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お前が誰だよ
「人間って本当にいっぱい居るんだね。雑草みたい」
「雑草って……」
横に立つ男にうろんな目を向ける。いつも眠たげだと呆れられる顔ではこの気持ちが伝わらないのか、男は気にした風もなく被っていたシーツを下ろしながら窓の外を興味深く覗いていた。
「それは褒めてんの?けなしてんの?」
オリバーが尋ねると、男は不思議そうな顔をこちらに向ける。無機質な目からはなんの感情も伝わって来ない。これがまだ人間を知らないからだとしたら、外に出たこいつはヒトと関わったあともまた同じ事を言うのだろうか。今度はどんな顔をして?
「……外に出るの嫌になったか?」
腰から生えた羽がシーツを邪魔そうに押しのけ伸びをする。本当に血が通っているんだ、と神経の通った指先のような動きに感心して見ていると、血の気の薄い唇がそっと開いた。
「どっちでもないよ。ただの感想」
雑草というより蟻だったかな、と格下げか格上げかわからないことを呟きつつ、恐らく生まれて始めて外に出た天使は雑踏をそう評した。
*****
オリバーは薬師の弟子だ。いつもは主に店番をしているが、薬師が腰を痛めたので代わりに薬箱を背負い店を出る。
じーさんの薬屋はこの町で長くやっているからか、殆どが常連客だ。その中には定期的に店に来れない者もいる。そういった人達にじーさんはいつも自ら薬を持って出向いていた。
「よ、婆さん。薬届けに来たぜ」
「おや、オリバーが来たのかい。薬屋さんは?」
「ちょっと腰を痛めてさ。全く、じーさんも届けてもらう側なんじゃねぇのって言ってるんだけど」
「それを言うならあんたがさっさと継いでやらな」
げ、と顔をしかめた俺をからかうお年寄りに、いつもの薬を渡して今度は来月だね、と言い少し世間話をしながらそれとなく体調について聞く。そんなことを何件か繰り返し、背中の薬箱も軽くなった頃。
「最後の家があるのはこの先か……本当に合ってるのか?」
絶対最後に行くようにとじーさんに何度も念押しされたその相手は、何でも植物の有名な研究者らしく、薬を卸すのと同時に珍しい薬効の植物や種を譲ってもらうのだという。
町の外に出て来たオリバーは、森を前に立ち尽くしていた。
「じーさんの地図雑すぎだろ」
にこーっとしながらものの十秒で書き上げたじーさんは「大丈夫!一本道だし!」と言っていたが。
「一本道も何も、道がねーよ」
どうしようか悩んでいたオリバーだが、既に夕方だ。徐々に薄暗くなる空に、意を決して足を踏み入れた。
唯一顔を知らない相手に、オリバーは緊張していた。郊外の森の奥で隠者のように暮らす学者。何か怪しい研究でもしているのでは?そう疑うのも無理はないだろう。これは一度しっかりどんな人物か見定めたほうがいいかも知れない。森の中を歩きながら、オリバーはそう結論づけるときりりとした顔を作った。
思ったより深い森をしばらく歩くと、唐突に開けた場所に出た。森の中の草原にぽつんと一軒家が建つ。そこには思ったより日が差し込み、陰鬱な雰囲気ではなかった。
「こんな場所あったか? 町のはずれとはいえ知らないもんだな……」
近づいてみると門には鍵がかかっていた。留守なら仕方ない。今日はもう終わりでいいだろうと、安心した途端に腹がぐうと鳴る。きりっとさせた顔も一瞬で普段の眠たげな表情に戻ると、懐から巾着を取り出し飴を一粒頬ばった。ころりと転がした飴が、歯に当たって立てる音が好きだ。ちなみに飴は噛まない派である。
「このまま帰るってのもな……」
とりあえずせっかく来たからには少し見物しようと、門の隙間から中の方を覗き込む。一階建ての平屋だが塀に囲まれており、庭と思しき空間のには周囲とは異なる種類の植物。
家の真裏に回り込むと、塀に囲まれてよく見えないが、小さな屋根裏部屋に窓があるのが分かった。
「あれ……もしかして開いてる?」
一瞬動いたのは人影か、風に揺れるカーテンかもしれない。思わず凝視していると、不意に塀の上に躍り出る影があった。
一目見た瞬間の認識は、見たことのない大きな鳥。両手を広げた男性ほどもある大きな翼をゆるく畳んで塀の上にとまった鳥だと思った。
しかし軽やかに降り立つ足は細く長く、人間の形をしていて。
「は……っング!?」
思わず口の中の飴を飲み込んでしまった。その衝撃を与えた人物は目の前で悠々と立ち上がる。短い白髪が風にさらりと揺れて輝き、白皙の頬は血が通ってるのか疑うほどで、顔立ちは平凡だったがどこか神秘性すら独特な雰囲気があった。
もっとも、そう思う一番の理由は男の腰から生えた大きな翼のせいかもしれないが。
喉を落ちる異物感も気にならない程、全身で困惑を表すかのように驚き固まり行儀悪く人差し指を突きつけたオリバーに、突然現れた天使は全くの無表情で言った。
「君、誰?」
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