誰にも聞こえないように喉をつんざいて哭いてんだよ

2/10
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
 先に口を開いたのは、三輪くんだった。 「僕もやる」  そう言うと、彼はしゃがみこんで、よもぎを採り始めた。  ほっとした私は、なるべく先のほうの柔らかい新芽を摘むことを、よもぎ摘みの先輩として三輪くんに伝授した。  両手にもっさりとよもぎを持った彼は、なんと、それを私に差し出した。 「えっ。私にくれるの?」 「早く帰りなよ、もう日暮れだし」  私は受け取ったよもぎを、持参したコンビニ袋にそそくさと詰め、腰を九十度曲げてお礼を言った。 「ありがとう。採りたての食べ物をくれる人なんて、三輪くんいい人なのね」 「いや、そんな大げさなことじゃないけど……。さ、出よう」  歩道に出た私はもう一度三輪くんに、 「ありがとう!」  と告げた。私の顔面が心からの笑顔を作るのは、久し振りだった。そのせいで、ぎこちない表情になってしまった気がする。  案の定、三輪くんは戸惑ったように、 「あ、うん。どういたしまして」  と答えた。 ■  いつもそうであるように、帰途についた私の足取りは、家が近づくほどに、だんだんと重くなっていく。  ビニール袋いっぱいのよもぎも、その気分を救うことはできなかった。  私にも、今までに友達がまったくできなかったわけではない。  けれど、家に遊びに来るほど仲のいい友達ができてしまうと、必然的に、その子は私の父親と会うことになる。  父親は常に汚い家の中にいたし、常にお酒を飲んでいたし、町の評判も悪かった。  父親を友達に見られるのが恥ずかしかった。それなら、一人でいる方がましだと思えるほどに。  そう思ってしまう自分は、ひどい親不孝者なのではないかと悩んだ。  友達ができなくなると、身なりに構わなくなった。  髪は野放図に肩の下まで伸び、服は毛玉だらけの使い古しで、中学の制服が私の一番おしゃれな服だった。  夕闇の中で家のドアを開けると、私が少なくとも一年は家で口にしていない、豚肉か何かの匂いがした。今日も私の口に入ることはないのだろうけど。  私は意地でも生唾など呑まないと心に決めて、よもぎをしっかりとわきに抱え、廊下に上がった。 「ただいま」 「お前金どうした」  髪も髭もぼさぼさの父さんは、穴が開いた深緑のトレーナーに灰色のスウェットといういつも通りの姿で、廊下に仁王立ちしていた。 「どうもしない。そこどいてよ」 「嘘つけ。二千円減ってる。金のことはちゃんとしないといけない」 「学校用の靴買ったよ! いいでしょ、それくらい!」  お父さんの横をすり抜けようとしたところで、襟首を捕まえられた。 「お前ほんと、謝らないよな。自分が悪くても、絶対に謝らない」 「そんなことない」  お父さんの体臭が、腕を伝って私のうなじから背中にしみこんでくるようで、寒気がした。  でも、人が嗅いだら、私もとっくにお父さんと同じ匂いがしているのかもしれない。 「あるだろ。謝れ」 「分かった、これからはちゃんと言うから」  と言って私は小さく頭を下げた。  確かに、お父さんに謝るのは嫌だった。たとえ私が悪くても、絶対に「ごめんなさい」と言いたくなかった。  それをやったら、自分の立っている場所が、崖の縁が削れるように崩れ落ちてしまうような気がした。ただでさえすでに広くはない、私の足場が。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!