十二月二十六日

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十二月二十六日

「年の瀬かぁ」 午前中の索敵任務を終え、一息入れた一斉がふらりと整備場に現れ木箱の上に腰掛けたかと思うとポツリとそう零した。 「ん?ああ、そうか。もう二十六日か」 機械油に塗れた腕で額にじわりと浮かんだ汗を乱雑に拭う。 ラバウルは通年蒸し暑く、透明度の高い海や白い浜、どこにいても目を向ければ飛び込んで椰子の木や芭蕉の大きな葉がここが夏であると物言わぬ主張をしてくるせいで、七於が季節の感覚を失ってからだいぶ経つ。 十二月二十六日と言えば、一斉の言ったようにもう年の瀬と言ってもいい頃だろう。 「南洋にいたら年の瀬だとか冬だとか、言われたところで全く腑に落ちないよな」 七於と同じことを思っているのだろう、「仕方ないけど」と続けながら一斉は苦笑した。 「俺の家さ、母親がえらい奇麗好きで。もうこのぐらいから大掃除だって騒いでたなぁ……」 毎年雨戸まで外して隅々まで磨き上げる母に付き合わされ、七於と妹たちは母のいないところで愚痴を言い合ったものだ。 「大掃除かぁ。俺んところは年末年始は忙しいから、もう十月ぐらいに全部終わらせてたよ」 「そっか、お前の家、神社だっけな」 汚れた雑巾を足元のバケツの中で濯ぎながら、七於は一斉を見上げて言った。 飛行服か作業に従事する時に着る防暑服ぐらいしか一斉の格好を見たことがないから、いくら「狛犬耳」と呼ばれているのを聞いても、いまいち七於の中で一斉が神社の家の息子であることが結びついていなかったのである。 そういえば神社の人って普段は何を着ているのだろう。和装か? 七於の思考を読み取ったかのように、久々に実家を思い出したのか一斉が朗らかな顔で話し始めた。 「毎年晦日の前日ぐらいから年始いっぱいまで近所の女学生さんたちが手伝いに来てくれてさぁ。うち男兄弟しかいないから、かーちゃんが喜ぶんだわ。可愛い子がたくさんで巫女装束も着せ甲斐があるって」 カラカラと笑いながら一斉が頭の後ろで手を組みながら言う。 「神社にいる巫女さんって手伝いだったのか」 「んー。普段からいる巫女さんは大体その神社の娘とか親戚だろうけど、年始にいる巫女さん連中は手伝いが多いと思うぜ」 「ふーん。お前の前で言うのもあれだが、俺なんか初詣に行っても甘酒貰って帰るだけだから御籤すら引かないけど、そんなに忙しいんだな」 除夜の鐘を聞きながら「初詣に行きたい!」とはしゃぐ妹たちのお守りで七於も毎年元旦を迎えると同時に神社にいることが多かった。 御神籤を引いてキャアキャアと盛り上がる妹たちがはぐれぬよう目を配りながらも、芯から冷えていく身体を温めるためになんだかんだで甘酒を貰う器を忘れたことはない。 肩を縮こまらせて歩く夜道の寒さが恋しくなる日が来るなんて……。と温い水の中で濯いだばかりの雑巾で濡れた手をささっと拭う。 一斉もまた気怠い暑さを振り払うように防暑服の裾をパタパタと振り、服の内側に風を送りながら続けた。 「まあ、男は大体そんなもんだろ。御守りと破魔矢だけでもその年の利益の三割に行く時もあるらしいから。まあ俺のところは上に兄貴が二人いてどっちも家業を継ぐから、俺は昔からあまり詳しくないけどな」 「そんなにか!そりゃ大変だ……猫の手も借りたいってこのことだな」 「ははっ、まあな。猫っつうか女子だけどな」 そういやさ、と悪戯気に一斉は含むように笑うと近くに来た七於をどこか挑発するように見上げ言った。 「どこの神社にも巫女装束がたまらんっていう男連中が来るんだけど、お前も巫女装束が好きな奴か?」 「は!?」 少しばかり一斉の目線に色気を感じ、ドキドキとしていた七於は予想外の言葉に目を見開きながら叫んだ。 七於の声に驚いたのか、近くの木に止まっていた鳥がバサバサと羽音を立てて飛び去った。 「いや、なんとなく。お前って真面目だけど変なところに癖がある感じがするからさ」 「し、心外だ……!」 「えー、別に貶したわけじゃないんだけどなぁ」 アテが外れたというように首を傾げる一斉が納得していないとわかり、七於は自分でもおかしなぐらいの熱量で弁明を始める。 「可愛い子が巫女さんの着物を着ていたら「ああ、可愛いな」とは思うが、自分の好みではない子が巫女装束を着ていたとして「巫女さんか」ぐらいにしか思わないから、俺にはそんな変な性癖はない!」 「可愛い子ってどういう子?」 「どういうって……」 一斉にそう問われて、はた、と七於は止まった。どんなに考えても浮かぶのは一斉の顔だけで七於は自分の顔が熱くなっていくのを感じる。 「わー!なんだよ、照れちゃって〜!」 まさか脳内で自分を思い浮かべられているとは露知らず、悪ガキのようにニヤニヤと笑いながら一斉が揶揄うように言う。 「て、照れてるわけじゃなくて!お前が!」 「俺?」 しまった、と慌てて口を噤むも「俺がどうしたんだよ〜!」と一斉は揶揄いの手を緩めない。額に浮かんだ汗がポツリと落ちて、不意に七於は、一斉を可愛いと思うことの何に焦る必要があるのかと開き直った心持ちになった。 揶揄われるばかりじゃ面白くない。俺だって一斉のことをいくらだって狼狽えさせられるんだ。 と一斉からするとはた迷惑極まりない妙な宣言を脳内でする七於に「なぁなぁ」と一斉は呼びかける。 「一斉だよ」 「え?」 「俺が可愛いと思う子」 腕組みをして大人しく整備を待つ機体にそっと寄りかかりながら七於は不敵に言った。 「ばっ……!な、何言ってんだ七於っ」 形勢逆転。 面白いように瞬時に顔を真っ赤にした一斉が辺りをキョロキョロと見回した。 「だって本当なんだからしょうがないだろ。お前が巫女装束着たら俺は巫女装束を見るたびにお前のこと思い出すから、巫女装束もいいなぁと思うようになると思う」 「んなーっ!?」 狛「犬」耳を持つ「犬」鳴一斉は、けれど尻尾を踏まれた猫のようににゃおうと叫んだ。そのまま驚愕のあまりかパクパクと口を開けたり閉じたりする一斉を見て七於は、やっぱ可愛いなこいつ。と言葉に出さずに思う。 「俺は一斉のこと可愛いと思ってるから、お前が巫女装束だろうが、振袖だろうが何着てても可愛いと思うよ」 「な、なんで選択肢が和装ばっかなんだよ!って、そういうことじゃなくて!なんで女装ばっかなんだよ!」 と突っ込みを入れる一斉の言葉で、確かに。と七於は首を傾ける。 「確かに……お前洋装より和装の方が似合うと思うぜ」 「え?そうなのか?……ってだから!」 なんで女装なんだよ!と喚く一斉をさておき、七於はどれ、と考える。 一斉の日本人にしては淡い色の癖っ毛と大きな目は普通に考えると洋装の方が似合いそうなものだが、なぜか七於の中では和装姿の一斉ばかりが頭に浮かぶ。 「神社のさ、神主の服?名前がなんていうのか知らないが、それも似合いそうだし、袴も様になりそうだし、なんなら袈裟とかも似合いそうだよな」 顎に手を当てながら唐突に真剣な表情で評論し始めた七於に虚を突かれながらも、女装から話が逸れたからか一斉も「え〜、そうかぁ?」などと満更でもない様子になる。 「やっぱ神社の家の子だと和装が似合うようになってんのかな」 「似合うようになるってなんだよ!」 ブハッと噴き出しながら笑う一斉はもういつもの明るく元気な一斉だ。 自分のさりげない言動で初心に照れたり怒ったりする姿も可愛くて好きだが、七於はいつも溌溂として明快な一斉だからこんなにも好きになったのだ。 落とし所を見つけて七於は、ふむふむと頷きながら再び雑巾を手に取った。 「……内地にさ」 「ん?」 ひとしきり笑った一斉も七於を手伝うように工具箱へと手を伸ばしながら、小さくこぼれた七於の呟きを拾う。 「内地に帰ったらさ、お前の和装を見せてくれよ。妹連れて、お前のところの神社に初詣行くからさ」 「……しょうがねえなぁ。とびっきりの装束着て待ってっから、甘酒だけじゃなくて祈祷もしていけよ?」 そう言った声音はどこまでも優しかった。 「もちろん、そのためにもまずはこの零戦を完璧に仕上げてやらなきゃな!」 ピーヒョロロロ、と軽やかな囀りと共に二羽の鳥が近くの木に止まった。それを見てどちらからともなく笑顔をこぼし合う七於と一斉の額には汗が滲んでいる。 暑い熱い年の瀬は、まだまだ始まったばかり。 『正月和装妄想伝』
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