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1話、君の見る夢1
『明日良(あすら)。僕の話を聞いて…』
かすかな幼い少年の声。いつも眠りにつくと、必ずこの声が問いかけてくる。
何故とこちらも尋ねようとすると、ふっと、消えてしまう。
不思議でつたないマボロシのようなもの。あの子は一体、誰なのか。答えをくれるものはいない。
明日良はがばっと起きあがった。
悪夢を見たわけではないのにとても息が荒くて、普通に深呼吸すらできない。心臓が早く、どくんどくんと鳴っている。
もう既に、カーテンの隙間から光が洩れている。ベッドから下りて、厚手のカーテンをしゃっと一気に開けた。とても、まぶしい日差しが窓いっぱいに入ってくる。
清々しい朝のはずなのに、どうにも落ち着かない。そう、あれはただの夢。
もう、関係ないのだから。頭を無理に現実へと向かわせようとした。さらに、振り払うように、ドアを開けて、台所へと向かった。母が気づいたように、こちらを振り向いた。
「明日良、あんた、いつまで寝てんの。もう、九時じゃないの」
「…だったら、知らせてよ。めざまし、かけたくっても、なかなかできないんだもの。もしかして、うるさいからって、切った?」
問いかけてくるのに、そう切り込んだら、図星だったらしく、気まずそうに黙った。
いつも、これなのだった。
「母さんもいい加減にしてよ。目覚ましの音、嫌いだからって。『スイッチOFF』にすることないじゃん。困るの、こっちなんだからね!」
とうとう、明日良は母に言い募った。だが、すぐに母は話の矛先をそらした。
「…それはそうと、十一時くらいに藤原さん家の息子さんが来るそうだから。さっき、電話があったの。だから、明日良、準備早めに頼むわよ!」
明日良は返事をせず、洗面所へと直行した。歯磨きとクレンジング。それと、最近、使い始めたにきび専用のローション。気乗りはしないものの、念入りにする。
メイク自体は興味があるのは確かだが、まだ自分で働いてもいないのに、そんなことをするな、と母からは注意されていた。別に、律儀に言うことを守らなくてもいい。けれど、明日良はベタベタと厚化粧をして、三十くらいになって肌をボロボロにしている人をテレビ番組で見かけたことがある。
それをみていると、まだ十五の自分には化粧水すら必要でないくらいだから、無駄なのだ、と思ってしまう。こんなのは遅れていることはわかっている。
だが、毎日、母が生活に追われている姿を見て、自分も手伝ったりしていると、今は流行を追いかけている場合ではない、と何処かで思ってしまうのであった。
おしゃれをして、流行を追いかけるのは両親がいて、経済的に恵まれている子達のやることだ。自分はそれをやらなくてもいい、母を支えることの方が大事だ。けれど、彼女自身がとんでもないことに後に巻き込まれることになろうとは。
誰も気づいてはいなかった。
春の日差しはあくまで、穏やかだ。明日良はお客を出迎えるため、玄関まで、急いだ。
小走りで行ってみると、もう既に、居候予定の男の子が来ていた。
年はぱっと見では、十六か七くらいだろうか。髪を茶髪にして、服も今風の若い子が着そうなものだ。
耳にはピアスをつけている。あまり、じろじろと、見るのをやめなければ、と思うのについつい、目がいってしまう。
「あらあら、和衛(かずひら)くん。少し、みない間に大きくなって。それよりも、よく来てくれたね。どうぞ、入って」
母がいそいそとスリッパを側の棚から出して、上がるように勧める。
和衛と呼ばれた男の子は大きめのショルダーバックを肩から下げて、ゆっくりと、段差を上がってきた。軽くお辞儀をして、そのまま、中へ入り、廊下をすたすたと歩いていく。
顔つきもそんなに人相が悪いとかでもなく、けっこう、普通の男の子としては格好良い方である。
明日良も声をかけようとするが、ほとんど無視されて、素通りされてしまう。
(確か、和衛とかいう名前だったっけ…?)
うろ覚えで何とか、思い出した。母はろくにさっきの彼の名を言ってくれないものだから、何とか、聞き出そうと試してみたが、結局教えてもらえなかった。
もしかしたら、最初から言う気がなかったのか。それはわからずじまいだった。台所兼リビングになっている部屋へと、和衛は通された。
革製であるソファーへ座るように、津由子ー明日良の母に勧められた。
言われるがままにした。隣にはまだ、幼いといって良いくらいの少女が控えめに立っている。
今時の若い女の子、同世代くらいだろうが、そういう年齢の子にしては珍しく、化粧っけがない。
髪も染めていないし、流行を取り入れた格好をしているというわけでもないため、目を引いた。
だが、こちらも嫌々来たようなものだから、あまり、年の近い子がいるという話は母から、聞かされていたものの、実感がなかった。
その子が自分に声をかけてこようとしていたのに、無視してしまった。
かなり、緊張していたからだった。津由子は娘である少女に向かって、和衛のことを一通り紹介する。
「明日良、改めていっておくけど、彼は古い知り合いの人の息子さんなの。名前を藤原和衛くん。ほら、ちゃんとあいさつして」
無理に前へと、押し出された明日良という子はどこか落ち着かないような表情で、お辞儀をした。
「…ええと。初めまして、坂上明日良といいます。よろしくお願いします」
声の感じからしても、かなり、向こうも緊張しているらしい。近くで見ると、自分と同い年くらいか、と思っていたが。
高校二年になる自分の同級生よりも、顔立ちや表情などを比べてみても、まだ、子供っぽい。中学生くらいだろうか。
今はちょうど、時間が三時頃になっていた。夏や秋と比べて、日差しもきつくなく、穏やかな昼下がりではあった。
「いや。こちらこそ、よろしく。あの、それとさっきは無視してごめん。緊張してたんでな。そういや、君、いくつ?」
なるべく、当たり障りのないように尋ねてみた。明日良が答えようとすると、母が割り込んできた。
「ああ、うちの娘はね。今年で十五なの。中学三年になるのよ」
「そうなんですか。じゃあ、二学期辺りになったら、受験生ですね」
「本当にそうなのよ。なのに、この子ときたら、朝は弱いし。宿題や忘れ物はしょっちゅうだし。それにも増して、いまひとつ、勉強の方がてんで、ダメなんだから…」
母は実際、かなり困らされているのだろう。ふうと大きなため息をついた。
「でも、娘さん、なかなか礼儀正しい方ですよ。俺の見る限りでは」
和衛がそういうと、母は余計に眉をしかめた。
「まあ、見かけはね。朝なんて、いっつも、ギリギリなのよ…」
「お母さん、初対面なんだし。あんまり、ペラペラしゃべらないでよ」
明日良が小声で言ってきた。その顔が少し、赤くなっている。
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