの言葉は届いていない。 「お前は檳榔売りのくせに、なぜそんなこともわからないんだ!」 アトリの胸は、じくじくと痛んでいた。
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