月夜に街、よみがえりて

2/8
前へ
/8ページ
次へ
 夜の森の中に、二つの影がある。古い倒木の上に並んで座り込む影たちは、何をするでもなく、ぼんやりと夜空を見つめていた。  微動だにしない影二つは、一見地蔵か何かのように思えたが、やがて月明りが高く、真上から影に光を注ぐと、それらにはふさふさの尻尾があり、全身が長い体毛と、若い草蔦に覆われた、二匹の生き物であることが分かる。 「おい、狐」  片方の影が呼びかけた。木の洞から響くような、低い震え声だった。 「なんだい、狸」  それに応える声は、まるで紙を丸める時の、クシャクシャという音に似ていた。  爺狸と婆狐は、地蔵のように固まったまま、糸よりか細い呼吸の合間に、時折声を投げかけていた。 「一つ、儂と化け勝負でもせんか」  二匹の目は、退屈そうに淀んでいた。 「化かす相手がおらんじゃろう」 「そうか……そうさなぁ」  月が拳二つ分ほど動く間に会話は終わり、また退屈そうな溜息と共に、二匹はぼんやりと空を見上げた。 「儂ら、なんでここにおるんだったかのぉ」 「月が欠ける瞬間を見よう、と言い出したのはお前さんじゃろう」 「そうだったか……見れたか?」 「何度も何度も膨らんで萎んでを繰り返しとるよ。だが膨らむ瞬間も、萎む刹那も、まだ見れとらんのぉ」 「月が化ける瞬間すら見えなくなるとは、儂らもすっかり耄碌したか……」  応える声はなかったが、婆狐は自分に呆れるように、視線を下に逸らして溜息をついた。月明りに疲れた目を細め、遠く山間を見つめていた婆狐は、怪訝そうに眉を顰め……、 「……おい、おい、爺」 「ん、なんだ、今もしかして膨らんどるか? 儂にゃあさっぱり……」 「違う、上じゃない、下だ。二本杉の側」 「あ? そこがどうした……」 「人がおる……!」  爺狸はびっくりして、慌てて視線を下によこしたが、急ぎ過ぎて倒木から転げ落ちてしまった。だがそんなことは構わず、体勢を整えるのも煩わしい、という風に、顔だけを、山の奥、婆狐の示す方へ向けた。  夜の闇に覆われた、黒い森の中。そこに、蠢く影がある。遠すぎて暗すぎたけれど、爺狸も、婆狐も見逃さなかった。  人だった。簡素な服を着た、二十半ばと思しき青年が、キョロキョロと周囲を見回しながら、山の中を歩いていた。 「人だ……」 「ほらな、人だ」 「人がいる……」 「あぁ、人がおる……」 「化かす相手がいる……!」 「あぁ、あぁ……!」  二匹の声はだんだんと弾み、やがて長年探した旧友を見つけた時のように、こみ上げるような声ではしゃいだ。倒木の上で固まっていた肉は即座にほぐれ、獣さながらに、しなやかに全身を震わせる。 「よっしゃ、儂はアイツを連れていく。婆、里の連中に知らせてこい!」 「任せとけ! あぁ、嬉しいねぇ、人を化かせる! 「化かし山」の復活だ!」  二匹の姿は、その言葉を最後に倒木の前から消えた。誰もいなくなった倒木周辺を、月明かりが蒼く照らしていた。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加