遭遇と別れ

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遭遇と別れ

次の日の夕方、弁当の材料を買いにゆこは店をそのままにスーパーに向かった。 今日は特売日で、店を閉めてからでは遅れを取ってしまう。 弁当を食べていたのが霧島だとわかると、ゆこの胸はフワフワと弾んでいた。 毎日食べてくれるのは気に入ってくれたから。 それがとても嬉しくて。 奥様方に紛れてたくさん買い物をして、軽い足取りのまま店から一歩出た時だった。 向かいから、派手なミニスカートの女と短髪の赤い髪の男。 ふわりとしていた心臓が、一瞬止まった気がした。 男は、以前ゆこが居た店の黒服だった。 咄嗟に俯いた。 不自然にならない様に横を通り過ぎる。 耳の中で心臓が激しく波打っている様だった。 急激に指先が冷えて、膝が震える。 振り返らずに歩いた。 角を曲がってやっと、そっと振り返る。 誰もついてきていない。 けれど、今にもそこから現れるかもしれない、恐怖。 弾かれたように駆け出した。 店まであと百メートルもない。 早く、はやくっ! ガツ! 何も無い所に足を取られて、エコバックごとコンクリートに転がった。 膝と手の平が痛い。 いくらか食材がエコバックから転がり出てしまった。 無意識に手を伸ばして拾い集める。 一つ、二つ…。 振り返るのが怖い。 立ち上がる事も頭に浮かばなかった。 膝をついてただ手を伸ばす。 心と思考が噛み合っていかない。 怖い、と心が悲鳴を上げていた。 最後の一つ、綺麗な緑のピーマンの袋。 潰れない様に一番上に乗せたのだ。 その袋に手が届く前、大きな手がそれを拾い上げた。 磨かれた革靴と、スーツの足。 顔を上げられなかった。 伸ばされた自分の指先が細かく震えているのが見える。 「…どうした」 膜を張ったような耳がバリトンの声を拾った。 一度だけ聞いた声をゆこの耳はちゃんと覚えていた。 霧島さん。 ちゃんと声に出して呼べただろうか。 わからなかった。 ただ、その声に緊張の糸が切れてしまったのだと思う。 止める間もなく大粒の涙が溢れた。 顔を上げられないまま、コンクリートにいく粒も涙の跡が出来ていく。 霧島はどんな顔で自分を見下ろしているのか。 涙を止めなくてはと思うのに、自分の気持ちとは逆にそれは勢いを増す。 込み上げる嗚咽を漏らすまいと、ゆこは唇を噛み締めた。 ジャリと音をたてて、革靴が一歩前に出た。 身体がぐんと、上昇した。 抱き上げられたと理解したのは、霧島が数歩進んでからだった。 「き、霧島さんっ」 驚いて涙がとまった。 慌てた視線の先、村沢とお辞儀さんが車の前に立っているのが見えた。 お辞儀さんはまた九十度に頭を下げた。 「動くな」 低くそう言った霧島は、近づいてきたお辞儀さんに 「袋拾ってこい」と声をかけてそのままSecret baseの扉をくぐった。 ドアノブで、『配達中』のプレートが小さく揺れた。
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