第1話 ブルースを弾いてる間は隣に居てくれ

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第1話 ブルースを弾いてる間は隣に居てくれ

 僕が、つたないブルースを弾いている時は、君が隣に居て欲しい。 ロックしか歌わなかった僕が、ブルースを奏でるのには、それなりの下らない理由があるんだ。一人では、やりきれない想いがある。君のことを都合の良い女とか、気持ちの捌け口、欲望の捌け口とか思ったことはない。やはり、愛してた?のかもしれない。僕の隣に寄り添っていてくれるのは君でなくてはならなかった。 だから僕は、君をトランクに詰め込んで僕の傍に置いている。 (そう、思ってた) 昔、父親がそんな歌を歌っていた気がする。  三つ歳上の君と出会ったのは六本木の裏路地にある、ビルの角。 僕は、そのビルのクラブで演奏をしていた。その日は妙に酒が効いた。バーボンをジンジャーで割って何杯も飲み過ぎたのだろう。僕は息抜きにビルの外に出たのだけれど、途端に用を足したくなった。その辺の壁、めがけてフラフラしながら放尿していた。ビルから出て来た君と、二人の子供じみた女性、君たちは、そんな僕をみてキャーキャー喚いていた。少し大人の君だけが毅然として僕に声かけんだ。 「こんな寒い夜に、君の坊やが、風邪ひいちゃうわよ?」 と、言い捨てて、僕を無視するように、連れ達を急かして、地下鉄の駅へと向かったんだ。  君は、黒のハイネックで、手首が幅広になったニットウェアーに、赤紫色の薄い生地のフレアのロングスカート。しばし、こちらを振り向き、笑顔をくれた。  次に君に会ったのは、渋谷のライブハウスだった。僕は、何時もの様に酒を喰らいながらロックをガンガンに歌い、ギターを弾いていた。殆どの客が、スタンディングの中、君は壁際のカウンターで、カクテルではなく、バーボンのオンザロックを口にしていた。僕が、バーボンだと分かったのは、君の横に、氷の入ったクーラーと、I.W.HARPER(アイ、ダブリュ、ハーパー)十二年物のボトルが置いてあったからだ。その隣のワイルドターキーは、すでに空ボトルとなっていた。誰かと一緒に飲んでいたのであろう・・・・・・  スラリと背が高く、ホソマッチョ的にガタイの良い男が、流行りの細身のブランドスーツに身を包み、チャラチャラの若い女を店から連れ出して行く。その前に君に何やら一言、そして、片手をあげて先に連れている女と店を出た。 別れの挨拶? 一瞬、怒りを露わに君は席を立つが、直ぐに崩れるように席に座り戻す。ひと時、君は、カウンターテーブルに顔を埋めたんだった。  僕は、それを眺めて、暫くはロックを弾かないようにした。その後、気晴らしに、そして場の盛り上げに弾くことにはしている。丁度、昔のクラブ?ディスコ?のチークタイムの後の様に。  CメジャーからDにコードストロークを下げ、Dの旋律、循環コードで、ブルース調に歌う、そこから、ロッカバラードにテンポを更に落としていく。 (詩)  最低な男に置き去りにされた、最悪なあたしに歌ってよ。 最悪、最低のブルースを。  今夜も一人、クダを巻く、くだらない大人になっちまった。 帰ろうか?どこへ?いつ頃に? 戻れないと知った日から、私の今は始まった。 くだらない!くだらない。♪  彼女が叫ぶ! 「辛気臭い曲、歌うんじゃないよ!このタチション・チンポコ野郎!」 と、アイスペールに入っている、アイスを小ぶりの一塊、投げて来た。それは、僕までは届かない。そういう風に投げたのだろう。  僕は、一気にミュージカル・ウェストサイドストーリーの曲を、ロックン・ロール調に弾き上げた。スタンディングの客達は、ジルバ風にカップルで踊り始める。  そして、曲を終え、ギターを抱て、申し訳程度の狭苦しい控室に戻る。客のアンコールの声援には、一度だけ右手を挙げて応えておいた。  薄暗い、控室の3つしかないイスの一つに僕は腰を下ろし、長めの煙草を吹かす。紫煙の抜け道も無さそうな、この部屋で。何か今日は、酒も喉を通りそうにない。暫く脱力状態のまま、煙草を吹かしている。 そこでドアがノックされ、こちらの返事も待たず開かれた。そこから、先ほどの彼女、君が入って来た。 「さっきは、ヘンな野次飛ばしてごめんなさい・・・・・・」 と、言って頭を下げた。 「あ~、タチション・チンポコ野郎?よく、六本木のこと、覚えてたね?」 「ほんと~に、ごめんなさい。チョット、辛いことあって、アンタのブルースが胸にグサグサ刺さって来たもんだから・・・・・・つい」 「うん、知ってる。全部見てた。だから、歌う曲変えた」 「全部、見てた⁉私のカレが、他の女、連れ出したのを?」 僕は、彼女をちらっと見て、頷いた。そして、呟く。 「別にアンタにも、ヤツにも興味あったわけじゃないよ。俺、アイ、ダブリュ、ハーパー十二年物、大好きなんだ。ナカナカ、お目にかかれないけどね・・・・・・」  彼女は、男には魅力的な感じの中肉中背である。 「私、トメル。漢字で書くのは好きじゃない。仏西 留(ほとにし とめる)と書く。じゃ、私と一緒に飲んでくれる?」 と彼女が誘う。 「うん、暴れなければネ。僕は、ケイ。同じく、漢字で書くのは好きじゃない。燈松 警(とうまつ けい)」 と、僕は微笑んで答える。 彼女は、フンと、鼻で笑って部屋を出て、席に戻る。僕も彼女の後ろについて壁際の彼女の隣の席に座った。先ほどの男が座っていたと思われる。 店中の皆が、彼女を観ている。僕の今晩のオツマミになる女だという目で彼女を見つめていた。僕は、バーボンをジンジャエールで割って、彼女はロックで飲み干した。 その夜、当たり前の事のように、僕は僕の部屋に君をお持ち帰りした。それから、君とは、夜を共にすることが多くなった。僕の部屋に君が来たのは、最初の一日と数度だけだ。冷蔵庫に、ビールとキャベツしかなく、何時クリーニングしたかも分からない(実際にクリーニング等したことなどない)薄汚い寝具で寝るのはイヤだそうだ。二人で寝るのは常に君のマンションになった。僕には、それがヒモと呼ばれること、思われることを恐れた。だから、真面目にブルース調の曲を作り、ステージで披露していたのだ。客も僕が急にブルース、バラードばかり歌い始めたのを不思議がってはいたが、気に入ってくれている様だ。 実際のところ、君といると、僕にはブルースしか浮かんでこないのだ。 それから、僕は、数多くの日々、君の居場所に潜り込んだ。 僕と彼女の休日の少し遅めのブレックファースト、そう、ブランチは、マリアージュフレール マルコポーロのティーで始まる。フレーバーティーの芳醇な香りが部屋に満たされ心地よい。 僕は、クロワッサンにチーズとハムを挟み摘まむ。彼女は、バケットにたっぷりのバターとジャムを塗り、それを砂糖たっぷり、ミルクたっぷりの紅茶に、ダイブさせて食べている。フレンチブレックファーストというやつらしい。フレンチといえば、フレンチトーストを思い浮かべるが、それは、フランス以外の国の妄想だそうだ。フランスの朝は、甘い紅茶や甘いカフェオレに、甘~く味付けをしたバゲットを漬け込んで食べるらしい。 知らんけど・・・・・・ 僕は、ブレックファーストといえば、コンチネンタルブレックファーストと、アメリカンブレックファーストくらいしか知らない。 僕の部屋での余裕の朝は、僕はアメリカンブレックファーストだ。コーヒーは、アメリカンに、そして、トースト。それにミディアムレアのサニーサイドアップの目玉焼き、かりかりに焼いたベーコンを二枚だ。手をかけて作って、朝をユックリくつろぐ。たまに、彼女にも振舞うこともある。よく、彼女は、トーストにバターを塗ったあとに、タップリのシュガーを塗りたくる。そう、僕の部屋には、ジャムとか、はちみつ、チョコスプレッドなどの類は置いていない。手近にあるのはグラニュー糖くらいなのだ。 僕たちが、芳醇な香りのマリアージュフレール、マルコポーロのティーに至ったのは、一時期、紅茶にドはまりしていたからだ。色んな紅茶を試した。最初はフォーションのアップルティにハマるところから始まった。フランスのフレーバーティーだ。 彼女の部屋での僕の朝食は、クロワッサンにハム、チーズを挟む。彼女は、バケットにジャムやバター、はちみつ、チョコスプレッドなどを塗って紅茶や、カフェオレに付け込み食べる この朝は永遠の幸せの時、至福の時間、僕は、そう思っていた。何が有ろうと、二人は繋がっている。離れなれないヒーローとヒロイン。それを、演じ続ける。同じ朝を迎えながら、違う道を進んでいたんだろう。 僕は、たまに海に出る。風に乗り、波に乗り全てを忘れ去れる。そして、歌う、愛の歌。君は、僕の上面(うわっつら)なセリフ(愛してる)なんて、信じてないだろう?それとも、無理して信じようとしている? 僕は、夢を追う人とは違う。この、風と波と歌を愛し続けて生きている。それ以外何もいらないんだ。ヘドの出ることは、ゲロの様にして歌に吐き出している。自分を、そして他人を、魔法に掛けることも、しない。 ただ、ただ、波の上で、浜で、ステージで生きていたい。その中では、正直、君も誰も関係ないんだ。ボクと地球の海の世界に入ってきては欲しくないんだ。それで、幸せなのか?楽しいか?と君は聞くだろう。僕は、誰にも邪魔されず、波と歌を遊ぶんだ。だけど、最近、浜に坐り夕陽の沈むのを観ていたり、ステージで歌っていると、君のことを思うのは何故?だろう。君の声が聞きたいな、僕の名前を呼んで欲しい。そういえば、二人は、互いに名前を呼んだこと、あっただろうか?僕は君の名を呼んだことがあっただろうか?君は、僕の名前を呼んだことがあっただろうか? 僕は、君と過ごした夜には、明日の朝、君と飲む、フレーバーティと、メニューを選ばなければと、思う。  男と、女。時がたち経ち、パッションもサプライズもなくなり、本能でくっついていても、心は何処か別のところへ飛んで行ってしまっている。 やがて、彼女は、引っ越すと言う。 「うん、引っ越し先、決まったら教えてくれ」 それが、僕の最後の言葉だった。それ以来、どちらからも連絡をとってはいない。 僕としては、前の生活に戻っただけ、としか感じていない。怠惰といわれる生活をしている。ただ、ロックな曲が創れない。ブルースやバラードしか出来なくなっていた。Dのコードでゆっくり怠惰に弾き上げる。 狭苦しい、薄暗い、そのおかげで店内の怠惰な汚れが隠されたステージで、今日も歌う。 (詩) 僕がブルースを歌っている時は、君が隣に居て欲しい。 最悪、最低のブルースを バーボンと一緒に飲み干そう 涙なんて出る訳ないだろ、そんなものは、とっくに枯れた。♪ 歌い終わって、ふと、店の奥の誰もいないテーブルが目に付いた。 テーブルには、氷の入ったクーラーと、アイ、ダブリュ、ハーパー十二年物のボトルが置いてあった。 翌週のある日、そう、ある日、僕は渋谷の楽器店に行く用事あった。そのついでに、大型ミュージックショップ(CD屋さん、レコード屋さん)に立ち寄った。渋谷のビルの大型スクリーンに、たしか、気になる映像と音楽が流れていた気がした。ミュージックショップで、それは明らかになった。僕のバラードが、店で流れている。ディスプレイ―には、誰が盗撮したのか?僕のライブステージが放映されていた。僕は、特設コーナーに行って、そこに溜まっている視聴者を押しのけ、そこに置いてあるCDを手に取った。まるで知らないレーベルから僕のCDが出されていた。 そんなの、アリ⁉ 「あの~、K(ケイ)さんですよネ?」 と、突然、店員に声をかけられた。まごつきながら頷く僕に、店員さんは、力強く話し続ける。 「レーベルの方に頼まれてコーナー作ってみたんですが、ユーチューブとか、配信ダウンロードでかなりバズってるみたいですけど、なかなか、CD売れないんで・・・・・・、他よりはダントツに売れてます。このインディーズ感、手作り感あり過ぎるケースの顔、今一なんです。すみません、よかったら、このCDにサインして頂けません?」 僕は、何が何だか?理解できないけれど、取り合えず、頷いた。  長い机、と折り畳みの簡易な椅子が数脚用意された。僕は、その椅子に座るように案内され、そこに坐った。栗色とは云わず、もう少し明るい茶系の長い髪のスレンダーでメリハリのあるボディの店員が僕の横に坐る。彼女は、妙子(たえこ)と言うらしい。僕の目の前に、僕のと思われる(僕は、CDを造った覚えがないのだが)CDを山積みに積み上げた。そして、僕の前にサインペンを置いた。そして、僕に 「サインは、このペンで、CDケースに描いて頂くということ宜しいでしょうか?」 と、確認してきた。僕は、サインなんてしたこともない、というか、昔、クレジットカードとかで、本名を書いたくらいである。 「あの、僕、いや俺、サインなんて決めてないんですけど・・・・・・」 と、申し訳なさそうに彼女に告る。 彼女は、 「ケイさんですよネ。アルファベットのK, フレンチスクリプト文字風、そんな低程で良いのでは?」 と、提案してくれた。僕は、彼女が何を言っているのか?理解に苦しんだ。 「フレンチ?スクリプト文字、ふう?」 「こんな 風」 と、胸のポケットから、手帳を取り出し、白地のページに書き付けた。 K 僕は、それが気に入った。と言う間に、ミュージック店の僕の机の前に行列が出来ていた。僕は、彼女に慌ててメモ用紙を貰い、Kを何度か書き殴ってみた。 行列した人々は、僕がサインしたCDを宝物のように買って、持ち帰ってくれる。 完売!ともいえる。その夜、僕は、当然のごとく、ミュージックショップの彼女をお持ち帰りした。そして、彼女は、僕の饐えた部屋、レコーディングスタジオに入りびたりとなった。そんな彼女とも、長続きはしない。今は、僕の演奏をSNSにアップしたり、CDを作製したりした弱小レーベルのプロヂューサーだという女、名は郁子というらしいが僕の傍に付き添っている。監視されているようでもあるが、小奇麗な部屋を用意してくれたうえに、毎日の僕のお世話もしてくれる。もちろん、夜のお供も・・・・・・、それに、録音スタジオも手配してくれる。なんか、売れっ子のミュージシャンになったみたいだ。そして、僕はすかして、ハードボイルドを気取り、天才、我ままミュージシャンとして日々に流された。 そんな日々を送っていた時だ。君が僕の前に姿を現したのは。 僕は、スタジオで、ブルースに合わせてギターのチューニングをしていた。オープンチューニング。6弦・4弦・1弦をD(レ)に合わせる。1番肝心な6弦を合わせようとして、つい力が入って、弦が切れてしまった。 そこに、突然吹いて来た風、オフショアのように着まいが大きなトランクを牽いて入って来た。 「お久しぶり、いい曲はかけるようになった?」 と、言って、トランクを開け中から、コンビニの袋に入った物を投げてよこした。僕のソファーの前のテーブルに着地し、中の物が散らばったヨーグルトパックに、サンドイッチ、それに子供のお菓子。 「中身のない、やたらうるさいロックだとか、辛気臭い、どろどろブルースとか、また作ってんの?そこに有る賞味期限切れの大安売り処分価格の物があなたにピッタリでしょ?」 「最近、ずいぶん、ツマンナイ曲、歌ってんのネ」  今では、僕のマネージャー役も担ってくれている、郁子が用意していてくれたバーボンを呷った。少したって、僕は、何とも嫌な、息苦しい、憤りを感じた。そして、いつの間にか、僕は、張り替えようとしていたギターの弦、Dに合わせる6弦で君の首を絞めていた。  もがき苦しむ君を観ながら、手に力の入る自分。だけれど、意識が朦朧として来て、やがて意識は亡くなった。意識が戻り、目覚めた時、彼女のトランクを持った郁子がいた。 「このトランクに彼女の死体は入れてある。そこまでは、やってあげたけれど後は自分で始末してネ?関わりたくもないから!トランク持って何処かへ消えて!早く!」    彼女にそう云われた僕は、自分が酔いながら何をしでかしたを理解した。そして、彼女のトランクを持って、逃げるようにその場を去った。自分の部屋に向った。  部屋に帰るまでは、気が動転していた。部屋に帰り、落ち着くと、不思議な感じがした。トランクを見つめていると、君とのフレーバーな日々が続いているかのようだった。君が側に寄り添っていてくれているようだ。  ブルースが次々出来てくる。湧いてくる。 CDを製作発表するのに、充分な数の曲が出来て、今は、僕はスタジオ入りしている。君の大きなトランクと、自分の小ぶりなトランクを持って。生活は、演奏、歌のレコーディング、ミキシング、をしながらこのスタジオで全てが完結する。レーベル会社から郁子さんが派遣されて、僕の全ての欲求を満たしてくれている。 ふと思うんだ。 (このトランクが、側にあると妙に曲が出来る。離したくない。始末も出来ない。でも、臭くはならないのか?) (郁子さんは、気持ち悪くないのだろうか?)  そんなことを思いながら、レコーディングの合間の休憩していたところ、二人のヨレヨレのスーツを着こんだ、ガタイの厳つい男が、スタジオに入って来た。そして、胸ポケットから警察手帳らしきを取り出し、スタジオ内に掲示した。 「警察の者です。燈松 警(とうまつ けい)さんは、どちら?」  僕は、吸っていたタバコをギターのネックあたりに挟み、片手を挙げた。 「俺、だけど」  刑事二人は、僕の方を睨みながら、 「死体遺棄で、逮捕する。署までご同行願えますかな⁉」 と、言って、今度は令状のようなものを取り出した。  僕は、突然のことに、 「死体遺棄?」 と呟いたものの、察しは付いていた。 もう一人の刑事が、 「君が、トランクに死体を入れている、と通報があった」  僕は、郁子さんの姿を追ったが、見当たらない。 「君のトランクは?」  僕は、留(とめる)の大きなトランクと自分のトランクを指さした。  若い方の刑事が 「それじゃ、それを持って、ご同行願います」 と、言って二人の刑事は踵を返した。  僕は、素早く、タバコを灰皿に揉み消し、ギターをソファーに置いて、両方のトランクを引き摺りながら二人の刑事に続いてスタジオを出た。その時、白いトレンチコートをひらめかせ、黒いスーツ姿からは、懐かしく、いい香りのする女性とすれ違った。僕と同じトランクを持った彼女は、僕とすれ違った後、片手を上げて挨拶をしたように思えた。  スタジオから、慌てて飛び出して来た郁子さんが、彼女を最敬礼して、スタジオに迎え入れたのが見えた。 (僕のことは、どうでも良いのか・・・・・・)  僕は、警察署の取調室に案内された。何か、よく見た光景だ。そう、ドラマとか、映画に出てくる取り調べ風景と全く同じだ。僕は、刑事さんと対面で座らされている。部屋の隅には、書記の巡査さんがいる。若い?方の刑事さんが、 「お名前、燈松 警(とうまつ けい)さん?」 と、聞かれたので、僕は、 「はい、そうです。燈松 警(とうまつ けい)です」 と、素直に反抗するような素振りも見せず、答えた。 「あの、あなた、誰かに恨まれてます?」  刑事さんに、突然そんなことを言われても、僕は首を傾げるしかなかった。僕を恨んでいる奴なんて一杯いるだろうし、全然、気にしたことも無い。もう一人の歳のいった方の刑事さんが、 「こんなの、区役所とか、保健所とかで何とかして欲しいヨ!こっちは、忙しいんだから」 と、迷惑そうに云う。僕は、 「区役所?保健所?」 とは呟いたものの、何の事か訳わからなくなった。  もう一人の刑事さんが、 「あなたが、ネコの死体をトランクに入れて持ち歩いていると、通報が警察にあったの!」  もう一人が、 「そんなの、区役所で処置してくれる所あるだろうに、なんで持ち歩くかね?」  僕は、刑事さんたちが、何を言ってるか?何が何だか分からないまま留(とめる)の大きなトランクを見つめた。  速いテンポのDの旋律のブルースが、ガンガン、頭の中を駆け巡っている。
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