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第十二話 それは猫ではありません。
草原の中、唐突に立派な和風の城郭都市があるかと思うと、透明なガラス状のドームに包まれた近未来的な町もある。そびえ立つ高層ビルや建物群の間をモノレールが走っているのが見えた。
「あれは何?」
『あれは学園都市。学びたい者だけでなく、教えたい者たちが集う場所だ。願書を出して試験に受からなければ中に入れない』
「神様でもまだ勉強することもあるのね」
『神々は教える方の立場だと聞いている。何かを学びたいのなら、願書を用意しよう』
「いらないいらない。私はまだ元の世界でやることあるから」
何を教えてもらえるのか、ちょっと気になることはあっても異世界に定着はできない。私には元の世界の生活が待っている。
シュゼンの屋敷を出てから三時間が過ぎ、青空の下、黒い雲に覆われている場所が見えてきた。
「見るからに怪しい場所ね」
思わず乾いた笑いが出てくるのは仕方ない。真っ黒な屋敷を、おどろおどろしい黒い雲が包み込んでいて呑気な青空との対比が凄まじい。
『先触れを出そう』
シュゼンの手に、一本の白羽の矢が現れた。その矢軸には畳まれた手紙が結ばれている。
「いきなり行った方がよくない? 何か攻撃準備とかされちゃいそう」
『それでは宣戦布告に等しい。先触れを贈るのは、こちらに戦意はないと伝えて穏便に話をするための前準備だ。……もしも攻撃してきたら、こちらが反撃する行為が正当化できる』
この世界では手順を踏むことが大事なのかと考えて、そういえば平安時代の貴族たちは先例主義で有職故実を重んじていた。昔の人々は、神々の世界に習っていたのかもしれない。
矢はシュゼンの手から離れ、黒々とした屋敷へと向かった。矢が到達したと思われた時、暗雲から黒い雷が放たれ、シュゼンが左手で受けとめて消した。
「ちょ、攻撃してきたじゃない!」
『これは攻撃ではなくて、屋敷に入って良いと言う返事だ』
のほほんとしたシュゼンの表情が信じられない。いやいや。今のはどうみても攻撃です。
大丈夫と微笑むシュゼンの言葉を半分信じて屋敷へと向かう。黒々とした門は漆塗りのような艶やかさ。ぎぎぎと不快な音を立てて自動で開いた。内部は寝殿造で、シュゼンの屋敷と構造はほぼ同じ。ただ、柱も壁も屋根も光沢感の強い真っ黒という色が視覚的に凄まじい圧力を掛けてくる。
「あれ? 従者も誰もいないの?」
シュゼンの屋敷では、ヨウゼンの他に数名の男性従者が勤めていた。
『神が乱神になると仕える者が逃げてしまうことが多い』
乱神でも会ってみたいと思ったのは撤回。従者が逃げる神様なんて、どんな悪い神様なのか。
シュゼンに指示されるまま、雲を操って門を抜け、正殿の前の地面に降り立つ。正面から見上げる屋敷の黒さと、絵巻物に描かれた雲のような禍々しさが妙にコミカルで落ち着かない。まさしく悪い人がいますよ的なあからさまな描写が現実感を奪っていく。
正面に掛かっていた御簾がくるくると巻き上がった。無数の瓶子に囲まれた黒い狩衣姿の男がだらしなく脇息に寄り掛かって酒を飲んでいる。
『何の用だ?』
荒々しい声でも、結構良い声。影になっていて顔はよく見えない。
『一月半前に貴方が奪った麒麟の姿を返してもらいたい』
シュゼンの微笑みは涼やかで、いつもとは違う迫力がある。これは意外と強そうな気がしてきた。
『……わかった。持っていけ』
大きな溜息を吐いた男がぱちりと指を鳴らすと、廂に二メートル近い麒麟のはく製っぽい物が現れた。頭は龍、鹿に似た体には鱗があって、馬のような蹄に牛の尻尾。全体的に金色の色彩を帯びている。
あまりに素直に渡されると気が抜けていく。何か罠がないかと疑うのは私の心が汚れているからだろうか。
『引き渡しに感謝する。何故、姿を奪ったのか理由を聞いても良いだろうか』
『……聞いてくれるか?』
男が瓶子を持ったままゆらりと立ち上がり、廂へと出てきて驚いた。濃い灰色の短髪にオレンジ色の瞳で、顔は十八歳前後の美少年。鋭い目つきは、その神経の繊細さを示しているような気がする。
『……俺の嫁がもふもふした猫が欲しいというから狩ってきてやってるのに、これじゃないと言うんだ』
「猫じゃないでしょ!? もふもふでもないし!」
反射的に叫んでしまって、しまったと口を塞ぐ。麒麟の背中に毛が生えていても、それは一部分。全身はほとんど鱗で覆われている。これをもふもふとは認めたくない。
『何を言ってるんだ、女。猫だろ?』
「シュゼン、違うわよね?」
『……この姿は猫だと思うが』
首を傾げる二人と話が通じないことに愕然とした。神々には麒麟が猫に見えてしまうのか。
「お願いです。貴方の嫁と話をさせて下さい」
手っ取り早く味方が欲しい。そんな思いで私は乱神にお願いした。
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