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1話、君の見る夢2
(これじゃ、先が思いやられるな…)
そっと、和衛はため息をつく。これから、一ヶ月どころか夏が来るまでの間、ずっと、この坂上家で過ごすのだ。
大変なことにいろいろと巻き込まれていくのだろう。明日良という子がどういう子なのか。確かめるためにも、ここへ来たのだった。
もう、後戻りはできそうになかった。
和衛が坂上家に来て、三時間ほど。その日は津由子が腕をふるって、ささやかながらもそれでいて、豪華ディナーをご馳走したのであった。
メニューはハヤシライスにポテトサラダ、デザートは母特製の桃とみかんのシャーベット。
明日良はハヤシライスなんて、滅多に食べたことさえない。テレビでしか、見たことがないのだった。
母がそれだけ、気合いが入っているのだと思うと。全部、食べてしまわなければ、という強迫観念みたいなものがわいてくるのは、確かだった。
かなりの量の四人分はあると思われるサラダを和衛は大盛りで、明日良は普通、母も同じといったところである。
二人分をずいぶん、げんなりとした表情で、和衛は箸をつけていた。
ハヤシライスは好評だったらしく、三十分後にはきれいにみんな、たいらげていた。
一時間かけて、二人分のサラダを黒一点の彼が食べ終わる頃には、シャーベットで、明日良と津由子二人は大いに、会話を楽しんでいた。
そして、三人は満腹になっていたのであった。
明日良は食器の後片づけを手伝っている間、和衛が何故、この家に来たのか、その理由を今度こそ、聞き出そうとタイミングを見計らっていた。
既に洗い終えた皿を手渡され、よく水を切って、乾燥機の中へと入れていく。
(よし、今だ。今しか、これといった機会はない!)
そう、決心をして、おずおずと切り出してみた。
「…あの、お母さん。ちょっと、聞きたいことがあるんだけど。良いかな?」
そう、聞いてみた。
「…何?」
母はじろりと娘をにらむようにして、見つめる。すすいで、まだ間もない皿から滴がぽたぽたと落ちるのを持ったまま、不機嫌そうな顔をしている。
「…和衛さんのことについてなんだけど。どうして、あの人、家にくることになったの。別に、親戚っていっても、あまり会ったことないのに。藤原さんていう知り合いなんているはずないのにね」
明日良が尋ねても、母の表情は変わらなかった。
「あんたが知ろうとする事ないわ。そんなに気になるなら、自分できくのね」
(なっ、それはないよ。せっかく、教えてくれると思ったのに…)
気まずい中で、それ以上は話さないことにした。食器の後片づけをしようとしている時に、きこうとしたから、ダメだったのだ。
明日良はそう思い直すことで、自身の気持ちをなだめた。
それから、三十分後。
何とか、一仕事終えた母は先にお風呂を焚くから、といって、浴室へと行ってしまった。
忙しくしている母を普段から見ているとはいえ、えらくよそよそしくするのが明日良には引っかかっていた。
どうして、あんなにまでして、様子がおかしいのだろう。
今日はいくつもの疑問が頭の中を駆けめぐっていて、誰かにどうにかしてほしいと頼みたくなるくらいに、こんがらがってしまいそうだった。
ぼうっとして、そのまま、キッチンの流し台のそばに突っ立っていると、後ろから、いきなり、肩を叩かれた。
「…なあ。さっきから、何やってるんだ?こんな所でじいっとして」
振り返ってみると、和衛が立っていた。
「……和衛さん。どうかしたんですか?」
呆れたようなため息をつかれる。和衛は髪をかきあげて、いらついたような表情をしていた。
「おいおい。呼びかけたのはこっちだぞ。『どうかしたんですか』じゃ、答えになっていないだろう」
顔合わせをした時には考えられないくらいにくだけた口振りで話しかけられたので、よけいに戸惑ってしまう。
さっき、言われた通りにしてみようかという気にもなったが。けれど、彼とはまだ、初対面である。
やめておいた方が良いと、どこかで告げる声がしたような気がした。
「何でもないんです。心配かけて、ごめんなさい。お母さんがお風呂入れてくれているから、先に入ってもらってもかまいません。それじゃ、これで」
ぶっきらぼうに答えると、すたすたと部屋を出た。
和衛が深いため息をつきながら、自分を見つめているようなのが感じられたが。そのまま、気にせずに歩いていった。
また、夜になったら、あの男の子に「思い出して」と言われるかもしれない。
それがとてつもなく、大切なことのようなのに、恐怖感のせいで、出来ないのだ。
また、夢をみてしまうのが嫌だ、こわい。その気持ちが私を縛りつけてしまう間は決して、夢をみたくない。
拒みたいのに拒めない自分が歯がゆくて、いっそ夜なんか、来なければ良いのに。
眠りたくないという思いと明日良は戦っていたのであった。
お風呂の用意ができたとのことで、一番風呂は和衛が入ることになった。
今までというか、これまで、家の中という身近な空間に男の人がいなかったためか、やはり、勝手が違う。
母も若い男の子がいる、ということもあって、落ち着かない様子である。
「…一番後はお母さんが入るから、あんた、和衛くんの次ね。悪いけど、さっさとしてね、さっさと」
時計の長針と短針は既に、午後九時頃をまわっていた。
母に急かされて、明日良は仕方なく、二階の部屋へ上がって、着替えを取りに行った。
ドアを開けて入ると、朝方と同様にカーテンがあきっぱなしであることに気づき、慌てて閉め直す。
クローゼットの中に収納ダンスがあり、その中から、シャツなどを出した。
そのまま、下へおりようとしていたら、いかにもついさっき、上がったばかりと見受けられる和衛と階段で遭遇した。
「…和衛さん。上がったんですか?」
ぼそぼそと口ごもりながら言うと、ああ、と向こうも気づいたようだった。
「そうだけど。次、おばさんが入るの?それとも、君が…」
明日良は和衛から、ふいっと目をそらした。
「あ、ええ、私が入ります。お母さんが『二番目はあんたが入れ』て、いってましたから」
よそよそしい感じで答えて、そのまま、浴室へ向かった。
なんだか、照れくさい感じがするのだったが、それでも、伝えておかなければならないことだったので、仕方ないと言い聞かせる。
脱衣場まで、歩いていってみると、突然、何かの気配を感じた。
冷たい視線を。一瞬、びくっと体に震えが走る。無理にバスケットの中に脱いだ衣類を入れた。
(さっきのは、何?)
振り向いて、確かめたくもあったが、やめておくことにした。
入浴している間も、ずっと、あの気配がどこかにいるようで、生きた心地がしない。
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