第二話 彩色させていただきます。

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第二話 彩色させていただきます。

 山を越え龍神の屋敷へは、すぐに到着した。森の中、白い土塀に囲まれた白い寝殿造の立派な建物。庭には広い池が作られている。  奇妙なことに、池に掛けられた橋も建物も人工物は不自然に白い。テクスチャの貼られていない立体画像のようで、色も質感も無い。一方で森の木々や地面、池のような自然物には色がある。  龍神は屋敷の中央、庭にふわりと降り立った。正面には主屋である寝殿に昇る(きざはし)。屋根も何もかも、すべてが白い。   そっと階の上に降ろされた。龍神の態度も手つきも紳士的で優しい。 『響歌、大丈夫か?』 「な、何とか……だ、大丈夫……です」  空を飛んだというショックはまだ胸の鼓動を爆上げしていて、手で押さえつつ深く息を整える。可愛げのない悲鳴は忘れることにして、しばらくすると落ち着くことができた。 『ここが私の屋敷だ。響歌、もしよければ屋敷に色を付けてくれないか』 「色を付ける? どういうことですか?」 『手で触れて、色や素材を思い浮かべてくれれば、色が付く』 「……私が勝手に色を付けてもいいと?」 『ああ。私にはできないから、お願いしたい』 「一度決めたら変えられないとか、注意事項はありますか?」  こんなお屋敷の色を決めて、失敗したらと思うと簡単には引き受けられない。 『いや。気に入らなければ何度でも変えられる』 「それならやりますっ!」  やり直せるなら多少失敗しても平気だろう。それなら気軽。  寝殿の中へと入ると、絵巻物そのものの内装に調度品が揃っていた。どれもこれも不自然な白さ。触れる場所はどこでもいいと言われて、目の前の柱に手を添える。 「えーっと、柱とか天井、床も白木がいいかな。新築のヒノキの色」  頭の中で想像した途端、柱や天井、望んだ場所がヒノキへと魔法のように変化して、真新しいヒノキの香りが周囲に漂う。 「おもしろーい! あ、床はもう少し濃い方がいいかな。磨いた艶が欲しい」  まるでCGにテクスチャを流し込んでいるような気分で、とても楽しい。複雑な操作も必要なくて、想像するだけだから簡単。 「寝殿造だったら、屋根はやっぱ檜皮葺(ひわだぶき)! 土壁は白の漆喰。(しとみ)は格子が黒で板は白。御簾は竹で……縁は何色がいいかなー。……あ、何色がいいですか?」  調子に乗って、希望も聞かずに色を決めてしまっていると気が付いた。 『響歌の好きな色でかまわない。季節に合わせて変えてもいい』 「あ、それは素敵ですね。えーっと、今の季節は何ですか?」  タンクトップにショートパンツという格好でも、寒くもなく暑くもない。屋敷の外に見える空は、夏の青とは違う水色。ぎらぎらと眩しかったはずの太陽も、落ち着いた優しい光で空気を温めている。 『人界と同じで、今は夏だ』  暑くないのは異世界だからだろうか。 「わかりました。じゃあ、涼しい感じで」  マンガやアニメ、小説の挿絵や学生時代の教科書の記憶を総動員して色と模様をつけていく。几帳や置き畳といった調度品も、手で触れて頭に思い描くだけで色と模様が現れる。広い屋敷の中を龍神と話し、歩きながら色付けていく作業が楽しくて仕方ない。 「出来た!」  真新しい寝殿造りの屋敷は、落ち着いた色でありながらも爽やかな雰囲気に包まれた。庭園の緑は鮮やかになり、池の上に伸びた釣殿の姿が水面に映っている。  まさしく色鮮やかな絵巻物の世界。そう考えると、タンクトップにショートパンツの自分の格好が恥ずかしくなってきた。 『ありがとう、響歌。とても素晴らしい景色になった』 「どういたしまして。とーっても楽しかったです」  広大な屋敷一つの色付けでも、簡単だったので面白過ぎた。夏だけでなく、四季ごとに色替えをチャレンジしてみたいような気がする。まぁ、でも元の世界に帰るから最初で最後の機会だと思う。 『私が着ている装束の色も付けてもらえないか?』  そう言われて、龍神と向き合って全身を見る。黒い長髪に赤い瞳の美形は、白い狩衣でも十分凛々しい。しばらく見つめ合っていると、心の中に春の空が浮かんできた。 「……薄雲をまとった春の空の色。淡い淡い青緑。青白磁色」  狩衣にそっと触れて思い描くと淡く色付いていく。白に近くても色をまとうと龍神の印象がさらに優しい雰囲気に変わってくる。 「単は緑青。……紅梅とか赤系も綺麗かも……」  瞳の赤に合わせてもいいかもしれない。色々試して、緑青に落ち着いた。 「袴は杜若(かきつばた)かなって思いますが、初夏の花なんですよね。桔梗は秋だし、藤は薄すぎ……よし、シンプルに紫色っ」  濃い紫の袴の色で、全体的にぼんやりとしていた輪郭が引き締まった。龍神の涼やかな凛々しさが際立つ。 「そういえば、狩衣って言ったら烏帽子でしょう? 被らなくてもいいんですか?」  平安時代、男性の烏帽子は必須と聞いた覚えがあるような、ないような。でも、ここは平安時代ではなさそう。 『龍族は烏帽子を使わないことが多いな。その替わり、公式の場所では角を現す』 「つ、つの?」  微笑んだ龍神の頭から、淡い金色に光輝く角が生えた。枝分かれした角は、まさしく龍のイメージ。 「……超カッコいい……」  心が全力でよろめいた。推しのお正月スペシャルイベントの和服姿で鼻血を出した過去がある私は、鼻と口を手で覆って警戒する。流石に神様の前で鼻血は恥ずかしいという理性が一ミリくらいは残っていた。  その顔で微笑まないで欲しい。清らかな誘惑が心を撃ち抜く。  二人で見つめ合い、無言で流れる微妙な空気の中で大声が響き渡り、龍神は角を消した。 『シュゼン! 何故、屋敷に色が付いたっ? まさか降格かっ?』  渡殿(わたどの)を走ってきたのは、深緑色の狩衣姿でオレンジ色の短髪の男。日に焼けた肌の色に緑の瞳。龍神と同じくらいの年齢と背丈でも、何となく狩衣の下の筋肉が主張しているような気がする。ワイルドそのものな表情で、八重歯が牙のよう。  龍神の姿を見て、男は驚きの表情を見せる。 『……お前……その色は……まさか〝誓色(せいしき)〟を終えたのか?』 『ああ。今、終えた所だ』  微笑む龍神の答えを聞いて、驚いたままの男の視線が私へと移った。    『……それが許嫁候補か?』 『紹介しよう、妻の響歌だ』  龍神の紹介には異議がある。私は妻でも何でもない。 「違います! 妻じゃありません!」 『……と、言ってるぞ?』 「あの、せいしきって何ですか?」  彩色(さいしき)の聞き間違いかもしれない。 『シュゼン、まさかお前、説明もせずに〝誓色〟をさせたのか? ……説明なしで出来るものなのか?』  男は困惑の表情で周囲を見回した後、私の目を睨みつける。背の高い男から見下ろされ、男の怒りが視線から伝わってきた。言い知れない恐怖を感じると龍神がさっと私を背に隠すように割り込んだ。 『……〝誓色〟とは〝誓約の彩色〟のことだ。新たに神の資格を得た者は、自分の体以外の所持品すべての色を失う。嫁を娶り、その嫁が色を与えることで神の位が確定する。……嫁取りに失敗した場合は降格になって、神ではなくなる』  説明する男の声は、苛立ちを隠さない。とげとげしい感情がむき出しの腕にちくちくと刺さるような気がして、自分の腕を抱きしめる。 『ヨウゼン、響歌が怯えるから感情を抑えてくれ』  私を背に庇っていた龍神が振り返り、その腕が私の肩を優しく包む。ひやりとした袖の柔らかさがほっとする。抱きしめられているというより、布で優しく包まれて護られている感じ。 『……わかった』  ヨウゼンと呼ばれた男が不承不承という声で応えると刺さるような空気が霧散した。 『強い感情は、その場の空気すら支配するものだ』  龍神の腕が解かれると、ちょっと寂しいと感じた自分を自嘲する。……私は推し一筋の女。 『まぁいい。それにしても、その装束は何とかならんか? 客人に見せられんぞ』  ヨウゼンが言うのは私の服のことらしい。 『可愛らしいと思うが』 『お前、女の服のことも知らんのか。肌を見せすぎだと言ってるんだ。(うちき)くらい羽織らせろ』  うんざりとした顔でヨウゼンが龍神に告げ、私も居心地が悪い。確かに袿か何か羽織りたい。 『女性用の袿……?』 『お前は知らなくても、その女はわかってるようだ。(ひつ)から取り出させればいい』  ヨウゼンは勝手知ったるという様子で、塗籠(ぬりごめ)へと私たちを導く。周囲は白い壁で灯りはないのに明るくて、天蓋が付いた御帳台が中央に設置されている寝室。色を付ける時に、調子に乗って覆い布を桜色にしたので可愛らしい雰囲気が漂う。  部屋の端に置かれた櫃はシンプルに漆の黒にしてある。 『女、自分の袿を取り出せ。想像すれば、櫃の中に現れる』 「……はい」  自分のと言われてもよくわからないながらも、ぼんやりとイメージしてからフタを開ける。中には、紋様が織り込まれた桜色の小袿と、桜色から赤のグラデーションになった五つ衣。袿五枚がすでに重ねられた状態で畳まれていた。 『……お前……! 初めて櫃を使ったよな?』  驚きの声をあげ、ヨウゼンの尖り切った空気が明らかに軟化した。 「初めてです」  取り出すと上質の絹は柔らかくて軽い。微笑んだ龍神が受け取って、私へと着せ掛ける。 「あ、ありがとうございます」  タンクトップにデニムのショートパンツ。その上に五つ衣と小袿を重ねた変な格好でも、露出が減ったので一安心。前をしっかり合わせれば、外からは見えない。  塗籠から出ると、空は夕焼け色に染まっていた。誰もいないのに、ぱたぱたと軽やかな音を立てながら蔀戸(しとみど)が降ろされていく。  しゅるりと小気味良い音が響いて巻き上げられていた御簾も下がったものの、寝殿正面の場所だけは庭の池が見えるようにと開かれている。庭にはいくつもの黒い鉄製のカゴに炎が灯り、宵闇の中で激しく燃え盛る。  板張りの床に円座が現れ、龍神と私が並んで座り、龍神と対する場所にヨウゼンが座る。ヨウゼンが手を叩くと、目の前に料理の皿が載せられた脚付きの御膳や果物満載の高坏(たかつき)、白い瓶子(へいし)が現れた。  ヨウゼンが酒杯を龍神と私に手渡し、瓶子からお酒を注ぐ。ヨウゼンの酒杯にも注いだ方がいいのかと迷ううちに、ヨウゼンは自分でお酒を注いだ。 『何にせよ、シュゼンが龍神になったのはめでたい話だ。従者の俺も鼻が高い』  その言葉から察すると、ヨウゼンは神様ではないのかもしれない。聞くのは地雷かと察知した私は、曖昧に微笑んでみる。  勧められるままにお酒を飲むとすっきりとした味わいで美味しい。山盛りの白ご飯に、塩の皿、大きな焼き鯛や蒸しアワビ、山菜の煮物等々。そして何故か赤いイチゴがたっぷり使われたショートケーキが白いお皿に乗っている。……学生時代の教科書で見た平安時代の食事より、随分現代的な雰囲気。 『この料理は人々が供えてくれる物だ』 「お供え物がこの世界に届くんですか?」 『この世界に届くのは、料理や材料の〝気〟だけだ。だから元の世界に形は残っている』 「いただきます」  気と言われてもよくわからない。長い箸を使って山菜を口にすると実物の歯ごたえもあり、今まで食べたことがないくらいに美味しい。 『供え物と同時に伝わる人々の感謝の祈りが、食物の気を味わい深く美味しくしてくれる』  それでは、もしも感謝がなければ不味い物になってしまうのだろうか。  優しい龍神とすっかりうちとけたヨウゼンと三人で食事とお酒を楽しんだ。       ◆  どっぷりと夜になり、空には白い月が輝いていた。温泉かけ流しの岩風呂に入り、櫃から取り出した白い着物を着ると、塗籠の御帳台へと案内された。  まさかと緊張する私に、狩衣姿のままの龍神は微笑む。 『私は外で眠るから安心していい。おやすみ』 「おやすみなさい」  龍神は言葉の通りに塗籠から出て行った。  あまりにも紳士的な龍神の態度はスマートでカッコいい。元の世界に戻るまであと四日。安心して過ごせそう。  置き畳の上に敷かれた布の上に寝ころんで、着ていた小袿が掛布団替わり。布団が欲しいと思いながらも疲れていたのか、すぐに眠気が襲ってきた。 『シュゼン? どうした? 何故寝所に入らない?』  塗籠の外からヨウゼンの声が微かに聞こえる。 『響歌には想い人がいるそうだ』  龍神の寂しそうな声が聞えてきた。 『あ? お前、何でそんな女と婚姻したんだ? 断って新しい女を待てばよかっただろう?』 『……一目で響歌の魂の輝きに心を奪われた。推しが好きだと語る瞳の美しさに惚れてしまった。あの輝きは、推しを想う心が磨き上げたものだろう』  龍神の言葉にどきりと胸が高鳴った。私のことを、そんな風に思っていたのかと嬉しくなる気持ちと恥ずかしさが頬を熱くさせていく。 『……私は響歌から色彩を受け取り、神になって多次元を行き来する存在にはなれたが、響歌の推しにはなれない。無力さが口惜しいな……推しに替わることはできないと覚悟はしたが、どうすれば多少なりとも好意を持ってもらえるのか考え続けている』 『だから共寝をしないということか』  きゅっと罪悪感めいたもので胸が痛んだ。それでも私は龍神の嫁にはなれない。推しへの気持ちは揺るがない。 『露顕(ところあらわし)の儀はどう切り抜ける? 神々には正式な嫁取りでないことがバレるぞ。下手すれば取り消されて降格だ』 『そうだな。……万が一の時には、響歌だけでも人界へ返す』 『お前っ……何を……』  男たちの話は続いていても私の意識は限界に達し、緩やかに緩やかに眠りへと引き込まれた。
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