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「すみませーん、ちょっと出てきてもらって良いですか?」
グロスを手にした優香と目を合わせる。
「ほんと、ちょっと顔だけ出してもらえれば大丈夫ですのでー!
席次の事で確認してもらいたいんですよ!」
優香がほんの少しドアを開けた。
ドアの前には誰も居ない。
「こっちです!」
ゆこを押し出す訳にもいかず、優香が半身をステージに乗り出した。
ゆこもドアと優香の間から何とか顔だけ出してみる。
小さなホールには結構な人数が入っていた。
舞台から短いながらも花道が作ってある。
その花道の両脇に並ぶように丸いパーティーテーブルが何席か並んでいた。
そして花道の終わりの正面に霧島と村沢が座るテーブルが置かれていた。
そこは役職の重さか、二人の座る椅子だけが柔らかそうなひとりがけのソファーだ。
二人の間に置かれたガラステーブルには、明らかに他と違う酒が鎮座していた。
不自然な角度で顔だけ覗かせている自分が恥ずかしく、ゆこは霧島の顔を直視する事が出来なかった。
少し暗いと感じる照明の中で、不意に動く物が見えて、ゆこは二人の背後に目を向ける。
全面ガラス張りの中央に、両開きのドアがある。
その向こうは正面玄関の様だった。
目を向けたのは、そこに男が居たからだ。
異様な出で立ちだった。
その手に握られていたのは日本刀だったのだ。
遠巻きにもわかるほど険しい顔でゆっくりと歩いて来ている。
ゆこの全身にぞわりと鳥肌がたった。
「後ろ!」
優香の叫ぶ声を聞いた途端、ゆこの身体が動いた。
男は真っ直ぐ進んで来ている。
その直線上に霧島が居る。
自分が下着しか身につけていない事など、頭から切り離されていた。
裸足のまま舞台から飛び降りた。
手前のテーブルの男が目を見開いたが、見向きもしなかった。
よく磨かれた板張りの床を駆ける。
すぐ後ろを優香のヒールの足音が追いかけて来ている。
ガシャンと後ろで何か割れた音がしたがそのまま進んだ。
男が扉に手を掛けたのを見て、ゆこはトンと床を蹴った。
ふわりとハーフアップの髪を揺らして霧島の座る肘掛けに両膝をつく。
霧島の顔を見る暇は無かった。
彼の腹と胸を跨いで、その頭を素肌の胸に抱いた。
切りつけられても盾になれる様に、うなじに腕を回しぎゅうっと引き寄せて覆いかぶさり丸くなる。
すぐ横でテーブルにカンッと音を立てて優香の足が乗った。
ヒラリと飛び越えて着地したのがわかる。
ゆこはぎゅっと目を閉じた。
シン…と周囲の音が消えた。
一秒…二秒…。
「へ?」
聞こえたのは、場違いなほど気の抜けた優香の声だった。
はっと顔を上げると、割れたビール瓶を両手で握りしめ、剣士さながらに仁王立ちした優香。
その視線の先で、男はドアに手を掛けたままピタリと動きを止めていた。
いや…正確には静止していたのだ。
舞台からでは分からなかったが、この距離なら確認出来る。
男のシャツの、荒い質感を。
それは壁に映し出された映像だった。
少し落としすぎだと感じた照明の理由は、これだったのだ。
「はぁああーー?!」
クールビューティと評判の優香が、らしからぬ雄叫びを上げて振り返る。
「なに、これ…」
ゆこは掠れた声で呟いた。
観衆の静寂を破ったのは村沢だった。
「く、…っ、はははっ!」
堪えきれないといった風に吹き出した。
次に聞こえたのは、胸元からの声。
「いい眺めだが…わかってるか?」
と。
ゆこはバッと下を向いた。
見えたのは黒いレースの下着。
着痩せすると驚かれる胸の谷間のそのすぐ前で、苦笑いする霧島の顔があった。
「ひ、ひゃああぁあっ!」
慌てたゆこは悲鳴を上げて後ろに仰け反った。
危うく頭からひっくり返る所の背中を、霧島の手が支える。
それを合図にしたように、背中から男達の歓声が轟いたのだった。
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