奪還

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それから、霧島と村沢は三日に一度のペースでアザレアを訪れた。 ホールの一番後ろのテーブルに座り、ゆこの歌と優香のピアノを聴いて一時間ほどで席を立つ。 ゆこはいつも、精一杯歌った。 霧島一人だけに歌い続けた。 声に艶が増したと黒服に絶賛されるほど必死に。 そんな事しか、霧島に渡せる物がなかったから。 一ヶ月もすると、二人が大口の上客だと認知された。 ブロンズをアフターで連れ出す事もせず、高い酒を消費し、長居せずに帰って行くのだ。 これ以上の客は居ない。 それ故に、その後二人から持ちかけられた話しを店は快諾した。 自社の宴会にキャストを派遣出来ないかと持ちかけたのだ。 十八時から一時間をブロンズとシルバーから六人。 十九時から二時間をゴールドから四人。 そして二一時から二時間をプラチナから二人。 名簿を見て打診があったらしく、プラチナからはゆこと優香が派遣される事になった。 足繁く通っていたのは、キャストの品定めだったのかと店は納得した。 重要な接待でも兼ねているのかもしれない、失礼の無いように、そして次に繋げる様にと再三念を押された。 その日、先発のキャストが無事帰った後しばらくして、ゆこと優香は迎えの車に乗り込んだ。 ドレスやメイク道具は先にあちらに運び込まれた為、ラフなワンピース姿だ。 先発のキャストは機嫌よく戻ってきた。 面白いサプライズがあったようで、接待と言うより仲間内の飲み会のように楽しめたらしい。 運転手は、お辞儀さん(立原という名前らしい)だった。 ゆこと優香を乗せ走り出すと、すぐ立原は電話を掛けた。 「今、お二人を乗せました。予定通りの時刻です」 今までの派遣でこんな風に連絡する運転手は見た事が無い。 「しっかりしてるね、楽しもうねゆこちゃん」 霧島に会えると浮き足立つゆこを、自分の事の様に喜んで微笑んでくれた。 楽しく無い筈が無い。 霧島に会えるのだ。 言葉を交わせなくてもいい、顔が見られるだけでもいいのだ。 車が到着すると、立原は正面玄関では無くビルの右手に回り込み、小さなドアを開けた。 「このまま進んで奥のドアを開けて下さい。 舞台袖の控え室に直で行けますので。 ラックにドレス掛けてあるので、時間までゆっくり して下さいね」 どうも、と優香が微笑むと立原はニコニコしながら車に戻っていった。 「まだちょっと時間があるね、おめかししなくちゃね、ゆこちゃん」 少女の様な笑顔に頷いて、ゆこは控え室のドアを開けた。 小さな部屋だった。 急ごしらえだろうか、化粧台はひとつだったが綺麗に照明があてられていた。 「ゆこちゃん先にメイクする?私ドレスに着替えちゃうね」 交代で用意した方が効率が良さそうだった。 軽くメイクはしてあったので、ゆこは椅子に座りチークやハイライトを足していく。 口紅を塗り直したあたりで、赤いドレスに着替えた優香と交代した。 時間が迫ってきたのか、仕事を終えたキャストが入ってきて荷物を手に出ていく。 皆穏やかな笑顔を浮かべていた。 上手くいったようだ。 ゆこは黒いドレスを選んでいた。 デコルテの露出は控えめで、裾の広がりが綺麗なお気に入りだった。 ワンピースを脱いで下着姿になった時だった。 ステージの方から大きな声がした。
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