④ 『雪が舞う中で』

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④ 『雪が舞う中で』

「ふっかふかぁ~」  白いまんじゅうとやらを両手で持っているバルネアが、その手に伝わる感触を素直に口にする。  確かに私が持っているオレンジ色のそれも熱くふかふかだ。これは熱いうちに食べなければ。  しかし、立ったままだと難儀なので、私達は近くのベンチまで足を運び、そこに腰を掛けてから、食べることにした。 「わぁ~。すごい。こんなに厚い生地なのね。中の餡も美味しそう」  バルネアはさっそくまんじゅうを割り、そんな感想を漏らすと、「はい、ルーシア」と、私に紙に包まれた方の片割れを手渡してくる。  仕方なく、私はオレンジのまんじゅうを膝の上に置き、それを受け取った。 「これは確かに随分と分厚い生地ね。でも、理にかなっているわ。中身は豚肉と香味野菜のようだけれど、この厚い生地が肉汁を受け止めて旨味を閉じ込めて……」 「あっ、あふっ! あふっ!」 「ええぃ、人が喋っているのに、すぐにかじりつくな、この食いしん坊が!」  バルネアを窘めながらも、しかし確かにこれの賞味期限は熱いうちだと判断し、私もまんじゅうにかじりつく。  ふかふかの生地を噛んだ感触が心地いい。そして、中身の具である大ぶりに切られた肉のゴロゴロとした感触が楽しく、旨味が口いっぱいに広がっていくのが至福だった。  はふはふと、口が火傷しないように空気を取り入れながら食べるのが楽しくてたまらない。これは想像以上の美味だ。  この寒い中、体が温まる。 「よし、バルネア、こっちも食べてみましょう!」 「ええ!」  私はオレンジのまんじゅうを半分に割り、バルネアに紙に包まれた方を手渡す。 「あふっ、あふっ! ああっ、これも、美味しい。春雨が旨味を中に溜めているのが素晴らしくいいわ。少しスパイシーな味付けも、あっさりとした鶏肉にすごくあっているわね、ルーシア!」 「ええ。それに加えてこの具材と皮の比率が素晴らしいわ。これ以上皮が厚かったら味が薄すぎるし、これ以上具材が多ければ濃すぎる。そのギリギリの絶妙なバランスね」  私はそんな事を言いながらも、冷めてしまう前にまんじゅうを食べてしまう。  お腹はすっかりとキツくなってしまったが、このまんじゅうとやらを食べなかったら、新たな味の発見をすることができなかった。  こればかりは、バルネアの食い意地に感謝するしかない。 「ああっ、幸せぇ~」  私の感謝など知らずに、バルネアは満腹になったことに加え、美味を味わえたことに至福の笑みを浮かべている。  幼子のようなその表情に、私は苦笑するしかない。 「ほらっ、今はいいけれど、すぐに体が冷えてきてしまうわよ。ゆっくりでいいから歩くわよ。腹ごなしも兼ねてね」 「は~い」  私が立ち上がると、バルネアも立ち上がり、当たり前のように私の腕に抱きついてくる。  もう、離れろというのも面倒くさくなり、私はそのまま屋台が立ち並ぶ区域を後にすることにしたのだった。 ◇  まだ夕食時まで時間があるが、日が随分と傾いてきてしまう。  これだから冬はあまり好きではない。日が短いと、それだけで気が滅入りそうになる。  まぁ、そんな女々しいことは、思っても私は決して口にしないが。 「ねぇ、バルネア」 「んっ? なぁに?」  あてもなく繁華街を歩きながら、私の腕に抱きついたままのバルネアに声をかける。 「分かっている? もう私達に残されたチャンスはあと一回しかないって」  私の硬い声に、バルネアは静かに私の腕から離れた。 「ええ。分かっているわ」  バルネアは寂しそうに、けれどしっかりとした声で答える。 「……それならいいわ……」  私は普段と変わらぬ口調で言ったつもりだったけれど、何故かその声色がいつもと違ってしまった。 「最大でも、私かあんたのどちらかしか<銀の旋律>には入れない。そして、私は必ずこの最後の機会をものにするつもりよ。だから、あんたと馴れ合うのも今日でおしまい。明日からはたった一つの席を奪い合うライバル。いいわね?」  私ははっきりとそう告げる。 「ええ。私も、『世界一の料理人』になるために、どうしても<銀の旋律>に入らないといけないもの。負けるつもりはないわ」  バルネアは珍しく真面目な顔で断言する。 「そう……」  私は、隣を歩くバルネアの顔を見て、短くそう答えた。  だが、そこで、再びバルネアが私の腕に抱きついてくる。 「ちょっと、何のつもりよ?」 「だって、競い合うのは明日からでいいでしょう? 今日は二人でデートを楽しみましょうよ!」  バルネアの脳天気な言葉に、私はあっけにとられる。  私達はライバルだ。そして、もう二人揃って<銀の旋律>に入ることは叶わないことを確認し合った。それなのに、この天然ボケのお馬鹿は、変わらず私に抱きついてくるのだ。  私は嘆息する。  そして、苦笑した。 「だから、デートじゃあないって言っているでしょうが! まぁ、食事は楽しく食べたほうがいいのは間違いないから、家に帰るまではこのままでいいわよ」 「……うん。ルーシア……」  私は甘えん坊なライバルに声を掛け、いろいろな店を見て回る。  そして、お腹が少し空いてきたところで、予約していたレストランに向かうことにした。  その頃には空には星が見えるものの、雪も少し強くなってきてしまう。 (ああ~あっ。シチュエーションは最高なのに、なんで私は女二人で……)  私はそんなことを思いながらも、右腕にぬくもりを感じながら、笑みを浮かべて夕食を食べに向かうことにする。  そしてこれが、<銅の調べ>で働いていた私が、初めて過ごした、仕事以外のクリスマスの想い出だった。 ◇  昔を思い出し、私は夫と息子にその頃の話を聞かせ終えた。 「というわけでね。私の青春は灰色だったわけよ」  私は嘆息混じりに話を締めくくったが、息子のコーティは呆れたような顔をこちらに向けてくる。 「いや、どう考えても充実していたみたいじゃんか。俺には、昔の恋人自慢にしか思えなかったんだけど?」 「はぁ? どこをどう聞いたら、そんな話になるのよ?」  その言葉に、私は文句を口にする。 「そもそも恋人って何よ? 私もあいつも、女同士なんですけれど?」 「いや、世の中いろんな趣味の人間がいるらしいから……」  性倒錯者扱いされた私は、息子にニッコリと微笑みを向ける。 「コーティ。貴方は今日の食事はいらないということかしら?」 「なんでそうなるんだよ! 昨日から楽しみにしていたんだから、食べるに決まっているだろう!」 「だったら、お母さんをからかうんじゃあないわよ! もう、貴方もなんとか言って……」  私はずっと膝枕をしていた夫にそう促したが、夫は静かに体を起こすと、真剣な表情で私を見つめてくる。 「なっ、なに? どうしたのよ?」  戸惑う私に構わず、夫は私の手を両手で握ってきた。 「ルーシア。今からデートに出かけよう!」 「はっ? えっ?」  夫の突飛な提案に、私は面を喰らう。 「やはり私はもう少し休みをとって、家族サービスに尽力しなければ駄目だな。君が誰の妻で、その身も心も誰のものなのかをしっかりと分からせる必要がありそうだ」  夫の顔は真剣そのもので、微塵も笑っていない。 「コーティ。留守番はできるな? 家族の危機だ。私達は出かけてくる」 「ああ。夕食までには帰ってきてよ」  驚く私は蚊帳の外で、夫と息子は何やら勝手に決めている。 「それと、年の離れた兄弟はいらないからな、俺は」 「ふっ、それは神のみぞ知るという奴だ!」  得意げに笑みを浮かべる夫と呆れている息子を見て、私の中で何かがプツンと切れた。 「何を好き勝手言っているのよ! この馬鹿親子は!」  それから私の怒声が家中に響き渡り、夫と息子は、私からの鉄拳制裁を頭に受けることになるのだった。   ◇ 「まったく。よく食べたわね、うちの男どもは」  私はお客様が来てもいいように少し多めに料理を作っていたつもりだったが、夫も息子も呆れるほどによく食べて、もう料理は殆ど残ってはいない。  まぁ、この私が腕によりをかけた料理なのだから当然ではあるのだが。  私は洗い物を片付けて、ソファーに腰を下ろす。 「あいつも、今頃……」  私は、ひどく手がかかる親友の、バルネアのことを思い、口元を緩める。  夫を船の事故で亡くしたあいつは、年に一度のクリスマスも一人で過ごしてきた。寂しがり屋のあいつにとって、それはとてもつらいことだっただろう。  だが、今はあいつのところには、あの二人がいる。  ジェノとメルエーナの二人が。  あの二人がいるうちは大丈夫だ。きっと、楽しい時間を過ごしているに違いない。 「ルーシア」  私が物思いにふけっていると、自分の部屋から居間にやってきた夫のライナスが声を掛けてきた。 「あら、どうしたの、貴方?」  私は敢えて分からないといったふうに尋ねる。 「いいワインを用意しているんだ。ツマミも君の料理には劣るが、最高のチーズを用意した」  夫はそう言って、テーブルにワインとチーズを乗せた皿を置く。  私がテーブルに歩み寄ると、夫は静かに椅子を引き、私に席に座るように促す。  静かにそこに腰を下ろすと、すぐにワイングラスが給仕され、私の大好きな赤ワインが注がれた。  夫が自分のグラスにワインを注いだのを確認し、私達はグラスの腹の部分を軽く合わせて、静かに魅惑の赤い液体を口に運ぶ。 「ふふっ。美味しい。かなり奮発したでしょう?」 「ああっ。こうして二人でゆっくり飲むのも久しぶりだからな」  夫はそう言って微笑む。 「ごめんなさいね。でも、後進も順調に育ってきてくれているわ。これからは、もう少し家族の時間が取れると思うわ」 「勘違いしないでくれ。私は仕事に打ち込む君のことも誰より愛している。お互い、足りない部分は助け合う。それが一緒になる時の約束だったはずだ」  夫はまた微笑む。 「ふふっ。なによぉ。今更、妻を口説いてどうするのよ?」 「さぁ? どうするつもりだと思う?」  ええぃ、質問に質問で返すんじゃあない。    そうは思いながらも、私は自分が本当にこの人から愛されているのだということを再確認する。  夫と子供を大事にしてと、以前バルネアにも言われた。  そうだ。このかけがえのない夫と、私達の愛の結晶であるコーティを大切にしなければ罰が当たってしまう。 「そう言えば、ついこの言葉を言うのを忘れていたわ。メリークリスマス。ライナス……」 「ああっ。メリークリスマス。ルーシア……」  私達は昔のように互いの名前を呼び合い、この日を祝う。  それは何気ない、けれど特別な一日。  きっと、あの天然馬鹿もこの日を満喫できているはずだ。 「今日は、もう母親役はおしまいでいいだろう?」  コーティはとっくに寝ている時間だ。だから、夫はそんなことを口にした。 「ええ。そうね……」  私がそう応えると、夫は、ライナス卿は立ち上がって私を抱きしめた。  結婚した当初は、どうして貴族であるこの人が、家の反対を押しのけて、平民である私と一緒になったのか分からなかった。だが、今ならその理由がわかる。 「愛しているわ、貴方……」 「私もだ。誰よりも、君を愛している」  静かに唇を重ね合わせ、私達夫婦は、互いの気持ちを確かめ合う。  窓の外は雪がしんしんと降っていたが、私達の家は何よりも暖かかった。 
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