きよしこの朝

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きよしこの朝

 落ち着いた照明に、ジャズアレンジのクリスマスソング。ゆったりとした空気の中で酒を片手に談笑する人々。  その輪の中心に、眞城(ましろ)(けい)が立っている。  眞城は立ち飲み用の小さな丸テーブルに頬杖をついていた。突き出された腰から太ももの魅惑的なラインがスーツの上からでもあらわになる。隣に立つサンタの衣装を着た男が眞城の尻にこっそり手を伸ばそうとしたのを神崎は見逃さなかった。  しかし、神崎は声を上げようとするよりも先に眞城がするりと身をかわした。振り返って神崎の方へヒラヒラと手を振る。スーツのくせに頭にはトナカイの角を生やしてご機嫌なようすだ。笑ったときにできる右頬のえくぼが彼の実際の年齢よりも幼く見せている。隣の変態野郎は神崎を見るなりギョッと目を見開き、どこかへ行ってしまった。 「ケイちゃん、モテるのよねえ」  低く柔らかい声とともに、目の前にウイスキーグラスが差し出される。  カウンター越しにバーのマスター……ここではママというのか、神崎に笑みを向けた。 「でも仕事帰りにそのまま来ることなんて一度もなかったのよ。よっぽど今日、アナタを自慢したかったってことね……クリスマスイブだし、ね」  パチンと音が鳴るようなウインクを飛ばされ、神崎は思わず顔を引きつらせた。  そう、今は金曜の夜、そして今日はクリスマスイブだ。二人で初めて迎えるクリスマスということで、神崎は洒落たレストランでも予約しようと考えていた。しかし、当の本人にイブの予定を聞くと「行くとこあるから予定空けておいて!」と逆に先手を打たれてしまったのだ。  そうして訳もわからず着いていってたどり着いたのが、眞城御用達のゲイバーでのクリスマスパーティというわけである。 「まさかお相手が会社の同僚とはねえ……ケイちゃんって、会社ではどんな感じなの?」 「どんな感じ……」  神崎はもう一度眞城を振り返った。眞城はいつの間にか違うテーブルにいて、親しげに会話を交わしている。まるでひらりひらりと花畑の上を舞う蝶のようだ。 「今と同じですよ」グラスの中に視線を落とし、氷をカラリと回す。 「誰とも分け隔てなく接して、基本的に上からは可愛がられて下からは慕われる。調子が良いやつだと言われるけど、根は真面目で嘘をつけない。敵も味方も懐に入れてしまって、あっという間に自分のフィールドに引きこんでしまう――そうして、ああ、あいつには勝てないっていつも思わされる」  まだまだ言いたいことは山ほどあったが、あまりにもリアクションがないことに気づいて視線を上げた。ママは呆気にとられたように神崎を見つめていた。 「あら……あなた、あの子のこと本当に好きなのね」  *  自分はエリート、すなわち集団の中で特に優秀であり、将来的には指導的な立場になる人材である。  それは今の会社に入社する前から当然のように自覚していた。なぜなら、紛れもなく努力に裏付けされたものだからだ。  入社式のときには同じ新入社員からやたらと声をかけられた。そのほとんどは二つに分類することができた。一つは神崎を誉めそやし取り入ろうとする者たち、もう一つは対抗心をむき出しにして神崎を潰そうとする者たちだ。  そのどちらに誰がつこうが何を言われようが、神崎にとっては心底どうでも良いことだった。  今の会社は入社倍率が日本の中でもトップクラスに高いと言われているが、神崎は入るつもりなどさらさらなかった。  五歳のときに親の仕事の都合でイギリスに行き、途中で両親は日本に帰国したものの、神崎はそのまま大学までイギリスで過ごした。大学院まで進学して就職も海外で、と考えていた矢先に、母親が病気になったと連絡がきたのだ。  最初に渡英したときでさえ、行きたくて行ったわけでもなかった。五歳にして突然異なる言語、異なる文化の中に放り込まれてずいぶんと苦労したというのに、またしても急に日本に帰ってこいとは身勝手すぎる。  そう思ったものの、一人息子の自分に帰らないという選択肢はなかった。母親の手術は無事に成功したが、治療は継続する必要がある。辛いだろうに気丈に振る舞う母親と、それ以上に気落ちして記憶よりも縮んだ父親を見ると、二人を置いて再び海外へ行くという気は自然と起きなかった。  母親を安心させるためにも自立しなければと知人の伝手で就職をしたが、もはや故郷とも言えない土地に戻り、目的も目標もなく入った会社はなにもかもが退屈だった。 「神崎っていちいち話し方とか鼻につくよな」  入社して一ヶ月、そろそろ今の会社に見切りをつけようと思い始めた頃のことだった。給湯室から聞こえてきた声に神崎は足を止めた。 「わかる。上から目線っていうか」 「でもあいつコネ入社なんだろ?」 「研修で同じグループになったのに最後まで俺の名前覚えてなかったしな」 「そうそう、俺もだよ。オックスフォードだかケンブリッジだか知らねえけど、自分が特別だと思ってんだろ」    「おまえら、ちっせえなあ」  よく通る声がよどんだ空気を切り裂いた。 「よく知りもしないで適当なことばっか言って楽しいか? 少なくともそいつはおまえらのことなんか眼中にもねえだろうよ」 「眞城、おまえ……!」  正直、陰口など聞く気もなければ偶然入り込んだ雑音という程度にしか考えていなかった。ただやたら明るい口調でその場の流れを変えた男が少しだけ気になった。そっと覗き込むと、眞城と呼ばれた男は給湯室のテーブルの上に行儀悪く腰かけているのが見える。長めの前髪の下からのぞく大きな目には強気な光をたたえていた。 「出身だのなんだの関係ねえ。俺が興味があるのは結果を出す奴だけだ」  次に眞城を見かけたのは一週間後に行われた研修のときだったが、驚くことに眞城は陰口を言っていた奴らとも談笑していた。あれだけ生意気言っていたんだからてっきり孤立しているだろう、それなら自分と同じチームを組めばいいと思っていた神崎は拍子抜けした。呆然としているうちに自分の周りには媚びへつらう人間ばかりが集まる一方で、眞城とは一度も視線が交わることがなかった。  俺のことをかばったわけじゃないのか?  誰とでも親しげに話すというのに、なぜ俺には関心がない?  なぜか苛立ちが募る中で、眞城の言葉を思い出した。 『俺が興味があるのは結果を出す奴だけだ』  *  雪のように白いクリームの上に艶々と輝く赤い苺がずらりと並ぶ。ショーケースの光の下で、砂糖菓子のサンタクロースが私を連れて帰ってと言わんばかりに両腕を大きく広げている。 「ケーキ食べたいの?」  後ろから眞城が覗き込んできた。吐息からふわりとワインの香りがする。外だろうと距離が近いのは酔っているからではなくいつものことだ。先ほどまでいたバーでもその距離感に勘違いをする輩がいたのは明らかだったが、気づいているのかいないのか彼は変わらず飄々としていた。そのことに少し、いやかなり悶々としている自分に内心驚く。 「クリスマスだし買って帰ろう」 「いいけど……おまえって律儀というか真面目というか、イベントを外さないタイプなんだな」  何が面白いのか、肩にかけられた手からくつくつと笑う振動が伝わる。振り返るといたずらっぽく光る瞳が神崎をまっすぐ見つめていた。 「神崎、ケーキよりもさ……先に俺を食ってほしいんだけど?」  突き上げるたびに白い背中が震える。 「あっ……もっと、強く、ああっ」  口では貪欲に快楽を求めてくるくせに、すでに力が入らないのかシーツの上で腕がだらりと伸びている。覆いかぶさってうなじに唇を寄せると、ため息のような声が漏れた。彼の望むままに激しく腰を打ちつける。うわ言のように名前を呼ばれるたびに、己の熱がますます熱く滾るのを感じる。  最初はただ関心を引きたかっただけだった。  半ば投げやりになっていた仕事だが、ほんの少し力を入れれば眞城の求める『結果』とやらが手に入るだろうと思っていた。実際に新入社員としては異例の規模の契約に携わることになったし、次に会う機会があれば向こうから声をかけてくるはずだと高を括っていた。  しかしなぜか眞城はまるで自分が視界にすら入っていないように振る舞うのだ。そうなると元来の負けず嫌いが顔を出し、絶対に自分に興味を持ってもらおうと奮起することになった。  今思えば相手が男だから気づかなかっただけで、そのときから片想いをしていたようなものだったのかもしれない。今までは来るもの拒まず、去るもの追わずというスタンスで何人かの女性と交際してきたが、相手の関心を引こうと躍起になったのは眞城が初めてだった。 「眞城、顔見せて」 「え? ……あああっ!」  つながったまま身体をすくい上げて仰向けにさせる。汗で乱れた前髪の隙間から潤んだ目が神崎を憎らしげに見つめている。 「バックのほうが犯されてる感じがしていいのに……」 「これじゃダメ?」  思いきり腰から腿を上げさせて上から楔を打ちこんだ。眞城の快楽のポイントを集中的に抉ってやる。彼の屹立を握り、律動に合わせて擦りあげる。 「ああっ、それ、イイっ!」  眞城は少々乱暴にされたり、意地悪くされるのが好きだ。苛めるのが趣味というわけでもないが、彼が好きと言うのならいくらでもやってあげたいと思う。「イきそう」と叫んだところで根本を握って抽送を緩めると、先ほどまでの強気な表情とは一変してすすり泣くようにイかせてくれと懇願する。焦れたように自ら腰をゆする姿はあまりにも扇情的だった。  翻弄されっぱなしでは悔しい。少しは眞城を煽ってやりたいと思うのに、結局根負けするのはいつも自分なのだ。 「あっあっあっ……イ、く――」  眞城のモノから白濁が散る。仰反る身体を押さえ込むように身体を重ね、快感に震える内側に欲望を叩きつけた。  荒く息を吐く唇を食む。疲れ切っているようだが、反応が返ってくるのが嬉しかった。しばらく柔らかな感触を楽しんで唇を離すと、眞城が呆けたように神崎を見つめてつぶやいた。 「おまえって……いや、なんでもない」  眞城とは身体の関係から始まったと言ってもおかしくはない。しかも、結果的に酔った勢いと仕事で弱ったところにつけ込んだような形になっている。  何度かセックスをした中で身体のことはだいたい把握できた気がするが、眞城という男自体はいまだに掴みどころがない。昔実家で飼っていた猫のように、ある日突然ふと目の前から居なくなってしまいそうな気さえしている。 『朝飯を一緒に食う関係になりたい』  初めてセックスした翌朝、眞城はそう言った。もう一ヶ月近く前になる。 「朝食を一緒にとる関係、とは?」  神崎はドリップコーヒーの袋を開けながら小さくつぶやいた。コーヒーは前回眞城の部屋に来たときに持ち込んだものだ。湯が沸き、二つのマグカップにセットして湯を注ぐ。  年末にかけて仕事の忙しさがピークを迎え、この一ヶ月で眞城とゆっくり話したり会ったりできたのは週末の二回だけだ。会うとお互いに飢えを満たすように身体を重ね、朝とは言えない時間に一緒に食事をとってはいる、が―― 「はよ……あー良い匂い」  気怠げな声に振り向くと、ボサボサ頭の眞城がほとんど目を閉じた状態で立っていた。首元が緩いデザインなのか、白い肌から浮き出た鎖骨が妙に艶かしい。神崎は無意識に唾を呑み込んだ。 「朝飯どうするー?」 「ケーキならあるけど」 「なるほど」  眞城はりょーかい、と軽く手を挙げて重い身体をひきずるように洗面所へ向かった。その後ろ姿を見て昨夜もやりすぎたかと少しだけ反省する。  朝飯を一緒に食いたいと言いながら眞城は食事の内容に頓着しない。現に朝からケーキだろうがなんだろうが、満足げに頬張っている。これは「なんでもいい」ということなのか、それとも「どうでもいい」ということなのか。彼にとっての自分の存在と重なる気がして落ち着かない気分になる。 『あなた、あの子のこと本当に好きなのね』  バーのママはこう続けた。 『でもね、あなたのその気持ちはきちんと言葉にして伝えなきゃダメよ。ノンケと付き合うなんてただでさえ不安だもの。あの子ああ見えて繊細だから、あなたを縛るようなことは自分から言えないと思うわ』  目の前に座る眞城はこれでもかと大きく口を開けてケーキを迎え入れているところだった。口の端に白いクリームがついているのにも気がついていない。  まるで小さな子どものような姿に、胸の内でじんわりと温かい感情がしみわたっていくのを感じた。手を伸ばして指先でクリームを拭う。眞城はぴくりと動きを止めた。なんでもないふうに装っているが、少し頬が赤らんでいる。 「眞城」 「ん?」 「好きだよ」 「……へ? な、なんだよ急に――」 「眞城は? 俺のこと好き?」  突然の質問に眞城は口をぱくぱくとさせている。辛抱強く待っていると、ためらいがちに口を開いた。 「俺も……おまえのこと好きだよ」  今度こそ顔は真っ赤だ。    指先についたクリームはすでに少し溶けている。口に含むと、まろやかな甘さがふわりと広がる。愛おしい、とはこんな味なのかもしれない。 「メリークリスマス」  共に過ごす清らかな朝に、祝福と感謝を。
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