11人が本棚に入れています
本棚に追加
始まりは、八月を迎えたばかりの熱帯夜。単身者向けのワンルームマンションの一室で、まぶたを閉じている私。パイプ枠の硬いシングルベッドの上は、どんな体勢でも寝苦しく。身動ぎするたび、ギシギシと軋む音が暗闇に漏れる。
━━今日も、朝まで不眠コースだわ。
眠ることを諦めかけた刹那。
コンコンコン。
規則的なノックが、三度。
コンコンコン。
さらに、続けて三度。パイプベッドの不快な軋みを打ち消すように、リズミカルに響き渡る。
━━あ、インターフォンないんだっけ。このアパート。
まぶたは軽快に開いたというのに、首から下は重く鈍く。踏ん張ることを拒否する下半身を引きずりながら、ノックの鳴る玄関へと私は向かう。ためらうことなくドアを開けた理由は、深夜の訪問者に心当たりがあったからだ。
「アキちゃん!?」
三日前から帰らない、愛しい彼。
アキちゃんが戻ってきたのだと確信した私は、恋人の名を呼んだ。それなのに━━。
「誰?」
ドア越しに対面した人物を前に、私は再度問う。
「誰?」
金色のロングヘアに、スラリと伸びた手足。目の前に佇むのは、子どもの頃に遊んだ着せ替え人形さながらなスタイルを備えた━━純白のドレスに身を包んだ麗人。
「アンタこそ、誰?」
着せ替え人形……もとい麗人は、投げやりな調子で私に聞き返す。可憐な顔立ちと装いに酷く不似合いな、乾いた砂を誤って飲み込んでしまったかのような低くザラついた声色で。
『ノンデリ』とは、私みたいな人間のことを差すのだろう。我ながらド直球な質問をしてしまった。
「え、男?」
黒目がちな瞳を恨めしそうに潤ませた訪問者は、桃色のなめらかな頬を分かりやすくふくらませる。赤く艶やかな唇を尖らせたのは一瞬で、わずかの隙間から輝く白い歯を見せた後に掠れ声で小さく名乗った。
「そうよ、男。だから、何。アタシは、ヨーコ」
最初のコメントを投稿しよう!