コネクト

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コネクト

-1-  カシャ、と作り物の音がする。  スクリーンの向こうからこちらを向く古いカメラのレンズ。ひょっこりそこから顔を出した彼は目を細めて、笑う俺を見ていた。 「かっこよく撮れた?」 『かっこ良くてかわいいよ』 「いつもと同じ?」 『いつもと同じ』  大きく空いてしまった壁の向こうは砂嵐が舞っている。建物を揺らし、吊るしたスクリーンも揺れる。  スクリーン越しの彼は、スクリーン越しの俺を撮る。  ほどなくして映されたのは、今しがた撮った俺の写真。極限までスクリーンに近づいて、影を作らないよう歪みを作らないよう、まるでそこにいるけれどぼかしたんだとでも言いたげな写真。 『誰かいませんか』という呼びかけに答えてくれた彼は、ずっと僕を撮ってきた。  天気予報が砂嵐が止む時刻を告げる。  俺がいる瓦礫の町には、もう人は残っていない。だけども砂嵐に負けずに立つ電波塔と、豪雨に負けずにどこかで働く観測塔が、空の機嫌が良くなるタイミングを教えてくれる。そうしたら俺はこの部屋を出て、少しずつ町を探索する。  天気予報は彼が教えてくれる。彼の所ではそういう放送がされていて、それを届けているだけだよと彼は言う。 『まだそこにいるの?』  画面の向こうで彼が問う。 「んーそうだね」  3か月ほど前この町に来て、部屋の片隅で机や椅子だった物に守られるように折れ曲がっているスクリーンを見つけた。俺はその皴を伸ばし、以前の町で拾っていた映写機(キューブ)を起動した。 『誰かいませんか』  昔、海に例えられた広大な世界に呼びかけた。  俺以外に誰かいませんか。  話し相手になってくれる人はいませんか。  一人寂しくて泣いている人はいませんか。  明日を不安がって膝を抱えている人はいませんか。 『もしもし、もしもし。君はそこにいる(・・)の?』  返ってきた不安定なノイズ交じりの返事。俺は一生懸命叫んで答えた。現実で声を張り上げたところで何の意味もないというのに、スクリーンに向かって大声を出した。吹き荒れる砂嵐に負けないように、ドアもなく二つ先の部屋まで見通せる壁から隣の建物まで届くみたいに。  彼は古い地図を俺に見せ、「自分がいるのはここらへんで、君がいるのはきっとこの辺じゃないかな」なんて曖昧なことを言ってきた。それはとても遠い距離だったけれど、ネットに引っかかったことを喜んだ。  俺は目的地もなく、ただ食糧を探して生きてきた。  だけど、3か月毎日彼と話し、人と話せることがとても幸せなことだと知ってしまった。  砂嵐や豪雨の中を這うように移動してきた俺に天気予報を教えてくれて、豪雨の後ににょきにょき生える草のことを教えてくれて、古いおまじないのようなものだよと寝る時に羊を数えてくれる。  何処に行っても誰もいやしないのに、画面の向こう(そこ)にだけは彼がいる。  地平線まで続く鉄塔。  崩れた階段を、石を踏まないように穴に足を取られないように注意して進む。  室内に溜まる水をいざというときのためにあちらこちらに残し、この瓦礫の町全体を自分のテリトリーとした。  赤いカーペットだった布切れを汚れた靴で踏みしめようが、戸棚に仕舞い込まれていた白いタオルだった物を顔の砂を拭うのに使おうが、誰にも咎められない。  使えそうなものは鞄に入れて、もしくはそれ自体を包みのようにして色々なものを持ち帰る。  刃先の丸くなってしまったナイフで缶詰を開ける。柔らかい肉の缶詰。指先についた油をぺろりと舐めた。  食事をするとき、彼はいつもじっと俺を見ている。  地面に押し付けるようにして缶詰に刃を立てるのも、顔をしかめて蓋をこじ開けるのも、舌を切らないように注意しながら缶の底の油を舐め取るのも、いつも彼はただじっと見ている。 「見てて楽しい?」と訊けば「羨ましい」と返ってきた。食糧の乏しい世界では、その答えは当然だろう。  食べ物は争いの元だ、と彼は言う。でも俺は争う相手に遭遇したことすらない。どちらかというと、どうせならこれを分け合ってお互いに美味しいと言い合ってみたいと思っている。  彼に会えば、それは叶う。  画面の向こうにどうぞと渡せるわけもないから、一度は隠れて食べることにした。でもそうしたら、彼はちゃんと食べているのかと俺の食事をやたらと気にした。だからじっと見られるままに、彼の前で食事をする。  彼の黒い目が、スクリーン越しに俺を見る。  ベッド代わりに重ねた布切れの上で、腰を縛る紐をほどきズボンを脱いだ。薄く微笑む彼に見えるように足を開き、少しだけ上を向こうとしている自分の性器に片手を添えた。  スクリーンを見つけ、彼を見つけてから2か月くらい経った頃だった。  食事する俺を熱心に見る彼を前にして、腹の奥の昂りを感じた。下着をひくひくと押し上げる自分の性器を慰めたくて、無意識に手をやっていた。当然彼はそれに気づいていて、「僕に見せて」と言った。  あれから、自慰を彼に見せるようになった。  毎日一度の食事の度に、足を開いてスクリーン越しの瞳に自分が映っていることを想像した。毎日撮られる写真のように、彼のレンズ()に映っている。  足でズボンを蹴り、一定の速さで手を動かす。上がる体温と漏れる吐息は彼に伝わりはしない。だけどもすっかり勃起した先端の膨らみも、俺の目がそこに釘付けになっているのも見られている。  きちんと服を着て黒髪も整えられた彼に、微笑んでいる彼に、自分だけがあられもない格好を見せている。  はっはっと、息が上がる。走った時のように負担は無いのに心臓が鳴る。 『気持ちいいね』  彼の言葉にこくこくと頷く。気持ちがいい。 『おててが空いてるよ』 「あ、」  彼は俺に、ただ性器を触るだけではない自慰を教えた。  左手の指の腹で優しく自分の乳首を擦る。少し硬く立ち上がり始めれば、爪で引っかくようにした。 「ぁっ」  右手で直接性器を扱くのとは違う気持ちよさ。腹の奥のもっと奥が、ぐすぐずと動いた。 『もっと触って』  まるで自分に触ってほしいと懇願するように彼が言う。 「ぅん」  一人で生きていた時はこんなことしたことが無かった。自慰だって数えるほどしかしてこなかったのに、今ではこうして自分の乳首をいじることを知ってしまった。  滲む先走りを窪みに沿って親指で塗りつけた。小さな爪先で左の乳首を摘まみ引っ張る。 「んんっ」 『右は触ってあげないの?』 「右……」 『うん。両方』  左手をそのまま右に移そうとして違うのだと暗に言われた。両手で乳首をいじってしまえば自分の下半身は放り出されたままになる。  言われるがまま両手で自分の上半身だけに触れる。開いたままの足の間では、支えのなくなったものがそれでも上の快楽につられるようにぴくぴくと動いた。 『どっちが気持ちいい?』 「どっ、ちも」  ぷらぷらと揺れる自分の情けないものを見ながら、その根元が熱くなるのを感じていた。 「両方、きもちいぃ」  腰が反れ、壁に頭が当たる。そのまま頭を擦りつけながら支えにした。 『乳首だけでいけそうだね』 「ん」  性器から溢れたものが筋を伝う。直接の刺激が無いから達せないままなのに、じわりと気持ちよさそうに液体を垂れ流している。 「も、もうっ、いきたい……」 『うん』  強い刺激が欲しい。擦りつけるところも無いのに腰が揺れる。膝を立て足を大きく開き、爪先に力が入った。 「あ、ああ」  スクリーンに向けて射精した。少しだけ飛んで行ったものはベッドを汚す。 『乳首だけで行けるようになるなんて成長が早いなぁ』  歯を見せて彼が笑った。  こうして毎日彼と話すことを――彼とする自慰を気持ちよく感じている。だから、この町から離れられないでいる。彼が住まう町は遠く、何日も歩かなければならないだろう。そんなところに大きなスクリーンは持って行けない。今のように"海"が生きているかもわからないし、現実的に考えれば、彼とはお別れになってしまう。  食糧探しと並行して、むしろメインが変わってしまうかの如く、"海"に繋げられる端末を探した。  本物の彼に会いたい。唯一の人に会いたい。だけど無事に会いに行けるかもわからない。  一人だった時は、食糧が見つからなければそれで終わりだと思っていた。  彼が教えてくれた知識をもってすれば、今までもう無いと思って捨ててきた町にだって色々なものが残っていた。  でもそれは今までの話。これから先も運よく物が残っているとは限らない。  彼は、食べ物で争いが起こると言った。でも俺が生きていられる程度には残っている。奪い奪われたはずのものは点在している。  もし、彼に近づくことで実際に争いが起こった町にたどり着いたらどうしよう。点在していたものは誰かが奪い消費してしまっただろう。当然俺に残っているものはない。  何日も歩かなきゃいけないのに、水だけで彼の元へは行けないだろう。  "海"にも繋げられるかわからず、食糧だって確実性が無い。動けなかった。 『おやすみ』 「おやすみ」  挨拶をしてから、続く優しい声を聞く。 『羊が一匹、羊が二匹』  ぴょんぴょんともこもこした羊たちが柵を越える。俺はただ目を閉じてそれを想像するだけ。ずっと、ずぅっと彼は数え続ける。明日の朝、俺がどこまで数えてもらったかも覚えていないくらいまで。
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