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二週間が瞬く間に過ぎ、面談者も総社員数の半分までさばいた。面談で福嶋からされる質問は二つあった。
一、今の社内体制に満足しているか。二、ヘルスケア部の商品展開に対してどう思うか。
傾向としてはまず一も二も特に問題視していない人。そして一か二、もしくは両方に何かしらもの申したい人。あまりいい印象を受けないのは他課の批判を散々熱弁する人だ。そんな社員に限って「じゃああなたはその課がどうすればよかったと思いますか?」と聞かれると特に代案はなく、うまく答えられないのだ。
そんな時、福嶋の顔面には例の殺人的に美しい笑顔が現れる。
面談者と福嶋両方が見える位置でキーボードを叩く了は「うわー切れてる切れてる」と内心でヒヤヒヤした。
洞察眼を鍛えるとともに、福嶋の表情の変化にもだいぶ詳しくなった了だ。
それなら明確な解決策を提示できなくても、自分が所属する課の問題点をあげる方がまだいい。
例えば前回の商品売上が大きく跳ねなかったのは流通に弊害があったからだ、と訴える営業がいた。
「陳列先ドラッグストアのエリア現担当とうちの前任者に確執があったせいで十分な個数の取引と陳列ができませんでした」
福嶋の資料をばらばらめくる手が止まる。
「その確執はどういう経緯で起こったのか。詳細を、あなたはご自身でちゃんと調べましたか?」
「いえ。引き継がれたときは前任者はもうおらず、上司がそう言うだけでしたので」
「だとしたらそれは思い込み、もしくは誇張にすぎないかも知れません。その確執は誰に聞けば詳細がわかると思いますか?」
こういう時福嶋は、割と丁寧に解決案を示してくれる。そしてどの問題に対しても徹底した論理的思考で事実を導き出そうとする。これがトップの実力か、と了は聞いていて感心した。
了の仕事量は総務のときより明らかに増えたがそれより何十倍も多く仕事を抱える人物を真横で見ているから文句は言えなかった。
一日分の面談が終わっても、ようやく自分の仕事が始まったとばかりに福嶋はパソコンを開き、電話をかけ始める。
横の上司が了より先に帰る姿を見かけたことは今だ一度もない。福嶋は働き者だった。
パソコンをかたかた打ち続けている横顔を了はこっそり盗み見る。話しかけづらいな、と様子を伺っているとすぐにこちらの気配に気づいて「何ですか?」と聞いてくれた。
どんなに集中していてもこちらの行動を把握しているのもすごい。目が実は四つあるんじゃないかと疑いたくなる。
「出張のスケジュール組みをしてみたんですが、ご確認していただけますか」
L字に設置された机同士の距離は一メートルにも満たない。プリントした紙を座ったままパスする。
最初はいちいち福嶋のデスク前に立っていたのだが「そういう無意味な敬いは非効率なので不要です」と両断され、やめさせられた。とことん時間の無駄を嫌う上司は案の定、出張期間を目視して顔をしかめる。
「うーん、五日も必要? 詰め込んで三日くらいにできないですか?」
「北海道から福岡まで巡るんです。フライトや交通網のスケジュールと遅延の可能性、営業所までの移動をもろもろ加味するとこれくらいの期間は確実に必要です」
「日本全土には新幹線という素晴らしい乗り物が走っているにも関わらず?」
「どんなに早くて時間に正確でも移動時間は生じます。新幹線はデロリアンのように時空を越えはしないですよ」
有名なSF映画の乗り物を例に挙げた了の冗談に福嶋がくすっと笑った。片眉が困ったように下がる、愛嬌のある顔になった。意図せず崩れた表情の方が、いつもの貼り付けた笑顔より何十倍もかっこいい。
「オーケー、ドク。ではこの日程でお願いします」
赤で直されまくるのかと覚悟して印刷したのだが、まっさらのまま予定表が戻ってくる。新しい上司が小うるさいことは二週間で嫌ほどわかっていたからきょとんとした。
「え、いいんですか?」
「日本の国土は私より絶対に了の方が詳しいですからね」
一発OKが出て嬉しいのと福嶋の笑顔のせいで了は赤くなりそうになる頬を紙で慌てて隠した。
「飛行機のチケットを取ってしまいますね。スカイメンバーシップなどお持ちでしょうか? 番号を入力すればマイル加算できますが」
福嶋の目がきらっと光を吸収した。
まずい。
了は地雷を踏んでしまったことを瞬時に悟って今度はさっと青くなった。
「メンバーシップ『など』? などとは何ですか? それに準じたまた他の何かも含めて持っているかという問いですか?」
「…などに特に意味はないです」
「日本語特有の曖昧表現ですね? でしたら、意味が不明瞭になるので仕事中は使わないでください」
さっきまでの甘い表情をさっと消していつもの完璧なアルカイックスマイルを浮かび上がらせる。
「はい。すみません」
福嶋とやりとりしていると、こういう細かな日本語表現に対する駄目出しを山ほどくらう。作業ミスや意味のはき違えをとことん嫌う福嶋らしい。指摘されなければ一生気づきもしなかっただろう。
確かに福嶋は真っ当なことを言っているのだが。
「マイル加算は不要です。では午後からの面談をそろそろ始めましょう」
廊下に出た了は止めていた息をぷはっと大きく吸い、深呼吸した。
「にしても表情っ、表情ね!」
あの恐ろしい笑顔といかなるときも崩さない丁寧な敬語を本当にやめてほしいと切に願う。そろそろ夢に出そうだ。
赤くなったり青くなったり、福嶋といると緊張しっぱなしでとても疲れる。
やっぱり、いくら不意の笑い顔が素敵でも恋心には発展することはないと断言する。来週からの出張はもっと一緒に行動せねばならない。
巫女など役不足すぎるどころか大失態を今後やらかさないか了は不安で仕方なかった。
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