出会い

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「ホットで」 はいと小さく返事を返す。 マスクをして眼鏡をかけ直したゆこは、エプロンのポケットからシュシュを取り出して、髪をサイドに緩く結わえ直した。 何度か見かけた事があっても、相手は自分の事を知らない。 お向かいさんですよね?、なんて言えないなとゆこは思った。 ヤクザさんですよね、なんて以ての外だ。 うーん、とコーヒーを淹れながらゆこは考える。 うん、お話しはやめておこう。 彼が待っている薫は、向かいの組の親分さんの奥様だ。 きっとその兼ね合いの用事だろう。 コーヒーを淹れながら沈黙は続く。 元々食事を提供するスタッフが客に話しかける事は珍しいし、彼は常連さんでもない。 無言で不自然ではないはずだと、自分で自分を納得させながら、手先は一杯分のコーヒーを最速で淹れようとしていた。 その時、男が胸ポケットに手を入れカウンターに視線を流してふと、動きを止めるのが見えた。 (あ…) ゆこはカウンターの内側から、小さな灰皿をそっと男の前に差し出した。 その手を伝って、男がゆこと目を合わせる。 「禁煙では無いので…どうぞ」 そもそも、そこに座ってコーヒーを飲む人は居ないのだ。 使われる予定の無いものをそこに置いていなかった、それだけだった。 ゆこの差し出した灰皿を、少し自分に引き寄せて男がフィルターを口に咥える。 チンと高い音をたてて、煙草に火が着いた。 最初の一服を深く吸い込んで吐き出すのと、ゆこが男の前にコーヒーを置いたのは同時だった。 男がタバコを灰皿に置いて、長い指がカップを持ち上げた。 ゆっくりと口元に運ぶ。 (…あ、綺麗な仕草…) ゆこがこれまで関わってきた、その手の人とは明らかに違う、落ち着いた優雅さが男にはあった。 ぼんやりと見ていたら、視線を感じたのか男が顔を上げゆこと視線を合わせた。 (しまった…見すぎた) 不躾な視線が不快にさせただろうか。 ふっと息を詰めたゆこに。 「食べないのか」 「え…?」 男の視線が流れて、小さなテーブルに置かれていたゆこのサンドイッチに流された。 サンドイッチの隣のゆこのコーヒーからは、もう湯気はなくなってしまっている。 「気にせず食べればいい…時間外だ」 「ありがとうございます」 もう視線は合っていなかったが、お礼を言ってカウンターを離れた。 けれどソファーに座るのは気が引けて、ゆこはコーヒーとサンドイッチを手にまたカウンターの内側に戻る。 この人は薫さんの身内の人だ、私の顔を見たからって問題はないだろう。 マスクと眼鏡を外してから、ふと考えてゆこはナイフを出した。 サクと軽い音をたてて、サンドイッチが半分に切り分けられた。 ペーパーをひいた皿にそれを乗せると、ゆこは男の前にそっと差し出した。 俯いていた視線が上がって、ゆこと目が合う。 「この時間にいらっしゃらなかったら、あと三十分位かかると思います…よかったらどうぞ」 男の視線がサンドイッチを捉える。 「どうも」 ゆこはレモン水をグラスに入れて、それも男の前に置いた。 ひと口目を口に入れた男がゆっくり咀嚼する。 「…へえ」 立ったままで食べ始めていたゆこは、男の小さな声に顔を上げた。 「…うまい」 微かに、ほんのわずかに男の唇の端が上がっていた。 トクンと鼓動が跳ねた。 ゆこ自身驚いたが、何故かその男の表情に引き込まれたのだ。 「あ、裏メニューなんです、アボカドを内緒で入れてあります」 店主が誰に内緒にするのと言うのか。 実にどうでもいいカミングアウトだ。 もちろん男がそこを追求するわけもなく。 微かに頷いて、また二口目かぶりついただけだった。
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