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怒号が鳴り響く2艘の船での混乱は、やがてすぐに鎮圧された。 ホークたち海の民の海賊にとって、船の上での機動などたやすいことで、その辺の怪しい商船の連中に負けるわけがなかった。 商船の船は新しく、帆にはレスターヴァという国の旗が掲げられている。 しかしのせている連中はヤンバル周辺の国々の寄せ集めのような者たちばかりで、皆それぞれにバラバラの服を着て、バラバラの剣を持ち、バラバラに戦っていた。 「引け!」 一方、海賊たちはホークの号令に合わせて動く。 「ばかめ!にがすか!」 黒船へと戻ろうとする海賊たちを、案の定安直な考えをしたごろつきたちは追いかけてくる。 2艘の間に渡された梯子に上ってきたところで、海賊たちは急に身をひるがえしてごろつきたちに向かい合う。 聡い者ははっとして梯子を下りようとしたが、遅かった。 「放て!」 黒船の下の部分から砲弾が放たれる。 黒い鉛の塊が梯子をばりばりと雷のような音を立てて破壊し、ごろつきたちはぼちゃぼちゃと海へ落ちていく。 運の良いものはなんとか船にしがみつくが、今度は黒船から大きなかぎ針のついた鉄球が放たれ、まるで杭のように商船に食い込む。 「鎖を巻け!」 ホークの声が朗々と響く。 梯子を失ったところで、黒船は構わないのは、鎖を打ち込んでしまえるからだ。商船はあっという間に黒船に制圧され、積み荷はすべて黒船に積み込まれ、何とか命のある商船の連中は後ろでに縛り上げられて捕虜にされてしまった。 「アーロン、貴様裏切るのか!」 商船の船長が、ストークを助け起こして介抱していた異国の装いをした男に声を掛ける。 「・・・ヤンバルに着くまでの用心棒として雇われただけで、貴様の仲間になった覚えはないぞ!」 アーロンは吠える。 びく、と大きな声にストークがおびえたのを見て、はっとした表情をした後、苦虫をかみつぶすように顔を顰めた。 「お前がどんな事情であれ、この商船は違法な薬を積み荷にのせていた。仲間ではないという主張を無条件で認めるわけにはいかない。悪いが、一緒に縄についてもらうぞ。身元が証明できさえすれば、ヤンバルで解放される」 ホークがそう言うと、ストークが声を上げる。 「ホーク!この男はぼくを助けたのだぞ?恩人に縄を掛けるなど、ぼくは許しがたいことだ」 「我儘をいうな!だいたい、下の船室に隠れていろとあれほど言っただろう!」 「ホーク!」 言い争う二人に一瞬アーロンはあっけにとられたが、すぐに礼儀正しくホークに声を掛けた。 「いや、あなたの言うことはもっともだ。縄をかけてくれ」 「君!」 ストークは納得がいかない様子だった。 「いいんだ。ここはヤンバルの海なのだから、ヤンバルのルールに従おう」 「でも」 「うるさいぞ、ストーク」 アーロンの身柄は拘束されたが、ストークがあまりにもぎゃんぎゃんと騒ぐので、根負けした海賊たちがストークのそばにアーロンを転がしておけば静かにするだろう、と甲板の上にアーロンだけを放置して、ほかの者は船室に詰め込んでしまった。 「それはそうと、アーロン。きみはアトリを知っているのか?」 ストークからその言葉を聞いて、ホークは不思議そうに眉を上げた。 「なぜアトリの名前が出てくる」 「このアーロンは、ぼくをアトリと思って助けにきてくれたのだ。お前とちがってな」 「お前!」 ホークはしかりつけるように吠えたが、ストークはしらんぷりをした。 その様子をさらにアーロンは不思議そうに見た。 「お二人は、なぜアトリを知っているんだ。ストークの服はアトリの服だ。一体・・・」 「アトリは俺が身柄を保護している檳榔売りだ。知り合いか?」 「アトリが・・・・・」 アーロンはぐっと顔をしかめた。 まるで自らを嘲笑するように、悲し気な様子でさえあった。 「こんな短い間に、ヤンバルにまでたどり着くほどか・・・・。やはり」 そのつぶやきを聞いて、ホークは風のように速いアトリの白い小舟を思い出した。 港の小さな船小屋に置かせている奇妙な小舟は、ホークが今まで見てきたどんな船よりも速かった。 「アトリはぼくの友人だからな。服を取り替えっこしてもらったんだ。まあ、ぼくのふりをしてくれとは頼んだが、本当に馬鹿正直にやってはいないだろうから、港まで出迎えに来るよう鳥を飛ばしておく。アトリの知り合いなら心配はいらないな、ヤンバルについたらすぐに釈放してやろう」 ふふん、と胸を張るストークを、腕組みをしながらホークはじとっとにらみつけた。 「お前はそのあとできっちり教会の連中に怒られてくるんだな」 「うるさい」 アーロンは縛っているホークたちが申し訳なくなるほどの礼儀正しさで、生真面目に礼を言った。 「アトリのような檳榔売りが、どれほどのご迷惑をおかけしているか。友人と呼んでいただけるなど、アトリには過ぎたご厚意だが、こころから感謝する」 「かまわない、気にするな。ヤンバルは正しき行いをする者の味方だぞ」 「世間知らずで無鉄砲なやつだから、知らぬうちに迷惑をかけていても気が付くこともできない。アトリに掛けていただいた慈悲は、これから一生かけて感謝しなくてはならないと、よくよく言い聞かせよう」 「大げさだな。ぼくはアトリ好きだぞ。アーロンはアトリの友なのか」 にこやかに会話をするストークとアーロンの隣で、ホークはアトリのことを思い出していた。 この男は。 透明な水に、ほんの少しの墨を垂らすように、ホークの中で言葉にできない何かが広がっていく。 アーロンの言葉の端々から感じるこの違和感は一体なんなのだろうか。 どうしたの? 夜空に浮かぶ星屑のようなうつくしい瞳のアトリ。 眉から額にかけてのかわいらしい産毛。 こころのままに生きる、という夢を語るちいさな口。 貝殻から石灰を取り出す方法を教えてくれる指。 檳榔はいらんかねと、朗々と歌い上げる声。 アトリ。 ホークの胸にうかぶアトリは果てしなく自由で、何者にもとらわれず、とても無垢だった。 決していたずらに誰かを傷つけようとしなかったし、蛮族という言葉の意味を知って心底申し訳なさそうにホークに謝ってきた。 ありがとう、とよく礼を言っている姿が目に浮かぶ。 アトリ、お前は。 胸に沸いたのは、本当に小さな違和感だった。 お前はなぜこれほどまでに、この男から卑下されなければならないのだ。 その違和感はやがてすぐに確信に変わる。 連絡を受けて港まで出迎えにきたアトリを、アーロンは思いっきり張り倒したのだ。 「この恥知らずめ!」 あまりのことに、ホークの手は無意識に腰の剣に手が伸びた。 「貴様、何をした?なぜアトリを…」 「ホーク」 アトリの震える声が制止する。 「ごめんなさい、アーロン。アトリ、悪いことだって知らなかったの」 涙をこぼすまいとしながら、アトリはアーロンの顔を正面から見上げる。 「アーロンが嫌な気持ちになるって、知らなかったの。えへ、アトリ、たまに、そういうことあるから」 知らない間に嫌な気持ちにしてしまうことがある、とアトリが口にしていたことが蘇ってきた。 それはただ単に、人への気遣いから出てきた言葉なのだと思っていた。 しかしこのアーロンとアトリの様子を見ていると、アトリが言ったささやかな気遣いの言葉でさえ、この男に支配されて信じ込まされて放っている言葉のように思えた。 アトリは地面に落ちた檳榔を拾い始める。 指先が震えていた。 落ちた花を拾い上げようとした指は、ぐっと握りこまれて、ついに拾い上げることをあきらめた。 檳榔売りが花を売るだと。 恥を知れ! アーロンの激高を思い出したのだろう。 「アトリ、あのね、こっちで元気にしているの。まだ運命の人見つけてないし、帰らないんだ。あ、アーロンに迷惑かけないよ。お金、ね、こっちで生活するのに必要だったの」 「帰るぞ、アトリ」 アーロンは地面の檳榔をひろうアトリの細い腕を乱暴につかみ上げた。 「あっ」 「お、おい。待ちたまえ、アーロン。アトリを放してやれ」 あまりのことに呆然としていたストークが、おろおろとアーロンに声を掛ける。 「いや。こいつを哀れに思うなら、こんな暮らしを覚えてしまう前に島へ帰るべきだと思ってやってくれ。こんな、お前のような檳榔売りが」 「・・・・・・・アーロン」 アトリの瞳には涙の膜が張っていた。 「お前はだれのおかげで育ってきたんだ。履物を履くことを許されるのは、島の義務を果たす者だけだ。恩を忘れてヤンバルのような遠い場所まで逃げて、好き放題している。これが恥知らずでなくてなんだというのか。俺が殴りたくてお前を殴ったと思うのか。お前が俺にこうさせたんだ。お前があまりにも自分のことしか考えていないから。なのに俺をそんな目でみるのか、お前も、マゲイも!」 ぎりぎりとアトリの腕をつかむ手に力がこもる。 「いた・・・い、離して。離してよう!やだ、やだもん、アトリ、まだ帰ったりしないもん!」 「うるさい!」 アーロンが吠えたと同時に、右腕が振り上げられた。 「そこまでだ」 振り上げられた腕を、ホークが強い力でつかむ。 「離せ!」 「アトリを放せ!これ以上抵抗するなら、お前も商船の連中と同じところに入ってもらうぞ!」 「こいつは、俺の身内だ!身内のしつけは俺がしなくてはいけない!」 しつけ、という言葉にホークの顔に嫌悪が走る。 「どうやら、貴様には、ここがヤンバルだと覚えてもらうしかないようだな」 「ッホーク」 「黙れ、ストーク!こいつは俺の客人に手を挙げたんだ!おい、連れていけ!」 成り行きを見守っていた屈強な海の民たちが、アーロンの腕をひねり上げる。中にはホークの屋敷でアトリの面倒を見ていた者もおり、突然のアーロンの横暴に目をつりあげて怒りを隠そうともしていなかった。 「っく、離せ!おい、アトリ!こんなこと、只で済むと思うなよ!俺が意地悪でこんなことをすると思っているのか!」 その罵声からかばうように、ホークの体がアトリに覆いかぶさる。 じべたに腰をつけて立ち上がれないアトリを抱え上げる。 隣で編んでいたあけびの籠も一緒に拾い上げ、檳榔と花とオレンジと銅貨。 アトリが震える手で拾えなかったものを、ホークは一緒に両手いっぱいに抱えた。 「アトリ。帰ろう」 その言葉にアトリは眉根をよせて、泣くのを我慢していた。 のどが痛いほど、こみ上げてきているものがあった。 それをごくんと飲み込んで、アトリも小さくうんと答えた。 「うん、帰ろうな」 ホークはアトリの頬にそっとキスをした。 ***************************** 牢屋に入れられたアーロンのもとに、とても強い異国の香りが漂ってくる。 かいだことのないくらいの、甘ったるい香りに思わず顔を顰める。 「あら、まあ。あなたあの島の人間ね?こんなところで見かけるなんて珍しい!」 「・・・・・・だれだ、お前は」 「私?私は西施せいし。ただの商人よ」 金髪碧眼のその女は、うふふと笑って隣の牢に入れられていた商船の船長に声をかけた。 「お前、久しぶりね」 「せ、西施さま!申し訳ありません、ですが、必ず積み荷は取り戻して見せます!」 「ああ、阿片のこと?いいの。できないことをできるなんて、言っちゃだめよ」 その言葉に商人はさらに狼狽する。 「お、お慈悲をください!!できますとも!!!どうか、どうか娘たちは!」 「大丈夫。お前の娘たちは元気に学校へ通っているわ。何処に出しても恥ずかしくない、立派な子たちね。本当に、どこに出しても」 「お考え直しください!!!!なんでもしますから!!」 「そう?そういうなら、また頼むかもね。じゃあまた、ね」 コツコツと足音をたてて西施は入り口へ戻っていった。 「西施さま!!!!どうか!!!!!」 叫び声のようなその懇願の声を一切無視しながら、西施はアーロンにひらひらと手を振って牢から出ていった。 バタン、と扉が閉まると、地を這うような声がひびく。 「レスターヴァ人め、呪われろ!娘たちを返せ!!!!!」
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