心が風邪をひいたようで

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「風邪ですね〜」 「はっ? 風邪ですか」  一週間も前から寒気がしてやる気がおきず誰かと話しても憂鬱でならなかった。そのうち胸の部分も寒くなって体調が優れないから病院にいったが原因不明で精神科を紹介されたその精神科のタヌキ親父に面を喰らったところだ。 「鬱ではなくて風邪ですか」 「そう。心の風邪」  話しを進めようとするタヌキ親父にイライラしながらおとなしく耳を傾けると現代の新しい病気であることがわかった。  本来体よりずっと繊細な心は日々の暮らしのストレスで簡単に弱ってしまう。だから毎日ケアを欠かさず行わなければ行けないのだが僕はそれを怠り何日も心を放置した。うつ病とはまた別で心の風邪は誰にでも起こりうることでさほど珍しくないらしい。 「とりあえず処方箋出しときますね」  そう言われて渡されたのは一冊の本だった。  新品でもなくボロボロでもないその本はどこか懐かしく感じた 「これはなんですか? 薬とかじゃなくて本?」 「おもしろいですよ。ゆっくり読んでみては?」  しぶしぶ受け取るとタヌキ親父は言った。 「続きが読みたかったらまた明日きてください」  僕は文句を垂れながらも家に帰って本を開いた。どうせすぐ飽きるだろうから明日あのタヌキ親父に酷評してやろうと読み始めた。冷やかしで読んでいたのだがどんどんページが進みやがて夢中になっていた。ものがたりの主人公は純粋無垢でがむしゃらに頑張る青年だった。彼は毎日一生懸命働いた。高卒だからとバカにされながらそれでも会社に尽くした。大卒の同輩がどんなに嫌味な奴で彼の手柄を横取りして出世しても彼は負けずに戦っていた。  そして彼はある日恋をした。その娘は駅前の喫茶店で働くふたつ歳が上の人で主人公は彼女の優しさに心を惹かれた。何気ない日常も主人公の心を引き裂こうとする出来事ばかりだったが彼の純粋な心を蝕む経験が彼をもっと純粋にさせた。ものがたりはここで終わっていた。 「続き気になったでしょ」  翌朝、不服にもタヌキ親父を訪れた。 「読んでいるうちに心が軽くなっていく気がしたんですよ。このものがたりの主人公は不器用だけどまっすぐでそんな姿に元気になったんです」  タヌキ親父は笑って続きの本を持ってきたが僕の目の前で本を取り上げた。 「かえしてくれますか? 続きが気になるんですが」 「この続きは僕も気になっていてね。だから君が続きを書いてよ」  ほんのかわりにペンを渡された僕はベッドの上で目を覚ました。そこには母や父、白衣を着た男と女がいた。  僕は思い出したあの日大量の睡眠薬を飲んで自殺を図った。自分の人生に嫌気がさして。  あの本の主人公は自分自身だった。  あのタヌキ親父は神様かなんかかな?  とりあえず喫茶店のあの娘に声をかけてみよう。  僕もあのものがたりの続きが気になるから。
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