act.1 君の待つ街に

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「美音〜!!」  会うなり大号泣の美夜さんだった。今日が帰国の日だと伝えてあったから、やはり朝から落ち着きなくずっと店舗の方にいて美音を待っていたそうだ。 「ママ落ち着いて、私は大丈夫よ」 「ええ、ええ美音、美音…!」  もう言葉にならないな。藤原社長に連れられて三人で自宅へのエレベーターへ乗り込んだ。 「竜二、あとでボンを連れてきてくれ」 「はい、親方」  一瞬美音がこっちを見たが、良いからお行きと手で合図をする。俺の手には美音のキャリーカートだ。 「拓海くん、やっぱりわざわざ福島から迎えに来たんやな」  店番は相変わらず田中だ。もうすっかり真面目な社会人で昔の金髪ヤンキーの面影はないから、ちょっと慣れないけど。 「はい、早く会いたかったんで」 「分かる、相変わらず仲が良いやん」  ここに来る時はいつでも美音とセットだった。一緒に来なかったのは、美音が留学する直前に立ち寄ったあの時だけだ。 「ちょお待ってくれ、俺も一緒に上がるから」  田中が自動ドアのスイッチを切って店のシャッターを下ろしている。 「閉店ですか?」 「ああ今日はな。前に拓海くんたちに手伝ぉてもろた夏祭りも昨日終わってるから、今日は会社自体が休みなんよ。よし、行こ」  美音が来るからとわざわざ店を開けて待っていてくれたんだ。相変わらず美音はここでも愛されている。 「ゆっくりしていけるんか?母さんがメシも食わないで待っていたんだ。俺が色々作ったから拓海くん、いっぱい食ってくれな」 「はい、ありがとうございます」  これは急いでとか絶対に言えないや。お開きになった時間で色々考えよう。  大阪で一泊してもいいし、とりあえず東京まで行ってしまってもいい。新幹線じゃなくても下りの夜行、サンライズ出雲とかもある。  美音と一緒なら、なんだって楽しい。  しかし居住区の7階に着くと、いつもの藤原さん宅のリビングじゃなくて別の部屋に案内された。  客間?いきなり普通の畳部屋に、綺麗に畳まれた真新しい布団が一組だ。あと小さいテレビ。ビジネスホテルってこんな感じでは? 「田中さん、ここは?」 「うちの独身寮兼客間。この時間やから拓海くん達が泊まってってくれると母さんが喜ぶんやけど…だめかな?」  言いにくそうに田中は言う。そういう話か、いたれりつくせりだ。時間が時間だからゆっくりして行けってことね。 「ありがとう田中さん、美音も美夜さんに話したい事があるだろうし、どっちにしても福島は明日だと思ってたんだ」  ホテル代が浮いたな、ありがたくこの話に乗ろう。 「そうかぁ、ありがとう!」  田中、嬉しそうだな。相変わらず美夜さんが大好きな孝行息子だ。  俺は美音のキャリーカートを置こうとして、そこに美音が美夜さんたちへのお土産を入れてきたという事を思い出す。結局持っていくか。 「田中さん、最近の美夜さんの具合ってどうですか?」 「うん、お嬢が急にアメリカに行った時はさすがに憔悴して元気無かったけどな。そのお嬢が頻繁にメールをくれててな、自分もお嬢が帰る時にも元気でいなきゃって思ったらしい。頑張ってた」 「そうですか、良かった」  本当に良かった。あの時の事件に美音の実父が関わってる事を美夜さんが知って、とても悲しんでいたと聞いていたから。  美音はアメリカでもちゃんと美夜さんを元気付けていたんだ。  いつもの藤原家のリビングに入ると、とても楽しそうな美夜さんの笑顔があった。側にいる藤原社長も嬉しそうだ。 「拓海さんもお久しぶりね、福島のご家族はみんなお元気かしら」 「はい、みんな変わりありません。美音、ほら」  俺は美音にキャリーを渡した。 「ありがとう拓海」  しゃがんでそれを開ける美音。中から大小の箱を取り出した。 「これはママと藤原さんにお土産なの、はい」 「まぁ!」  丈夫そうな箱だ。封印のシールを開けると、中には虹色に光る光沢のワイングラスが二つ。ペアグラスだ。 「まぁ綺麗、素敵なグラスね!」  美夜さんがそれをリビングに差し込む外からの日差しにかざす。それが更に七色にキラキラ光る。 「良かったら使ってね、同じ物を出雲の両親にも買ってきたの。お揃いよ」 「まぁ、お揃い?嬉しいわ」  笑顔でそれを眺める美夜さんだ。 「こっちの箱は田中さんに、こっちの大きいのは会社の皆さんで召し上がってくださいね」 「え?俺にも?」 「はい」  いつも美夜さんを気遣ってくれる孝行息子さんにだ。中身は俺がオススメでお土産にしたあのジャックトレスのチョコレート。 「お嬢からお土産…ありがとうございます!大事にしますから!」 「いえ、早めに食べて下さいね」  俺もその方が良いと思う、生チョコも入ってるから。しかも今、夏だし。 「さぁ、食事にしましょう。美音も拓海くんもしっかり食べてね、今日のは竜二が腕を振るったのよ」 「母さんもしっかり食べてや、朝からずっと店先から動かなかったんやから」 「竜二、バラさないでよ」  その様子にみんなで大笑いだ、本当に仲が良い親子だから。 「わぁ、素敵な飾り巻き寿司だわ、お稲荷さんもお寿司も。これ全部田中さんが?」 「ああ、和食の方が良いかと思って。今から天ぷらとか煮物とか蕎麦も持ってくるから」 「ありがとうございます」  すぐにテーブルいっぱいのご馳走が並ぶ。天ぷらとは別に、唐揚げとか筑前煮とかだし巻き卵とかまである。後は定番のサラダや漬物や。そのどれもがとても美味しそうだ。 「「いただきます!」」  心づくしの料理が並ぶその場所で、とても優しい時間が過ぎて行った。  
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