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は、と息を吐くと白い。冬はいつも、つんと少し煙ったような匂いと、その冷たさで鼻を麻痺させる。そういえば、目が見えない人は耳が良く聞こえるとか聞いたことがある。もしかしたら同じ理屈で、だから冬は世界が余計鮮明に、淋しく見えるかもしれなかった。
錆だらけの階段の一番上に腰掛けたまま、もう一度、今度はゆっくり、ハーっと息を吐いた。丈のたらない黒のズボンは生地が薄くて、尻が痺れるように冷たい。でも尻の下に敷けそうなものなんてランドセルの中のノートくらいしかないし、これを踏むのはなんだか気が引けた。
これからどうしようか。
昼すぎでこれだけ寒いんだから、夜はもっと冷え込むだろう。今日は雪が降るかもしれないとクラスの誰かが言っていた。誰かというか、口々に、楽しそうに。
今日は、ホワイトクリスマスになるかもしれない。
だからなんだって言うんだ。嫌な気持ちになって、座ったまま、上半身だけ後ろに寝そべる。傷と落書きだらけのランドセルのクッションが、やわらかく背中を包んだ。そもそも、アパートの階段でこのまま寝ちゃおうかなあとか思っている僕に、クリスマスっていう行事そのものが関係ない。
目を一度ぎゅっと瞑って、開く。
この程度じゃ世界は変わらず、いつもの汚れた天井しか見えなかった。もう一回ため息を吐くと、その天井が少し自分の息で隠れる。これから、どうしようか。
「そこの少年、ヒマかい?」
突然、声をかけられて慌てて上体を起こす。古くて今にも崩れそうなアパートの、敷地の一歩外側。真っ黒い髪、茶色い目。
そこに現れた、赤いダッフルコートが目を焼いた。
「ね、少年、ヒマなのかい」
そんな変な喋り方の、それは女の人の声だった。少し離れているのに、よく聞こえる声。ちょっと赤い鼻の下で、口が三日月のかたちをしていた。
「ねえってば」
「うわっ!?」
なんて観察をしていたら、声が耳のそばで聞こえたから思わず飛び退いた。いつの間にか、座っている僕の隣に、さっきの女の人が座っていたのだ。赤いダッフルコートに、黒い髪。茶色い目の下で口はまっすぐ、なんの表情もなく閉じている。慌ててさっき彼女がいた方を見ると三日月の彼女はまだそこに立っていた。
全く同じ姿かたちの、でもどうやら、彼女は二人のようだった。
「ヒマなら、ちょっと手伝って欲しいんだけど」
と、声も顔も楽しそうに向こうの彼女が言った。
「手伝ってくれたら、私たちの魔法でなんでもひとつ願い事を叶えてあげよう」
と、真顔のまま冗談めかして隣の彼女が言った。
僕はすっかり混乱して、何もいえないまま頷いたのだった。
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