第一話 私には推しがいますので。

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第一話 私には推しがいますので。

「龍神様の嫁? 誰が?」  真夏の熱い日差しの中、縁側で冷えたスイカにかぶりつくと、じゅわっと甘くて頬が緩む。八つ割りにしたスイカは、独り暮らしでは中々味わえない贅沢で嬉しい。  ピンクのタンクトップにデニムのショートパンツなんていう都会では恥ずかしくて出来ない格好は久々で開放的。胡坐で座っていても、別に誰も見ていない。いつもは一つ結びの髪を解くとそろそろ切ろうかなという長さまで伸びていた。  夏季休暇で久しぶりに戻った実家は、山の中の田舎も田舎。一番近いコンビニまで十八キロ、一番近いスーパーまで十五キロという過疎の村にある。周囲は一面の田畑に囲まれていて、父母と兄が農業を営みながら、祖父母と大きな日本家屋に住んでいる。  私は家が田舎すぎるのが嫌で、遠い都会の大学へ通い、そのまま就職というお決まりのコースで独り暮らしを満喫中。今年の夏はどうしても帰ってこいと言われて、交通費まで振り込まれてしまったので久々に帰省した。 「お前じゃ、響歌(きょうか)。昔からお前は龍神様の許嫁じゃと言うておっただろう?」  夏だというのに、祖母は着物姿で熱い緑茶を飲んでいる。大日野(おおひの)響歌、それが私の名前。 「無理無理。私には推しがいるから。結婚するなら推しと決めてるの。あー、二次元と結婚できる法律できないかなー」  スマホ配信ゲームのキャラでも、今の私には大事な推し。学生時代からハマっていて二十三歳になった今でも三次元には興味がない。 「推しとは何じゃ? またマンガの登場人物か?」 「スマホゲームの登場人物よ」  布巾で手を拭き、ポケットに入れていたスマホを取り出して待ち受け画面の推しキャラを祖母に見せる。祖母はさっと老眼鏡を掛け、スマホを受け取って覗き込む。 「これはまた派手な男だのう。地味な男が好みではなかったのか?」 「突然どうしたの? 今まで何も言わなかったじゃない」  子供の頃、私がマンガやアニメのキャラをどっぷり好きになっても祖母だけは何も言わなかった。私が口を尖らせて抗議すると、祖母は神棚から和紙の包みを取り出した。中からは折り畳まれた手紙が現れて、ちらりと見えた筆文字は達筆すぎて読めそうにない。  「手紙を頂いた。新しい龍神様が生まれたそうじゃ」 「それって、赤ちゃんと結婚? ますます無理じゃない」  二十三歳の歳の差なんて、絶対に理解できない。やけになってスイカにかじり付く。 「新たな神になられたということは千歳じゃな」 「じゃあ、おじいちゃんってこと?」 「いや。若者だろうて。神様と人間とは歳の取り方が違う」  そうは言われても、老人の姿しか思い浮かばなくて困る。 「嫌です。お断りします」 「それなら、自分で直接断ってくるんじゃな」 「直接?」  微笑む祖母が左の手の平に載せた手紙を、右手で叩いた。じゃばらに折られた手紙がぱらぱらと音を立てて伸び、私の周囲を取り囲む。 「何これ?」 「行っておいで」  私の問いに答えることなく、祖母が手を叩く大きな音と同時に私の視界は七色の光に埋め尽くされた。       ◆  瞬きすると周囲の景色は一変していた。木々に囲まれた花畑には、白い彼岸花に似た花が揺れている。  私の目の前に白い狩衣を着た美形が立っていた。長い黒髪に赤い瞳で背が高い。化粧っ気は一切なくて、ナチュラルに超美形。私よりもちょっと年上の二十五歳くらいに見える。 『君が私の嫁か』  心地いい優しい低音。ふわりと微笑む顔に心臓が撃ち抜かれた気がした。これは推しを初見した時と同じ。一目惚れとは言いたくないけれど、そんな兆候を感じる。……いやいや。それでも浮気はできない。私は推し一筋の女。 「違います」  この美形が龍神なのか。想像とは全く違っていたので戸惑いしか感じない。高鳴る鼓動をひた隠し冷静なつもりで現状を見ると、私は食べかけのスイカを持って胡坐をかいた状態。これはちょっと酷すぎる出会いなのではないだろうか。 「失礼しました」  胡座を解き、両手でスイカを持ったまま立ち上がろうとすると、不格好にならないようにするのは意外と難しい。 『そのスイカを預かろう』  スイカを受け取った龍神は、反対側の手を差し出した。立ち上がるのを手伝ってくれるのかと気が付いても、恥ずかしくて自力で立ち上がる。 『食べやすいように、種を消してもいいだろうか?』 「え? あ、はい」  何を言っているのか理解できなくてとりあえず頷くと、スイカの種が白い光を発して消え去った。後に残るのは種がなくなったスイカのみ。  返されたスイカを立ったまま食べるのも変だと気が付いて内心うろたえていると、龍神がぱちりと指を鳴らし真っ白な縁台が現れた。 『ここに座って食べるといい』 「あ、ありがとうございます……」  まさに至れり尽くせり状態で、恐縮しながら座ってスイカをかじると一人でスイカを食べるのも悪い気がする。隣に座った龍神をちらりと見ると、優しい笑顔が返ってきた。 「……た、食べ掛けですけど……食べます?」  まだ口を付けていない部分はある。食べ掛けを勧めるなんて非常識だとは思っても、スイカは一切れだけ。 『良いのか? それでは頂こう』  龍神はとても嬉しいという顔をして、私の手からスイカを受け取って一口かじる。 「も、もし、良かったら全部どうぞ」  あまりにも嬉しそうだったので譲ることにすると、龍神は残っていた赤い部分を食べきった。皮はどうするのかと思ったら、白い光に包まれて消えてしまった。 『私からは、こちらの餅を』  龍神の手には小さな白い三方が現れて、和紙の上に一口大の丸い餅が三つ乗っている。 「え……いえ、そんなつもりでは……」  食べ掛けのスイカを勧めただけなのに。 『どうか受け取って欲しい』  そう言われれば仕方ない。一つだけと思って口にすると、突きたてのお餅のように柔らかくて程よい甘さが美味しい。 「とっても美味しいです」 『それは良かった』  残り二つも勧められ、迷いながらも食べてしまった。    『私はシュゼン』 「わ、私は響歌です」  並んで座る縁台の周囲で、白い彼岸花が風もないのに揺れている光景は幻想的。優しく微笑む美形にぐらぐらと心が揺れつつも、辛うじて押し留まる。……私は推し一筋の女。 『少々変則的ではあったが、これで婚儀……』 「ああああああ! 私のスマホ!」  今気が付いた。祖母に手渡したままで、受け取ってはいない。ゲームには夜しかログインしていなくても、いつでも推しの姿を見られる待ち受け画面が身近にないのはツライ。推しのアクキーは鞄に付けたまま。 「嘘嘘嘘。スマホ無し? あり得ないっ……!」  現金を持っていないことよりも、スマホが無いことの方が不安で頭を抱える。 『すまほとは?』 「携帯電話……えーっと、遠方の人と会話をしたり、情報端末……いろんなことを調べたり、写真が撮れる便利な道具です」  そうだ。私は嫁入りを断りに来たんだった。とっとと断って、実家に帰ろう。 「あ、あの……実は結婚をお断りに来たのですが」 『断る? …………何故?』 「私には推しが……好きな人がいます。今時、他人が決めた相手といきなり結婚するのは無理があると思います」  緊張しながら答えても、龍神は目をしばたたかせただけ。 『……そ、その……だな……。想い人とは婚姻しているのか?』 「いいえ。二次元なので今は結婚できません。でも、そのうち法律が出来たら結婚できるかも。というか、今でも結婚できるなら結婚してます」  断言。とびきり痛い発言でも、私の想いが真剣なことは神様ならわかってくれるだろう。 『……そうか……』 「わかって下さって、ありがとうございます。あの……家に戻りたいのですが、どうやって帰ればいいのでしょうか」  しょんぼり。そんな雰囲気の龍神の表情が心に痛い。これだけの美形なら引く手あまたのはず。平凡な私が嫁にならなくても大丈夫だと思う。 『ここは響歌の世界とは異なる。元の世界に戻るには、五日後〝境界の門〟が開くまで待たなければならない。それまでは、私と共に過ごしてもらえないだろうか』 「え……五日後? あ、あの……スマホだけでも取り寄せたりとかできないですか?」 『すまない。今は難しい。〝境界の門〟が開けば取り寄せることも出来るが……』 「あ、別にいいです。こちらこそ、無理を言ってすいません」  自分がスマホ依存症になりつつあるというのは感じていたけれど重症ではない。ゲームのイベントは一週間後だし、五日間ならスマホ無しでも何とか生きていけるはず。五日間も推しに会えないのは寂しくても家に戻ればいつでも会える……と繰り返し心に言い聞かせてみても焦る心は癒せない。やっぱ重症かも。   『ひとまず私の屋敷へと案内しよう』  微笑んだ龍神は、私を軽々と抱き上げた。 「へ? ちょ、ちょっと!」  横抱きにされると、その綺麗な顔が近すぎて恥ずかしい。 『運ぶだけだから、安心してほしい』  唐突に、ふわりと浮遊感。首を巡らせると龍神は空を飛んでいた。白い花畑と森がどんどん遠くなる。 「う……ぎゃああああああ!」  高所恐怖症の私は、可愛いとは程遠い悲鳴を上げて龍神の狩衣を握りしめることしかできなかった。
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