先生と、おまじない

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先生と、おまじない

「着いたよ。降りて」 「う、うん……」  信也に続いて駐車場のサブエントランスから建物の中に入ると、二層吹抜の豪華なエントランスホールが日菜を出迎えた。磨き上げた大理石を敷きつめた床に、壁一面の大きな窓から見える、手入れの行き届いた中庭。一目で高級だとわかる調度品の数々に、フロントには複数のコンシェルジュの姿。彼らに声を揃えて「おかえりなさいませ」と綺麗な一礼を受け、日菜は困惑した。 (なにこれ? マンションって全部こんななの?)  一軒家暮らしの日菜は驚くばかりだ。奥にはラウンジらしきスペースもある。日菜がきょろきょろしていると、信也は苦笑しながら、他にもプールやジムなど各種設備があると話した。  信也に続いてエレベーターに乗り込んだ日菜は、最上階のボタンを押す信也にぎょっとする。 「一番上なの……?」 「うん。部屋は、絶対に最上階だと決めていたんだ」  エレベーターを降りた少し先、部屋のドアを開けながら、信也は穏やかな笑みを浮かべる。 「最上階は、お日様に一番近いから」  信也に促され、日菜は室内に足を踏み入れた。玄関を抜けた先、想像以上に広々とした部屋は、先程のエントランスと同じに壁一面が窓になっていた。窓の外には広いバルコニーがある。視界いっぱいに広がる都会の眺望と、遠くまで広がる青空を背景にして、雲と同じく白い壁と白い床、白で統一されたインテリアがまぶしい。圧巻の景色に、日菜はしばし惚けた。 「日菜の荷物はこっち。クローゼットとか好きに使っていいから、ゆっくり荷解きしてね」  見れば、物置にしては広すぎるウォークインクローゼットに、ゆり子たちが必死に詰めたダンボールが積んである。信也一人に対して収納が大きすぎるのか、クローゼットは半分以上空で、日菜の荷物も十分入りそうだ。しかし日菜は荷解きどころではない。 「信也くん、さっきも言ったけど私、他人と生活するなんて無理なの。ここまでしてもらって悪いけど、やっぱり……」 「他人じゃなくて、僕は君の先生だよ。人が怖くて関われないからその治療のために、医者の僕と結婚したんだよね。ここで帰っても、日菜は治らないよね?」 「それは……そうだけど……」  ふと信也と肩が触れ合いそうになり、日菜はびくりと身体を揺らして距離を取る。気まずく目を伏せる日菜に、信也は困ったように笑った。 「ああ、ごめん、怖いよね。確かに白衣を着ていなければ、医者と言うよりはただの男だ。家にも替えがあるから、白衣を着てくるよ。そしたら日菜も、少しは安心できるかもしれない」  おいで、と言われ、日菜は信也の後に続く。どうやら1LDKの間取りになっているようで、隣の部屋はベッドルームだった。こちらも壁の一面がバルコニー付きの窓になっており、青空に近いこんな部屋で目覚めれば、とびきり爽やかな朝が迎えられそうだと日菜は思った。  窓のそばの寝心地の良さそうなベッドは、実家にある日菜のベッドより一回り大きい。ダブルサイズ以上に見えるが、布団が少し乱れている。そこに信也の生活感を見て、日菜は目を逸らした。 (そういえば私、今夜どこで寝るのかな……)  しばらく色恋沙汰から遠ざかっていた日菜だ。ここまで気がつかなかったが、結婚して同居するなら一緒に寝ることになるのが当然の流れである。 (どうしよう……) 「着替えてくるから、そこに座って待っていて」  信也に言われて見てみれば、部屋のコーナー部分にアンティーク調の白い鏡台がある。引き出しのつまみ部分がガラスになっていたり、脚が猫足になっていたりして気の利いたデザインだ。 (可愛い鏡台……)  促されるままに腰掛けると、大きな鏡が日菜と、その背後にいる信也を映し出す。直接顔を合わせるよりましだが、背後に立たれるのも落ち着かない。 「君と結婚することになって、すぐにこれを買ったんだ。鏡台、必要かと思って。最初のプレゼントだよ」 「これを私のために……?」 「喜んでくれないの? もしかして必要なかったかな」 「違うの、そうじゃなくて……」  日菜は信也がどうしてここまで良くしてくれるのかわからなかった。だが考えればすぐにその理由に思い当たる。信也は日菜の両親に恩があると言っていたのだ。 「お父さんに助けてもらったって言ってたけど、何があったの……?」  日菜は話を聞かされていないし、ずっと気になっていた。
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