第一章 誘拐

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第一章 誘拐

 ザザーンッという小波の音と磯の臭いにハッとなり、アイビーは目を開いた。 初夏だというのに肌寒さを感じる。 どうやら、長い間、横たわっていたらしい。  手足を縄で拘束されていた。おまけに猿轡をはめられており声も出せない。  はてさて、ここはどこなのか……。  天井の隙間からは薄っすらと心許ない月明かりが漏れている。  やがて、少しずつ暗闇に目が慣れきた。古びた銛や釣竿や魚籠のようなものが周囲に置かれている。どこかの漁師小屋に連れ込まれたようだ。すぐ目の前に、スミレの造花が愛らしいお気に入りの麦藁帽子が転がっている。  髪をかきあげると指先には砂利がこびりついていた。きっと、桃色のドレスも高価なレースの手袋も汚れているに違いない。 「うっ……。ぐっ……」  色々と身体をねじってみたが、その縄がほどける気配が微塵もないので、困ったなと不安を積らせる。  アイビーは、子供みたいに華奢な体付きの十七歳の活発な女の子だ。 燃えるように赤い巻き毛。ツンと尖った小さな鼻。好奇心旺盛な大きな瞳。サンランボのように赤い唇。生意気な猫のように愛らしい容姿をしているけれども、言葉遣いは乱雑だ。 (このままだと娼婦にされちまうぜ。あたい、どうすりゃいいんだよーー。ちっくしょう)  脱出しようとして不恰好な体勢で戸口へと移動する。思い切って木製の扉に頭突きを食らわしてみたがビクともしない。そして、不意にグーッと腹の虫が鳴った。  ポツンと一人、こんなところに置き去りにされてしまっている。  胸に迫る不安の波を打ち消そうとして目を瞑ると、中尉の麗しい顔が思い浮かび、たちまち、甘酸っぱいものか胸に込み上げてくる。 (クイン中尉、どこにいるのさ……。約束通りに誘拐されたんだぜ……)  最初の頃は、彼のことが大嫌いで苛々して反発していたけれども、今は会いたくてたまらない。 (あたいを守るって約束したじゃないか。どこにいるんだよーーー)  愛しさの裏返しで何だか憎らしくなってきた。  そう、あれは一ヶ月前の深夜。人通りの少ない深夜の下町で運命的に中尉と出会ったのだ。
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