先生、突然結婚なんて困ります。

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 やがて日菜の背後に立っているゆり子がしみじみと話し出す。 「秋月さんが引っ越して疎遠になっていたから、信也くんがこの病院にいるなんて知らなかったわ。でも昔から代々続くクリニックと聞いて来たんだけど、どうして信也くんが?」 「数年前まで先代の院長がいらっしゃったんですが、体調を崩されまして。指名をいただいて、僕が継ぐことになったんです」  信也は落ち着いた医師らしい笑みをゆり子に向けた。 「安心してください。娘さんの幼馴染で頼りないイメージがあると思いますが、十分な経験は積んでいます。一緒に治していきましょう」  信也は優しく日菜を見た。しかし丁寧に症状を問わても、日菜は緊張でまともに答えられない。 「社会不安障害……所謂、対人恐怖症ですね」  しばらく問答を続けた後、信也はそう結論付けた。続いて病気の原因と服薬の必要性、治療方針等について丁寧な説明を始める。信也が話している間、武志は思い詰めた表情で彼を見つめていた。 「では、お薬を出しておきますからまた一週間後に来てください。次回からはカウンセラーにも――」 「信也くん」  もう辛抱できないとばかり、武志が太い声で話を遮る。その気迫に押された信也は口を噤んだ。武志は堰を切ったように話し始める。 「ここで会ったのも何かの縁だ。日菜はもう27だが、病気のせいで仕事も解雇、新しい仕事も見つからなければ恋人も無いんだ……。このままでは未来がない」  耳が痛い内容に、日菜は気まずく目を伏せた。久しぶりに再会した幼馴染に聞かせたい内容ではない。  信也が中学生になる頃には顔を合わせなくなり、そのまま彼は引っ越して行った。5歳の歳の差の分、余分に幼かった日菜の、彼との記憶は朧げだ。が、幼心に憧れた格好いい初恋のお兄さんである。顔だけはしっかりと覚えていたほどに。日菜は帰りたい気持ちでいっぱいになった。  そんな日菜の内心を知る由もない武志は必死に続ける。 「どうか日菜を治してやってくれ。病院はいくつも当たったが、薬と週一の定期受診だけでは治る気配がないんだ。金なら払う。定期受診に加えて、医師の君に個人的なサポートをして貰えたら……今度こそ治るかもしれない。信也くん、頼む!」  武志は、信也に深々と頭を下げる。そんな父の姿を見て、日菜の胸は虚しさでいっぱいになった。 (私……27にもなって情けない。お父さん、ごめんなさい……) 「私、頑張ります。治すためなら何でもします。だからお願いします……」  半泣きになりながら、日菜も頭を下げる。ゆり子も続いて頭を下げた。診察室がしんと静まり返る。 「どうか顔をあげてください。両親が僕の学費に困っていた時、助けて貰った恩を忘れてはいません。僕が医師になれたのは、あなたがたのおかげです」  信也は武志を見て、ゆり子を見て。そのあと一瞬目が合ったので、日菜はどきりとした。再び信也の視線は武志に向けられる。 「日菜さんの結婚とお仕事がご心配ですか」 「ああ、このままではどうしようもないからな……」 「それなら、」  言葉を切り、信也は再び日菜に視線を寄越した。その意味深な眼差しに、日菜は戸惑う。 「僕でよければ、日菜さんと結婚します。結婚生活の中で必ず日菜さんの病気を治し、仕事の件も解決してみせます」  その爆弾発言に、親子三人、驚きのあまり言葉を失った。一番最初に我に帰ったのは、またもゆり子だ。 「信也くん……、いえ、先生! ありがとう……! 日菜をよろしくお願いします!」  ゆり子の声は喜びに震えていた。感極まって信也と握手する父、涙を流す母の様子を見ながら、ようやく日菜は我に帰る。 「結婚……? な、なんでいきなり……?」
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