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奪還
ゆこが復帰したのは数日後だった。
マネージャーに呼ばれ叱責はされたが、手をあげられることは無かった。
それだけ金になるとふまれたのだ。
優香とはその日に再会した。
もしかすると抜け出せているかもしれない、そうであればいいと思って居たけれど。
上手く逃がしてあげられなくてごめんね、とゆこを抱きしめた優香は変わらずに綺麗な美貌で、悲しげに微笑んだ。
数日は優香にピアノを弾いてもらい、勘を取り戻すように歌った。
音楽に携わると、思い出して苦しくなる。
そのせいで二年分の知識を取り戻すのに苦労した。
店に出る時間以外は常にイヤホンを外さずに、ありとあらゆるジャンルの曲を聴き続けた。
音の洪水は、気を抜けば霧島を思い描くゆこの思考を随分紛らわせてくれて、それだけは幾らか助かった。
昔ながらの客も復帰を喜び、ゆこを知らない客にも受け入れられて、高額のチップに店は喜んだ。
一週間ほどした開店直後、ゆこと優香は舞台袖にスタンバイしていたところで、マネージャーに呼び止められた。
今日はこのまま、VIPルームの接客に回って欲しいと言われたのだ。
大口の顧客をVIPルームでもてなす時、ある程度流れは決まっていて、優香がピアノでもてなしたあと邪魔にならないタイミングで他のキャストが部屋に入る。
今回の場合はその後求められればゆこも歌を披露する予定だ。
何度かホールで接客した後、大口と認定されればVIPルームに通されるのが決まりだったのだが、今回の相手は初回だという。
優香と顔を見合わせると、マネージャーは真剣な顔で言い聞かせた。
どうやらドアマンや、席に案内しようとした黒服にも高額なチップを握らせたらしい。
静かに飲みたいとVIPルームの有無を聞いたあと、店で一番高い酒をボトルキープしたいと現金を渡した。
百万はくだらない額だ。
間違いなく大口になる、失礼にならない様に振る舞い、必ず次に繋げろと念を押された。
初回でプラチナ二人を付けたのも納得出来た。
優香が、一度深呼吸して部屋に入って行った。
すぐにピアノの微かな音がもれてくる。
一曲終わるのを待って、黒服が扉を開けた。
開かれたVIPルームは三室ある中でも一番大きな部屋だった。
二十畳ほどある室内の中央には、重厚なソファーセットと、扱いに気を使う値段のガラステーブルが置かれている。
入口から一番奥にある小さなステージにグランドピアノが鎮座していた。
前を歩く黒服の背中が少なからず緊張して見えて、ゆこは引き摺られないように小さく息を吐いた。
照明をしぼられた室内。
ソファーの後ろにスーツ姿の男が一人、こちらに背を向けて立っていた。
ソファーには男が二人座っている背中が見える。
「本日は御来店頂き、ありがとうございます。」
黒服がソファーの前に回り込み、腰を屈めて挨拶をした。
「先程ピアノを弾かせて頂いた『ユウ』と、こちらの『ワカ』がお相手させていただきます」
黒服の視線に促され、彼が壁際に移動するのを待ってゆこもソファーの前に回り込んだ。
「御来店いただきありがとうございます、ワカです」
意識して唇を引き上げてゆこは顔を上げた。
上げて、息を止めた。
「初めまして…今日は宜しく」
柔らかに微笑んだのは、村沢だった。
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