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優香は、ゆこの二歳年上の先輩キャストだった。
呆気なく両親を事故で失い、右も左も生きていくノウハウも無いゆこが、半ば騙される様に足を踏み入れたそこに居た優香。
頼りないゆこを可愛がり、庇ってくれた。
一芸に秀でていれば、体を開かなくて済む。
そう教えてくれた。
ゆこの歌を歌う才能を見つけ出してくれたのも優香だった。
彼女はピアニストだった。
アザレアに入るまでは音大に通っていた腕前は驚く程で。
染めていない艶々の黒髪が綺麗で、キツく見えるほどの美貌とモデルの様なスタイルもゆこの憧れだった。
その容姿とはアンバランスな、サバサバとした明るい性格にも救われた。
「妹に似てるって。…逃げなさいって、優香さんが薫さんに私を託してくれました」
「あの人は、あの店の黒服の人です」
霧島はゆこのしていたサービス内容を知らない。
キャストにはランクがあった。
ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ。
手首に付けたブレスレットが目印となり、それによって「料金」や「チップ」に幅があった。
ゆこや優香がつけていたプラチナとは違い、下に行けば行くほど、その接客内容はキツくなっていく。
ブロンズともなれば、俗に言う枕営業も常だった。
すぐに一芸を見出されたゆこは、その手の接客を免れた。
それによるやっかみや嫌がらせを、優香が庇ってくれたのも覚えている。
でも、今の話を聞いた霧島はゆこがそんなふうに生きてきた女だと思っただろう。
本当は言い訳したかった。
でも、優香を踏み台にしてここに居る自分は、それよりも悪いと思った。
「なので…もう大丈夫です」
助けて欲しいとは言えなかった。
「大丈夫、とは?」
聞き返されて顔を上げた。
霧島の片眉が上がっている。
…癖なのだろうか。
「こんな風に、生活出来ていたのが奇跡だったんです…もう、終わりにします」
怖い。
消えてしまった方が楽だと思うほどに。
あの閉鎖的な、暗い夜の街に戻りたくない。
でも、見つかった以上このままでは居られない。
優香もまた、責められるかもしれない。
アザレアのバックは、柏木組。
こことは違う組だ。
「薫さんにも、これ以上迷惑はかけられません」
ゆこを匿っていたと知られれば、大きな事になるかもしれない。
「姐さんは、そんな事でほっぽり出したりしねえ…」
わかっている。
だからこそだ。
自分から出て行かなくてはいけない。
ゆこの瞳に確かな決意を見て取った霧島は、目を細めた。
「あんたを逃がした…女が心配か?」
まるで見透かされて居るような言葉に、ゆこはそっと頷いた。
霧島は短くなった煙草を灰皿に投げ入れると、ソファーの背に首を預けて天井を仰いだ。
何を考えているのか、唇を薄く開いたまま、数度瞬きを繰り返すとそのままゆっくりと目を閉じる。
その男の色気が滲むような艶を乗せた横顔を、ゆこは見つめた。
ブラインドから入る光に照らされた横顔は、精巧に作られた彫刻の様で、濃い睫毛が影を落としていた。
瞬きすら惜しい。
もう二度と会えないかもしれない。
ほんの僅かでも違わないように、目に焼き付けていたかった。
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